早春 山辺の道 
    君が行く 道の長路(ながて)を 繰り畳(たた)ね 焼き亡ぼさむ
              天
(あめ)の火もがも

あなたが越前へいらっしゃる長い道中を、全部たぐり寄せてたたみ込んで、ポッと焼いて

しまうような天の火でもあればいいなあ!!

道がなくなったら宅守が流刑地に行かなくてすむという激しい思いです。

天平10年(738)ごろの事であった。中臣宅守(なかとみのやかもり)は宮中に奉仕して

いた狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)と深い愛情を交わしていた。当時、宮中奉仕

の男女の恋は禁じられていたのであろうか、二人は人影の少ない馬寮(めりよう 官馬

飼育の小屋)の軒下などをデートの場所にしていた。二人のひそかなデートはたちまちに

役人達の話題となった。そして、ついに事あらわれて宅守は流罪の身となった。

都に残った茅上娘女と交わした歌63首が巻15に編集されています。

 塵泥(ちりひぢ)の 数にもあらぬ われ故に 思ひわぶらむ 妹が悲しさ

塵や泥みたいに、ものの数でもないこのつまらない私のために、あんなにも思い悩んで

いるであろう彼女のことを思うと、もうたまらない、切なくてたまらない!!!

それでは、この宅守はどこへ流されたのでしょうか。それは越前のあぢま野。今の福井県

武生市です。武生に昔、国府があって、その東南の方7キロほどの所に今、武生市

味真野という所があり、そこに味真野神社というお宮があります。昔、継体天皇がここに

隠れ住んでおられたと言う伝説のある所で、そこへ宅守が行った。
味真野の里 朝明け
    あぢま野に 宿れる君が 帰り来(こ)む 時の迎へを 何時とか待たむ

あぢま野に留まっているあなたが、帰っていらっしゃる時のやって来るのを、私は何時と思って待ったら

いいのでしょう。侘びしくてたまりません!!

こういう心待ちを詠んでいるのです。この狭野茅上娘子の歌というのは、大変情熱的な歌が次から次に続く

のです。それに対して男は、女の方にこんな歌を贈っています。

 今日もかも 都なりせば 見まく欲(ほ)り 西の御厩(みまや)の外(と)に立てらまし

今日という今日も、もし都にいたならば今頃、お前さんに逢いたいと思って、西の馬寮の戸口の外に立っていることだろうになぁ〃〃

味真野はおそらく国府のそばですから、宅守は今日の言葉で言えば、その農村を開拓させられていたので

はないかと思います。味真野の写真で撮影の背の方向、東方は今日はずうっと田園風景が山間まで広が

っていますが、当時は原野だったと思います。ここのすぐ北東の方は、昔は岡本村と言い、越前和紙を作

っています。何となく古代的な匂いの豊かな所です


「万葉集」の巻15は2つの歌群から出来上がっています。1つは遣新羅使人の歌145首。もう1つは

中臣宅守と狭野茅上娘子との恋愛贈答歌63首です。このページでは僅か4首しか紹介出来ませんが、

万葉のホームページには欠かす事の出来ない「HARUKOのおしゃべりルーム」で当サイトもリンクをお願

いしています治子さんのHPに中臣宅守と狭野茅上娘子の引き裂かれた愛 全編が載せられております。

 この度リンクをさせて頂きました。是非この機会に熱烈な恋情の歌、堪能してください。しかし二人の熱愛

の結末は果たしてどのように?


味真野地区は武生市内中心地より7キロ、北陸高速道 武生インターより3キロ程の距離にありながら世間

の俗っぽさが微塵も感じられない落ち着いた気品漂う静かな町並みが続くそんな印象を受けました。町内

のあちらこちらには歴史の重みを背負っている由緒正しい神社、仏閣が点在しそれらを一つ一つ散策すれ

ば心が洗われた気分になれます。次回はおにぎりでも用意して再びゆったりと時の流れに身を任す、その

な旅にしたいと思っています。この機会に味真野地区の名所、旧跡、寺社などの観光地をマップに詳しく

紹介されているHP「味真野商工会」をご紹介します。
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