笠 金村  巻二‐二三0

志貴皇子 田原西陵

梓で作った弓を手にもって大夫が、猟に用いる矢を手に挟み、高い的に立ち向かうように、高円山は春になって枯れ草を焼く野火と見られる程に、火が燃えているのであれは何ですかと訪ねると、道を行き来る人の泣いている涙が、細かい雨のように流れ、白い色の着物も濡れて立ち止まり、私に語るには、役にも立たないのに何故にお尋ねになりますか。
そういう御言葉を聞きますと、声を出して泣けてきます。それについて話をしますと心が痛んできます。天皇のお子さまのお葬式の手に持った松明の光が、あんなに沢山照るように燃えているのです。
715年9月志貴皇子が死去しました。皇子の宮 高円山のふもと萩の寺として知られる白毫寺あたりから手に手に松明をささげて皇子の死を悼む葬儀のさまが詠まれていて葬列は高円山麓を伝い山を越え奈良市田原の里「田原西陵」まで続いたのでしょう

1992年 秋深い頃だったと思うのですが大和路を撮り続けてこられた入江泰吉氏がその年の1月16日享年86歳で逝去されその追悼会が奈良公園内の新公会堂の中にある能楽堂で犬養孝先がこの歌を挽歌として蕩々と朗詠されました.その犬養先生も平成10年10月30日 逝去されました。 享年92歳でした。

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