大君おほきみ 神にしませば 天雲の いかづちの上に いほらせるかも 

わが大君は神であらせられるので、天雲を支配する雷の上に盧りしていらっしゃる.

大和、明日香の地で昨今、立て続けに、関心の高い遺跡が発掘されている.平成17

年11月14日に甘橿の丘にて蘇我入鹿の邸宅かとおもわれる建物跡が確認され、

叉1週間後の21日に雷丘から「雷神伝説」臣下の墓か〃と思われる遺跡が発見さ

れたと各紙が報じている.

                           「万葉風土記 大和編より」 猪股静彌著より

畝傍山のふもと、橿原神宮前駅から明日香村をめざして進み、豊浦を過ぎると、目

の前に突然、川の流れが見えます.飛鳥川です.川の向こう、白壁の家々を抱いて

いる低い丘が雷丘です.雷は、かみなりの古語.この低いをなぜ、雷と呼ぶのでしょ

うか.仏教説話集「日本霊異記」の巻頭に、次のごとき物語があります.雄略天皇の

朝倉宮の御殿で、后と共寝を楽しんでいると、寝室に栖軽すがるという側近の若者が

入ります.その時、にわかに稲妻が走り雷鳴がとどろきます.あわてていた天皇は

栖軽に、「あの雷を捕らえてこい」と呼びます.天皇の命をうけた栖軽は、馬に乗って

西に向かい、豊浦をすぎ畝傍山のふもとにきて、「雷よ、天皇のお呼びだよ」と天に向

かって呼びかけました.帰途についてみると、丘の上に雷の子供が落ちて立っていま

す.栖軽は雷を天皇の前にさしだしました.それ以来、この丘を雷丘いかずちのおか

呼びます.この説話から、雷丘は神の天下る聖なる山であったことと、その神は稲作

にゆかりの水神であったことを読みとることができます.冬枯れの雷丘に立つと、四

方に明日香の古社寺の森や遺跡がながめられ、万葉時代に春秋の国見行事のおこ

なわれていたことがうなずけます.この歌は持統天皇の国見儀礼に参列した柿本人

麿の女帝賛美の心が格調たかくうたわれています.「盧せるかも」というのは、儀式

のために行宮あんぐうを建て、天皇はそこにお籠りをして身を清めるのです.低く、小さ

いこの雷丘に、儀式の旗がたなびき、行宮の白木の香りが漂い、晴のよそおいの中

で国見儀礼がおこなわれたことでしょう.

                     巻1〜5  トップヘージ

雷丘(明日香村雷)