平城京 朱雀門

作者 小野老(おゆ)は大伴旅人が太宰府の長官だったころにその下にいた次官クラスの役人です。旅人もそうでしたが、花の都奈良から地方への転勤、天離る鄙への都落ちは、やはり相当ショックだったようです。「太宰府だなんていってみたところで、所詮は九州の田舎だ。やはり奈良の都でなくっちゃ。奈良はよかったなあ…都は大きいし、美人も多いし…」

人口20万人。東西に5.8km 南北4.8kmあり平城宮大極殿を中心に、道幅70mの朱雀大路が南北3.8km走っていました。右京には唐招提寺,薬師寺があり、西の市も賑わい、左京には大安寺があり、東の市が賑わい天平文化を花咲かせたのです。作者が奈良の都に帰ってきたのが、聖武天皇の天平時代前半のことだと   「今盛りなり」はいっそう実感としてわかる気がします。

巻1〜5   トップページ