(かな)し妹(いも)を いづち行(ゆ)かめと 山菅(やますげ)の 

  そがひに寝(ね)しく 今し悔(くや)しも
     
作者不詳 巻14‐3577

かわいい妻よ、お前はどこへ行くもんか、行きっこない、と、たかをくくって

いた俺だった。ほんとにちっぽけなことでけんかして、山菅の葉みたいに

背中を向け合って寝たね。そのことが、いま、しきりに悔やまれる。


山菅とはヤブランの古名とも。または、山に生えているスゲの総称で、ジ

ャノヒゲが、その主なものではないかとも言われている。ヤブランにしても

山に生えているスゲにしても、どちらも線状の葉を根元から放射線状に

伸ばし、その生えかたが乱れている。万葉人は自分の周囲にある動物、

植物の、どんな小さなものにも目を注ぎ、じ゜つに細かく観察をしている。

山菅をみる彼らの目には、その葉の向き向きの影のおもしろさに捉えら

れる。なんだ、この山菅の葉っぱたち、みんな背中を向け合っているな。

彼らはそう思う。さて、〃愛(かな)し妹を〃の歌の作者は男である。

男が、おたがいが背中あわせ生えている山菅を目にしたとき、亡き妻との

ある夜の思い出が、胸に這いのぼる。けんかして、二人ともプンとして、

ふくれて、ふてくされて、この山菅みたいに、背中を向け合って寝た。その

ことが、いま悔やまれる。ああ〃くやしい〃おれは時を無駄にした。妻との

かけがえのない大事な時を。愛しい妹は、愛をこめて呼びかける言葉

〃いづち行かめ〃というところに、男の途方にくれたような表情がある。

妻が突然あの世に逝くなんて、だれがそんなこと考えられるか。絶対、そ

んなこと、考えもしなかった。だが、苛酷な現実は突然おそったのだ。

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やますげ 藪蘭の古名 春日大社にて