津山歴史めぐり2

1.橋本町の井戸
2.勝間田町
3.苅田酒造
4.作州城東屋敷
5.箕作阮甫旧宅
6.旧梶村家住宅
7.荒神曲がり
8.枡形跡
9.津山洋学資料館
10.古大隅神社
11.大隈神社
12.箕作家墓所
13.東寺町
14.千光寺の酒樽墓
15.津田真道生誕地
16.船着場常夜灯
17.西東三鬼生誕地
18.大砲場
19.古堤防


1.橋本町の井戸

橋本町の民家にある江戸時代の井戸。昔、このあたりは吉井川の河原であったことから、江
戸時代には沢山の井戸があったといいます。



2.勝間田町

森忠政が城下町を作ったとき、作州一円から人々を集めました。この町はその名のとおり勝
南郡勝間田村からの人々で町が作られました。築城当初は、ここまでが城下町であり、今も江
戸時代に建てられた町家が残り、城下町の面影を伝える一帯です。

  

3.苅田酒造(勝間田町)

1758年創業の地酒の醸造元。今も軒先に吊るされた杉玉を見ることができます。



4.作州城東屋敷(中之町)

平成5年に、日新小学校跡地に休憩所、研究所などをもつ町家複合施設として建設されまし
た。だんじり展示館、お手洗いなど全ての建物が町家風に作られています。



5.箕作阮甫旧宅(西新町)

江戸時代後期の日本を代表する洋学者、箕作阮甫がここで生まれ、14歳まで住んでいた家
です。箕作は、1836年、日本初の医学雑誌を発刊するなどし、日本の医学、洋学の発展に
寄与しました。



6.旧梶村家住宅(西新町)

梶村家は、屋号を米屋、その後、山内屋と変えており、なんの商売を行っていたかは不明で
す。主屋は江戸時代に建てられたものです。そのほかに昭和初期にかけての様々な時代に建
てられた建物があり、複合的な商家としての歴史を物語っています。



7.荒神曲がり(東新町)
 
城下町のつくりでここで通りは、大きく北に曲がっています。昔、ここに荒神さんがありましが、
大正2年頃、大隈神社に合祀されたそうです。江戸時代には、この付近は、鍛冶屋が配置さ
れ、今でも、「忠兵衛鎌」と呼ばれる作州鎌をつくる鍛冶屋が残っています。



8.枡形跡(古林田)

街道に枡形を配置して、当時の町と村を分けていたところ。今は、何も残っていません。



9.津山洋学資料館(東松原)

江戸中期以降、津山が生んだ優れた洋学者たちの遺した多くの資料を収蔵しています。この
資料館の建物は、妹尾銀行林田支店、中国銀行津山東支店として使われてきたものです。ち
なみに全国で「洋学」と名の付く資料館、博物館は、津山のここ以外ないそうです。



10.古大隅神社(古林田)

 この神社は、林田郷の開拓神です。森忠政は津山城築城の後、これを津山城鬼門の守護
神として、現在の大隈神社の場所に移しました。その後、旧林田郷の人が、この地に小祠を建
て、祀っていましたが、松平家のとき、古の字を冠して大隈宮の旧号を許され、現在に至って
います。



11.大隅神社(上之町)

 10.での説明のとおり現在の地に移され、本殿は、市の重文になっています。神門は、医薬
門形式で津山城内にあったものでこれも市の重文です。



12.箕作家墓所(上之町)

 箕作阮甫の墓がここにあります。



13.東寺町(上之町)

 森藩から松平藩の頃にかけて、寺院の多い一帯です。丹後山の南麓に防衛の意味ももって
配置されました。当時は10の寺があったそうですが、今は6寺です。



14.千光寺の酒樽墓(上之町)
 
 樹齢百年以上といわれるしだれ桜で有名な千光寺の境内に奇妙な墓があります。酒を入れ
る角樽の形をした墓石です。これは、子息が父母に対して十分な孝養が尽くせなかったことを
悔やみ、生前お酒が大好きだった父親のことを想い、酒樽の形をした墓碑を建てたそうです。



15.津田真道生誕地(上之町)

 この人は、幕末の洋学者で、日本最初の海外留学生となり、オランダ ライデン大学で2年
間学びました。衆議院議員にも当選し、初代の同院副議長に選ばれました。



16.船着場常夜灯(船頭町)

 吉井川北岸は、高瀬舟の船着場の大雁木が並んでいて、その付近が船頭町でした。その西
の端に常夜灯があります。

 

17.西東三鬼生誕地(南新座)

 新興俳句の旗手、西東三鬼は、ここで明治33年に生まれました。本名斎藤敬直。戦時中、
新興俳句運動は思想弾圧の対象となり、三鬼も拘留されましたが、戦後は、山口誓子とともに
「天狼」を創刊、現代俳句協会の創設など活躍しました。



18.大砲場(鉄砲町)

 森氏が鉄砲足軽を置いていたといわれているのが鉄砲町です。南新座から三枚橋を渡った
ところに大砲場があって、南方の大谷村石山に向かって砲術の練習をしていたそうです。直線
で5丁あったから5丁場と呼ばれていました。



19.古堤防(新茅町など)

 新茅町と鉄砲町の間に古堤防の跡があります。森忠政が最初に造成した城下町の西の端
になるのでしょうか。

  
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