明日香川 川添えに咲く藪萱草

  忘れ草 我が紐(ひも)に付く時となく 思ひわたれば 生けりともなし  

                        
作者不詳  巻12‐3060

                         万葉集「花語り」 清川 妙 小学館より

私の憂いを忘れるというその草を、きものの下紐(肌着の上に結ぶ紐)

につけた。こんなにのべつまくなしに、あの人のことを思いつづけていたんでは、

生きた心地もしないもの。忘れ草とは萱草(かんぞう)のこと。百合に似た黄赤色

の花をつけ、夏、野原の溝の縁や、土手などにたくさん生える。ちょっと暑苦し

い感じもするが、印象鮮明。列車が田舎の野を走るときなど、線路の傍にも、

あちこちに認められる花で、夏の旅のなつかしい点線となっている。八重咲き

の花のほうが藪萱草、一重咲きのほうが野萱草という。中国ではこの草を身に

つければ憂いを忘れると信じられていた。日本にも、この民間信仰が伝えられ

たのだ。憂いの中の最たるものは、恋の憂いである。そんな憂いを、時なしに、

しかも、ずっと待ちつづけていては、生きた心持がしないのも当然。どうにかして

恋を忘れようと、この人は、自分の肌に近い下紐に、忘れ草をつけたのだ。

この歌、下句のやわらかい歌調のあたりから、なんとなく女性の口ぶりが感じら

れる。恋の嘆きを、ただひたすら訴えている歌ととるのは表からの見方だが、

裏にまわって考えると、自分の恋をオーバーに訴えることで、すこし茶目っぽく、

相手の気をひく、甘え上手な女性と見ることもできる。もともと、忘れ草を身に

つけるということ自体が、海を渡ってきたおまじないの真似をするのだから、

その歌にも、新しいファッションを取り入れた気取りがあると思う。次ぎの歌なん

かも、その気取りたるや相当のものだ。

忘れ草 垣(かき)もしみみに 植ゑたれど 醜(しこ)の醜草(しこぐさ)なほ恋ひにけり

                                 作者不詳  巻12‐3062

恋の苦しみを忘れるという、忘れ草を垣にあふれるほどびっしりと、植えたけれど、

なんという、ダメのダメ草なんだ。効きめなんかありはしない。やっぱり、恋いこが

れつづけているじゃないか。“しみみに“は、あふれるほど、びっしりと。醜(しこ)は

荒々しいもの、不快なものをののしることば。これには自嘲のニュアンスがかなり

ある。自分を茶化す余裕があるとも言える。そこが愉しい気取りなのだ。

忘れ草、 萱草(かんぞう) ユリ科の多年草。夏の朝、茎の先に百合に似た濃い

オレンジ色の花をつけ、午後にはしぼむ。一重咲きを野萱草、八重咲きを藪萱草

とよぶ。

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