赤らひく ささゆり 

    赤らひく 色ぐはし子を しば見れど 人妻ゆゑに 我れ恋ひぬべし  

                               作者不詳 巻10‐1999

ほんのりと紅い頬をした美しい女(ひと)を、こんなにしばしば見ていると

人妻だということも忘れて、私は恋いに堕ちてしまうのではなかろうか。

                              永井路子「万葉恋歌」より  

「あからひく色ぐはし子」とは、なんと官能的な美しい表現だろう。「あから

ひく」というのは、「ほんのりと紅い、桃色の」という意味で、「あからひく膚」

というふうによく使われる。「あからひく膚にふれずて寝たれども」というよう

な表現は、「万葉」にはずいぶん多い。今、作者が見ているのは桃色した

頬かもしれないが、その眼は、たぶん衣の中にかくれた素肌の女を見つめ

ているにちがいない。「色ぐはし」の「ぐはし」は「香ぐはし」「花ぐはし」と同じ

ような使い方で「色ぐはし」はこまやかで美しい、華麗な美しさを感じさせる

もの、とでもいったらいいだろうか。色っぽいといってしまうと少しずれる感

じだが、そうしたコケティシュ(なまめかしい)な美しさをふくんだものと思って

いい。桃色の肌をした、華麗な美女をいつもいつも見ていると、人妻であっ

ても、ついつい恋しく思ってしまうなあ………………。

ここの「人妻ゆゑに」も、人妻だから恋しいのではなくて、人妻なのに恋しい

のである。女盛りの、隠しても隠しきれない色気をふりこぼしてゆく女も女

だが、その魅力を見落としはしない男の眼力も眼力である。

そんなに目のまえをちらちらされたら、人妻だからといって、遠慮なんかし

ちゃいられないよ。ちょっとそんなことを言って、かえって相手の心をそそって

みる。モーツァルトのオペラ「ドン。ジョヴァンニ」の中で、女たらしのドン、ジョ

ヴァンニ(ドン。ファンのこと)が、マンドリンをかかえて目ざす

女の家の門の所へ来て、ほれぼれするような声で恋いのセレナードを歌う

ところがある。言ってみれば、これは古代日本の恋いのセレナードといった

ところだろうか。 

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