吉隠の里

降る雪は あはにな降りそ 吉隠よなばりの 猪養ゐかひ岡の 寒からまくに

あぁ!また雪が降ってきた.あまり降らないでほしいなぁ.あの女ひとが眠って

いる吉隠
よなばりの猪養ゐかいの岡も寒いだろうか.

題詞に「但馬皇女の薨ぜし後に、穂積皇子、冬の日に雪の降るに御墓を遙望し

悲傷流涕して作らす歌1首」とある.今は亡き恋人への悲しい想い出と、やさし

い思いやりの歌です.穂積皇子は但馬皇女の葬られた墓を望みながら雪の降

る日、悲しみの涙を流しながら、この歌を作ったのだ.「あはに」というのは、「さ

わに」と同じでたくさん、ということだとわかれば、歌の説明はいらないかもしれ

ない.「亡き人」とか「私の涙」などという言葉が入っていないからこそ、かえって

悲しみが迫ってくるのです.あの女とは、高市皇子の奥さんの但馬皇女です.

穂積皇子は天武天皇の皇子.但馬皇女も天武天皇の皇女で二人は異母兄妹.

当時は母親が違えば結婚も許されたので、兄妹で恋仲になることも多かった.

しかし、但馬はこれも異母兄の高市皇子の妻だった.現在ではとても考えられ

ない恋や結婚が、万葉の時代にはごく普通にあったのです.吉隠は、近鉄線の

長谷寺駅と榛原駅の中程にある50戸程の山峡の里です.奈良交通の吉隠バス

停から、急な曲がりくねった山道を登ると、段々畑の山の中腹に農家が点在して

います.吉隠を通る古道は、遠く伊賀、伊勢へとつづく青越道で、伊賀の国に

名張なばりがあります.「ナバリ」「ナバル」というのは隠れるという言葉の古語で、

山のあいだにひっそりとこもった地形や、盆地の地名になっています.大和の

吉隠の「ヨ」は、吉事よごとや賀詞よごとなどのごとく、めでたいことにつく接頭語

です.古代、吉隠は聖地であたのです.吉野の聖地にしばしば行幸した持統天皇

は、695年10月藤原京からこの吉隠の地に行幸しました.吉隠の聖地で神事を

おこなったのでしょう.

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