法華寺 光月亭 紅梅

春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮はるひくらさむ   

春がくれば一番に咲く庭の梅の花を、ひとり眺めながら春の長い一日をすごす

ことだろうか.宴席で歌ったもの.

              
帝塚山短期大学名誉教授猪股静彌 「恋のうた花のうた」より                              

梅は弥生時代の昔、日本列島には無かった植物で、万葉時代、それも都が奈

良に還った頃、遣唐使が中国から持ち帰った外来植物です.そのはじめ漢方の

薬として持ち帰ったらしい.万葉集にウメを「鳥梅」
うめ
と表記した歌があります.

鳥梅はウバイという漢方薬のことです.未熟の梅の実を採取し、皮をむき、煤煙

の中で燻製します.酸味のつよい黒い鳥梅は、消化不良や解熱、咳どめ等に

卓効を見せます.大和、奈良県の梅の名所、月ヶ瀬村に一人の老人が、その

秘法をもって年々鳥梅を作っています.万葉時代、梅干もすでに漬られていたと

推定されます.遣唐使の一行は、それぞれ大量の梅の種子を持ち帰って、我が

家の庭や畑、川の堤などに埋め植えたのでしょう.数年にして花がつきはじめま

した.早春、若葉に先立って咲く白の五弁花、清らかな香りを放って、人々の注

目するところとなりました.実は漢方薬として食用すること、それはそれとして、

花の美しさが万葉人の心をとらえました.万葉集の中に梅を詠んで歌が191首

万葉人が詠んだ樹木の歌の中で最も多い歌数です.その歌の作者を調べてみ

ると、名前のはっきりした梅の歌が87首です.これは大変な歌数です.ちなみに

萩の歌を調べてみると、総数142首のうち、作者名のはっきりした萩の歌は58

首.梅の歌は、都の官員たちの歌であったようです.平城京の役人たちは、外国

指向の趣味であったと称してよいでしょう.役人達は「梅花の宴」と呼ぶ宴会を開

き杯に梅の花びらを浮かべて歌い、髪に梅の花をさし、何とも風流な遊びをはじ

めてしまいました.素朴で、ひたすらに生きた明日香時代の、一世紀には見るこ

とのなかった梅の花の社交の世界が現出しました.万葉集に歌われた梅は白梅

です.都が京都に還ってからは、平安貴族の趣味が変わり、紅梅を賞美する時

代となりました.清少納言は「枕草子」に「梅の花はうす色でも濃い花でも、とに

かく紅い花」と紅梅賛美の言葉を残しています.

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