高野の歴史散歩


高野小学校学区の史跡めぐりのご案内です。
身近なところから始め、順次紹介物件を増やしていきますので、ご期待下さい。

                     1.高野山西の金毘羅さん
                   2.山崎学校
             3.武蔵の恋人お通を祀る白神神社
             4.正仙塚古墳
                                            5.建石の道しるべ
                    6.堀内三郎右衛門の碑
                  7.源四橋
8.才の木
9.しづな坂
10.高野神社
11.条里制のなごり
12.高野山西のとうろうさま
13.六体地蔵
14.小池
15.能万寺古墳群


1.高野山西の金毘羅さん

 山西の丘の上に金毘羅さんと呼ばれている神社があります。私も小さい頃からよくここで遊
び、困ったときの神頼みをしたものです。
 さて、金毘羅さんというのは、ご存知のとおり四国讃岐の金毘羅様が本社であり、海上交通
の神様です。だから、どうしてこんな山の中に金毘羅さんがあるんだろう、と不思議に思われる
でしょう。
 それは、江戸時代、人々の楽しみのひとつに旅がありました。お伊勢参り、金毘羅参りなどで
す。このころの旅は、今よりずっと大変でした。道中、海あり山ありで危険を伴うものだったの
です。
 この地方からの旅は、高瀬舟で吉井川を下ることから始まりました。ですから、海上交通の
神様である金毘羅様を祀り、旅の道中の安全を祈願したのです。


金毘羅さん(高野山西)


2.山崎学校

 1872年(明治5年)の学制発布によるこの地方で最初の小学校である山崎学校は、高野山
西字山崎にありました。この山西地区は教育熱心な地区で、同地区に寺子屋式の塾もありま
した。山崎学校は、ふつうの農家の一室を教室に当てたものだったそうです。
 開校2年後の1874年に高野小学校ができ、合併されました。



山崎学校のあった高野山西字山崎付近

3.白神神社

 白神神社は、津山市押入にあります。この神社は、「小野お通」を祀っているもの。NHK大
河ドラマ「武蔵MUSASHI」で、武蔵ブームが起こっていますが、その武蔵の恋人「お通」のモ
デルではないかと言われるのが小野お通です。お通は、才色兼備の女性で神通力もあったと
のこと。18歳で京都に出向き、時の後水尾帝の寵愛を受けましたが、華やかな生活を嫌い、
津山に帰り、寛永7年、29歳で生涯を閉じたそうです。


白神神社(津山市押入)

4.高野山西の正仙塚古墳

 高野山西の正仙塚古墳は、別名武塚(たけづか)とも呼ばれ、5世紀ころのものと思われる、
前方後円墳です。丘の上には石棺があります。この丘は、昔、子どもの遊び場となっており、
その一角に石棺の一部が石のように露出していました。転んだときにこの石で怪我をしてはい
けないということで、掘り起こしたところ石の棺が出てきたそうです。恐る恐る開けたところ、中
は、べんがらで赤く塗られ、人が葬られていました。びっくりして、一斉にふたを落としたもので
すから、ふたが割れてしまいました。棺の中には刀剣や玉、石などがあったそうですが、この
話を聞きつけた人たちによって、持ち去られたそうです。ですから、この主のことを知る手がか
りは乏しいのですが、その規模から見て、かなりの有力者だとは思われます。

                    正仙塚古墳(高野山西)

5.建石の道しるべ
  下押入の県道兼田上横野線沿いにその道しるべはあります。東はいなば道、西は加茂道
とあります。西が加茂?と不思議に思うのですが、加茂道は、この道標から西にある鹿の子橋
の手前を北に向かい西高下、夏目、揚舟にぬけていたのです。
               
                        建石の道標(押入)

6.堀内三郎衛門の碑
 1698年の秋、元禄一揆(高倉騒動)と呼ばれる百姓一揆が起きました。このとき、百姓側に
立ち、藩の役人に嘆願書を提出したのが堀内三郎右衛門です。役人側は、一旦、願いを聞き
いれる回答をしながら、三郎右衛門らを一揆の指導者として捕らえ、兼田河原で処刑しまし
た。その三郎右衛門を讃える碑が萬福寺(高野本郷)や高倉にあり、また、萬福寺には、三郎
右衛門一族の墓もあります。

   
    堀内三郎右衛門の碑(萬福寺)           義民の碑(下高倉)

7.源四橋(下押入)
 因幡往来が下押入で古川を渡る橋が源四橋です。これは、野村の保田源四郎さんという人
が私財を投資して架けた橋のひとつです。下押入から野村まで七つの橋を架けたそうですが、
残っているのはここだけです。


源四橋

8.才の木(高野本郷)
 高野地区の守り神、才の木。この木は、樹齢約150年のアカメヤナギです。樹高15m、幹
の直系1m以上の見事な姿です。この木は、境界の神様である才の神のご神木で、外からの
災いなどを防ぐために植えられた地区の守り神です。



9.しづな坂(押入)
 高野から津山の城下町に行く因幡往来がしづな山を越すのがこのしづな坂です。現在は、津
山東中学校への通学路になっており、今でも、その道筋には、道しるべや才の神、大日如来
が残されています。特にしづな坂の上がり口のあたりは当時の面影をほんの少し感じることが
できます。



10.高野神社(高野本郷)

 高野神社の創祀年代は不詳ですが、9世紀には歴史に名前が出てきます。「延喜式」の神名
帳にも登載され、式内社となりました。周辺には、神社に関する地名も多くみられ、かつては広
大な土地を有していた神社だったと思われます。



11.条里制のなごり(高野本郷)

 班田収受の法により、全国各地で田んぼが碁盤の目のように区切られ、整備されました。こ
れを条里制といいます。この古代の条里制の名残が高野小学校の南の田んぼに見られます。
JR因美線を跨ぐ市道の高架の上から北側を見るとその名残を感じることができます。



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