吉野 宮滝 夢のわだ

わが行(ゆき)は 久にはあらじ 夢(いめ)のわだ 瀬にはならずて 淵にあらぬかも

私の太宰府の就任暮らしも、もう長くはないでしょう。かの吉野の 夢のわだは浅瀬に変わることなく淵のままであってほしいものです。

大伴旅人は代々武門の家系として、又東西一の知識人として知られ、万葉集では独自歌の世界を築いています。旅人は63歳の頃、太宰府の長官として九州に赴きました。古代九州を統括したこの太宰府で晩年の3年間をすごします。727年、その頃大伴氏はひとつの危機に見わられていました。対立する藤原氏が段々と勢力を増してまきす。今や自分出身の光明子を皇后に立てようとする野望と言ってもいいことを考えはじめました。そのとき邪魔になるのが大伴氏であります。大伴氏の長である旅人を都に置いておくわけにはいかない。そこで位は高いのですが、都から遠くに離してしまう。そこで旅人は太宰府にやって来ることになりました。そして望郷の思いに堪えかねて、この好風が忘れられず、吉野への慕情を訴えて詠ったのでしょうか。

象の小川 
吉野山山中、水分(みくまり)山子守のあたりから稚児松地蔵を経て、象(きさ)の小川の源流に沿って下る喜佐谷道は、清澄、幽暗な山道もすくない。山を下れば喜佐谷の山村に入り、桜木神社付近を通過して吉野川へ流れ落ちるところが
「夢のわだ」と言われて深淵をなしています。昨今、上流では森林の伐採や大型ダムで、水量が極めて少なくなっているが、当時は水量豊富で、宮滝の岩場には、半円形状の穴(ポットホール)が転々とあり、当時の水量を証明している。    

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