み吉野 青根(あおね)が峰の 苔席(こけむしろ) 誰が織りけむ 縦緯(たてぬき)なしに

吉野の青根が峰の苔は青々として美しく一面に生えている。苔の席のようだ。縦糸横糸の区別もなく

誰が織ったのであろうか。


         今年の晩秋には次の万葉集のイメージを撮ろうとわくわく状態です。

     (たて)もなく 緯(ぬき)も定めず 少女(をとめ)らが 織れる黄葉に 霜な振りそね
                                           大津皇子  巻8‐1512

『いま、わたしたちのこころのふるさとを求めて』 五木寛之著 百寺巡礼 第1巻 奈良 秋篠寺より  

            
市井にひっそりとある宝石のような寺。光輝く“苔の海”に見とれる

「あきしの」―。そのゆかしい言葉の響きに魅せられて、はじめて秋篠寺を訪れた。境内の雑木林の緑

の深さ木々の下に一面に敷きつめられたような艶やかな苔。これが、話しに聞いていた秋篠寺の「苔

庭」である。その美しさに息をのむ思いがした。さきほどから雨に濡れて水分をたっぷり吸っているだけ

に、苔の緑がいきいきとしていて、まるで“苔の海”だ。その日の天候は、朝から劇的に変化した。ホテ

ルを出たころは横なぐりの強い雨。それが次第に小降りになったかと思うと、急に日が射してきた。これ

から向かおうとしている秋篠寺 で、なにか不思議なこと、素晴らしいことに出会うのではないか、と予

感させるようだ。その予感は当たった。私はこの寺の魅力に心を奪われてしまい、日が暮れても、まだ

立ち去りがたい気分を味わっていたのである。平城旧跡の北西、奈良市秋篠町。その市街の一角に秋

篠寺はある。実際ここへ訪れるまでは、ぐるっと歩いても十分程度の小さな寺だとか、すぐ隣には競輪

場があって騒々しいとか、むしろマイナスのイメージを抱かせるような情報が多かった。秋篠寺の門の

なかに一歩はいれば、そこは深い雑木林、隣接して競輪場があることなどすっかり忘れてしまった。

日が照っているにもかかわらず、音もなく雨が降りつづいている。ひっそりと緑に包まれた秋篠寺の伽

藍。雨粒が日の光を受けて輝き、何ともいえず美しい。いま、日本のどこの地方都市へ行っても、美し

い町並みというものが失われてしまっている。私は都市の猥雑さというもののもつ魅力を否定しない。

けれども、そうでなくただ雑然とした町並みがあまりにも目につく。極端な言い方をすると、現在の日本

にはゴミためのような感じを受ける場所が多い。街中に、これほど豊な自然と静かな場所が残っている

のは奇跡のようだ.こうした空間はもはや、神社仏閣の周辺だけにしか存在しないのかもしれない。

この雨に濡れた美しい苔を見られただけでも来たかいがあった、と思った。ふつう、苔というともっと暗

い印象がある。「苔の屍」というように、黒みがかかった緑色を想像してしまう。秋篠寺の苔は非常に

明るい緑だった。やや黄色がかった若々しい新緑の緑である。以前、ある日本庭園で撮影をしたとき

に、うっかり苔を踏んづけてしまったことがあった。その時、そこのご主人にきつく叱られたことを覚え

ている。こんな小さな苔でも、元通りに生えるまでには何十年もかかるのだ、と秋篠寺の苔も何十年、

いや何百年という時をへて、今の美しい状態になったに違いない。ビロードのようになめらかな手触り

まさに苔の絨毯である。その緑の濃淡が、立っている位置によって微妙に違う。一歩下がってみたり、

ずっと近づいて見たり、何時まで眺めていても飽きない。…………………………
秋篠寺 苔席
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福井県 勝山市 平泉寺