母の日に寄せて

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ある日バス待合室にいたら50歳くらいの男の人が歩いてきたのだが、彼は突然転び、頭をしたたかに打ってしまった。あまりの激しい転び方に 驚いたのか、周囲にいた人間はただ彼を見ているだけだった。
 やがて彼は起き上がって再びおもむろに歩き始めたけれど、その後姿を見て私は呆然としてしまった。彼は片足が義足だったのだ。起き上がる時に 手を貸してあげればよかったと今でも後悔している。
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 このごろは街中で障害者を見かけることがずいぶんと多くなった。白い杖をついた人。車椅子の人。だが、彼らに対して本当に 理解を寄せている人は果たしてどれくらいいるのだろうか。
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 私の母は右手人差し指の第一関節から先がない。何でも母の生家は昔農家をしていたが、母が幼い頃やはり同様に幼かった母の兄が誤って農作業の 機械で切断してしまったそうだ。それで母はよく祖母に言われてきたらしい。「お前には人と同じだけの幸せは望むべくもないんだよ」と。
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 やがて年月が過ぎて母が年頃になった時、母の姉妹達にはそれこそ降るように見合い話があったが、母にはひとつも来なかったそうだ。その時も祖母は言った。 「ほかの姉妹達はどこへでも自信を持って出せるけど、おまえはそうじゃないんだよ。結婚できなくても文句は言えないよ。」そして母の兄は言ったそうだ。 「もしお前が結婚できなかったら、俺が一生養ってやるからな。」この話をした時の母の目は涙でいっぱいだった。
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 のちに母は学校を出て事務の仕事をするようになったが、その時も多くの人から「ペンの持ち方がおかしいね。」と言われたそうである。その中で 後日「指がないせいだなんて知らなかったんだ。ごめんね。」と謝ってきたのは一人だけだったという。余談だが、この時の一人というのが私の 父である。
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 ある日母は私に聞いた。「手を重ねる時って、どっちの手を上にする?」「・・・・右手」「どうして?」「どうしてって・・・・・右利きだからじゃないの?」 「私だって右利きだよ。」そう言った母の手は、右手全体を隠すように左手を上にしていた。
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 障害のある人が周囲に気兼ねすることなく過ごせるようになるのはいったいいつのことなのだろうか―
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 えー、つうわけでここまでの文章は、実はあたしが高校生の時に校内新聞のコラム欄に書いた記事なんですね。段落分けがやたら 多いのはそのせいです。そんなわけでそれっぽく読んでいただきたいのですが、いやー今読み返してみると説教くさくて照れますね。ですが、母に対する 気持ちのあたりとかは現在でもあまり変わっていません。あたしが二十代になったばかりの頃ですが、母はあたしに言いました。
「だから私は、自分は普通に恋愛したり結婚したりなんて無縁だと思っていたのよ。それが家庭を持てて、あんた達という 娘2人にまで恵まれて、夢のようよ。」
 おりしももうすぐ母の日。そんなわけであたしは年に1度、この日だけでも自分が望まれて生まれ、愛されて育ってきたことに感謝しなければならないのでありました。
 ・・・・まあー普段は、仕事から帰ったあと密かに飲むのを楽しみにしていたラスト1本の氷結果汁を母が無断で飲んだことが発端でつかみ合いの大ゲンカをしたり とかのしょーもない母娘ですけどね^^;

 というわけで年に1度の母の日。みなさんはお母さんに何をしますか?