大和路の初雪 明日香村
  わが背子と 二人見ませば 幾許(いくばく)か この降る雪の うれしからまし

                                   光明皇后  巻8‐1658 

わが夫の君と、もし二人で見るのでしたら、どんなにか、いま降っているこの雪が

喜ばしく満足に思われることでしょうに. 

  
           帝塚山短期大学名誉教授 猪股静弥先生「万葉集 恋のうた 花のうた」より

一首は光明皇后の歌です.初冬、大和に初雪が降ったのです.聖武天皇はいずこ


にか行幸中で平城宮には不在です.皇后は「ああ、天皇さまと二人でこの降りしきる

初雪を眺めたならば、どんなにかうれしいのに……」 とため息まじりにこの歌を詠

んだのです.「わが背子」とは、女性が夫や恋人を呼ぶ言葉で農民たちの歌ことばで

す.聖武天皇を「わが背子」と歌った光明皇后に、限りないやさしさを感じるのです

皇后は藤原不比等の三女です.正倉院に「楽穀論」
がっきろんと言う筆跡が伝わって

います.光明皇后が中国の書家.王義之
おうぎしの名筆を手本にして書いたもので

す. 巻末に「藤三娘」
とうさんじょうと書かれた皇后の署名があります.藤原家の三

女と言う意味でしょう.自在な筆使いで、力に満ちた文字です.わたしは聖武天皇を

面影に詠んだ万葉集の歌と「藤三娘」と署名した文字に接して、光明皇后の人間愛

の深いことと、気品を感じています.霊亀2年(716)
16歳の日、聖武天皇のお妃と

なり、天平元年(729)
29歳にして皇后に立ちます.天平2年(730)皇后は各地か

ら薬草を集め、皇后宮に「施薬院」
せやくいんを設置します.さらに「悲田院」ひでんいん

を設けます.孤児や病人を収容、救済する施設です.

光明皇后の貧者、弱者に対する温かい愛情の発露の施設です.天平2年の2月に

は、藤原氏の氏寺.興福寺に五重塔建立を発願しています.そして、さらに、天平6

年には亡き母.橘三千代のため興福寺西金堂を建立しました.今、西金堂は跡ば

かり残っていますが、五重塔は兵火に焼失の後、再建されて仏都奈良の象徴として

、猿沢池にその雄姿の影をうつしています.天平19年(747)聖武天皇がご病気の

日、皇后は平癒を祈願して奈良の高畑に「香薬寺」こうやくじを建立しました.西の京

の薬師寺に対して「新薬師寺」と呼ばれています.本尊は薬師如来です.東大寺の

創建も光明皇后の勧めによったものと伝えられています.天平宝字4年(760)6月

7日務め務めた生涯を閉じられました.60歳でした.光明皇后の輝く歴史をたどっ

てみました.皇后の真実、人間愛豊な方です.人間愛、弱者に愛を注ぐ事業、人を

愛する歌声は、ついに永遠であることを思はざるを得ません. 
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