津山歴史めぐり1

1.楢の常夜燈
2.近長の代官屋敷
3.兼田橋の道標
4.長法寺
5.大谷の大日如来石塔
6.石山寺
7.洗顔清水
8.宇那堤ガ森
9.立石家
10.高野神社
11.渡り場
12.首無地蔵
13.美和山古墳群
14.作楽神社
15.吉田神社
16.院庄構城跡
17.清眼寺

                         津山史跡めぐり2
1.楢の常夜燈
江戸時代初めの頃、吉井川とともに加茂川でも高瀬舟が行き来し、楢には船着場がありまし
た。年貢米などを岡山などに発送するため、この地区は物資の集積地となり、民家や商家、
蔵、旅館などが立ち並び賑わっていました。その船着場で行き交う高瀬舟を見守っていたのが
この常夜燈です。石垣の上に灯篭が置かれ、航行の安全を祈っていました。1838年に地元
の人たちにより、建てられたそうです。

楢の常夜燈

2.近長の代官屋敷跡
寛政4年から明治2年まで、この地に勝北郡十カ村の代官所が置かれていました。跡地には
今でも泉水が残っています。

近長の代官屋敷跡

3.兼田橋の道標
兼田橋西詰にある、道しるべ。播州姫路21里、信州善光寺155里と書いてます。

兼田橋東詰にある道しるべ。


4.長法寺(津山口)
別名、アジサイ寺。明治6年の津山城取り壊しの際、アジサイを描いた襖が寺に贈られた
のを機に住職がアジサイを植え始めたのがきっけけで、今では約3千株が咲き誇っています。



5.大谷の大日如来石塔
嘉永2年のもの。牛馬万人構造立と考えられ、堅固な造りの塔のたたずまいを示しています。
江戸時代は、これより、北側は、吉井川の河原であったと考えられます。



6.石山寺
明治46年、東一宮村から廃寺を移転し、石山極楽寺としました。昭和12年に現在の石山寺と
改称したそうです。この地は、津山城築城の際、石垣の石を切り出した地で、今でも境内に
は、石切り場の痕が残っています。石切を担当した武士は、このころはまだ、乱世の気風を持
って摩利支天を信仰しており、この石切り場にも祭祀していました。今でも、石切り場の上には
摩利支天が祭祀されています。

 
  石山寺                      石切り場痕

7.洗顔清水(種)
後醍醐天皇が隠岐に流されたとき、この美作地方を通りました。そのとき、この清水で顔を洗
ったと伝えられています。



8.宇那堤ガ森(二宮)
高野神社(二宮)の境内にあるムクノキの巨樹。うなでがもりといいます。万葉集など多くの歌
に詠まれました宇那堤森の跡で、昔、この地は、巨木が立ち並ぶ鬱蒼とした森でした。天正年
間、宇喜多直家が伐採したため、この木だけ残ったといいます。



9.立石家(二宮)
立石家は大庄屋で、立石家の先祖は戦国時代、美和山城主だったといいます。明治時代の
自由民権運動の指導者の一人、立石岐がその末裔です。白壁と瓦葺の落ち着いた雰囲気の
門の奥に母屋、米蔵、土蔵などが並んでいます。

     

10.高野神社(二宮)
高野神社は、美作国二宮にあり、市内で最も古い歴史をもちます。約2500年前から鎮座して
いるといわれています。
高野神社神門
この神門は、旧い神門の上から覆屋を被せて旧い神門の傷みを保護しています。この神門に
国の重要文化財の木造神号額(1009年作)が掛けられ、神門の中にこれも国の重要文化財
の木造随身立像(1162年作)が入っていました。現在は、宝蔵に保存されています。なお、こ
の神門は、津山市の指定重文に指定されています。
高野神社本殿
現本殿は、1663年に再建されたものです。本殿の造りは中山造りです。

    
     高野神社神門                  高野神社本殿

11.渡り場(二宮)
二宮の立石家の南側の吉井川沿いに「渡り場」という地名があります。ここは、昔、吉井川を
渡るのに浅瀬を選んで歩いて渡っていたところだそうです。



12.首無地蔵(二宮)
享保12年の山中一揆で処刑された5人を哀れみこの地蔵を作ったとされています。頭部がな
いのは、遺族らが持ち帰ったとの説もあります。別説には明治維新のときの廃仏毀釈の際、
取り壊されたのを後に山中一揆の処刑と結びつけたものとも言われています。



13.美和山古墳群(二宮)
 国指定史跡で四基の古墳からなっている美作地方最大の前方後円墳です。耳塚、蛇塚、胴
塚と呼ばれる古墳があります。特に胴塚は、戦国時代、立石氏の美和山城として利用されて
おり、土塁跡も見られます。

  
        蛇塚                   胴塚

14.作楽神社(神戸)・・・院庄館跡
  院庄館跡の中心部に、後醍醐天皇を祭神とし、児島高徳を配祀して、1869年(明治2年)
に創建されました。この地は、院庄館跡といわれ、鎌倉時代から室町時代にかけて、美作守
護の在任していたところです。しかし、その存在を示す文献や伝承にも乏しく、一説には、雲清
寺という古寺だったともいわれています。後醍醐天皇が、正中の変に失敗し、1332年3月、
隠岐に流される途中、ここに逗留し、そのとき、児島高徳が守護館に立ち入り、桜の木に「天
莫空勾践時非范蠡」の詩を彫ったのはあまりにも有名です。

  

15.吉田神社(神戸)
 後鳥羽上皇が隠岐に流される途中、この地を通ったとき、后の宮が病気に悩まされ、病気平
癒祈願のため京都の吉田神社の神を勧請を行った神社とのことです。



16.院庄構城跡(院庄)
戦国時代の平城。赤松氏の拠点でしたが、後に山名氏が攻め落としてから、城らしく整備され
ました。当時は堀や川で守りが固められておりましたが、現在では畑としてまわりより高くなっ
ているところに、石碑が建っています。森氏が美作に封ぜられたおり、この地に築城しようとし
ましたが、諸般の事情により鶴山に変更しました。



17.清眼寺(院庄)
 このお寺は、もと雲清寺といい、弘法大師によって創建されたと伝えられています。もとは、
院庄館跡といわれる作楽神社のある場所にあったともいわれています。後鳥羽上皇が隠岐に
流されたとき、この寺に泊まったともいわれています。また、後醍醐天皇の隠岐は配流のとき
の故事もこの寺のことといわれていますが、はっきりとしたことはわかりません。その後、雲清
寺は消失し、1460年ごろ、現在の場所に清眼寺として再建されました。





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