図形化

 下記のような文章があります。これを図形化してみましょう。

「最近ものすごく賢いと思うことがあった。それは歌舞伎町のど真ん中にペットショップがオープンしたこと。私は動物好きなので、本当
によく見にいくのだが、いつも大入り満員。若い人からオバサン、オジサンまで、いつもどの時間帯でも満員御礼である。

 とはいえ人が多くても売上があがらなきゃしょうがない。ところが。売上もすごそうなのである。では買っているのは誰か?ずはりオジ
サンである。もっと正確に言うと、カネを出しているのはオジサンで、オネーサンに買い与えているのである。

 考えてみればエルメスのケリーの1/3程度のカネで買え、同じものが2つになったから質屋に売り飛ばすということができないペット
は、オジサンがオネーサンに買い与えるのにはベストなのだろう。

 歌舞伎町というオネーサンがたくさんいて、そこに集う、カネを持ったオジサンの購買をきちんと考えて出店したこのペットはものすご
く賢いと思う。」@


「昔からデモグラフィック的に集客力があるところに出店することは成功の秘訣であった。

 サーキュレーションの多いところに書店を作るのは鉄則だし、駅という人口集積体に、ショッピングモールを作れば大繁盛した。

 かつてAというCVSの担当をしていたが、店ごと、時間ごとの購買状況を分析しているとヘンな店が出てきた。

 この店は朝と昼、それに夕方18時ぐらいと3か所にピークがあるのだ。「なんだ?」と思って店名を見てみると、インショップ店なのであ
る。ちょうど、ロードサイドではなく、大きなビル街の中に出店をはじめた頃であり、インショップなら「なるほど」と思える。つまり、仕事を
はじめる前とランチ、それと残業用の食事という需要なのである。

 この店の売上はすごい。なにしろ、ピークが3つもあるのだから。これも需要のあるところに接近していくマーケティング手法なのであ
る。」A


「このようなマーケティングをアクセスマーケティング(market in shop strategy)と呼んでみたい。需要が明らかにあるところへ積極的に
出店していく方法。さらに最近の傾向で言えば、単なるデモグラフィック的な集積体へのアクセスではなく、サイコグラフィック的集積へ
のアクセスが奏効しているように思う。以下具体例を示そう。」B


「@ドンキホーテのペットショップ

ここもよく行くのだが、いつもいっぱい。ドンキにくる人がよるのだろう。ドンキっていうのは行きたくなるものだ。でもドンキは単なる「安
かろう。悪かろう」の店だから行きたくなるのではない。100万もする時計も同時に買えちゃうようなところがいい。つまり、「何かほしい
な」というバラエティシーキングと「ブランドもんとか腕時計欲しいな」という指名購買の両方をかなえている。だから40万円もするチワワ
を買うことも自分事な人が集まる。そりゃ売れるのは当然だ。」C-1


「A早稲田大学そばの資格学校のサテライト

WセミナーとかLECのサテライトが早稲田大学のすぐそばにある。これも賢い。資格試験学校なんて待ち受けしてて儲かるほど世の中
甘くない。不景気だし、競争は激しいし。そこで資格試験予備軍が多い、早稲田大学そばにアクセスしたのだ。ここに出店しておけば、
申し込みは当然だし、自分の店の前でチラシやパンフを立ちまきしても誰も文句は言えない。これもアクセスマーケティングである。」
C-2


「B紀の善の隣のきんときや

抹茶ババロアで有名に神楽坂「紀の善」。店舗への集客力もすごいけど、お土産の方がもっとすごい。甘味所なのに、客単価は2000
円ぐらい。それがひっきりなしに並んでいるんだからすごく儲かるはず。それに目をつけて、路地をはさんだ隣に出店した「きんときや」
も大繁盛。考えてみたら甘いものつながりだ。」C-3


「CB5版書籍&ムック

これも「儲けのカラクリ」が大ヒットして以来、あらゆる版元が参入した。かくいう私の「明日の会議で使える企画書」もこのサイズ。もち
ろん編集のO氏の示唆でこうなった。このムック、いろんなところに置いてあって、CDRがついてるからパソコンソフトの友達ということ
でパソコン店にあったり、別冊宝島の友達としてビジネス棚にあったり、はたまたパソコン関連雑誌のところにあったり。これもアクセ
スマーケティングが奏功したからなのだ。」C-4


 この文章のおおまかな構造を見ると、上記のように表現できますよね。これをさらに細かく図形化していくと、



 こうなります。こうやって表現した方がプレゼンしやすいでしょ?余計な文章を全てそいで、図で理解しやすくなっている。これが図形
化のいちばんのメリットですね。

 もうひとつ。これはコラムの中にある文章。記号論の話をしているから少し難しいね。

 「鈴木光司作「リング」は傑作である。ずいぶん前、ハワイに休暇に行く時に、昔友人今クライアントのI氏に「らせん」とセットでいただ
いた。このIちゃんという人、私の小説に関しての絶対の情報源で、この人の勧める小説ははずれがない。瀬名秀明、真保裕一、白川
道、みんなI氏の紹介である。」@


「さて、リングは好きな話なので、ビデオ、テレビ、映画と映像化されたものは全て見ている。ところが、映像になったリングで小説を超
えるものが全くない。もちろん、小説を先に読んだという刷り込み効果はあるにしても、ここまで全てダメだということはないだろう。これ
は何に起因しているのだろうか。考えてみたい。」A


「記号論の祖ソシュールは、言葉が言葉として成立するためには、聴覚映像と意味の両方が不可欠だとしている。例えば「ネコ」という
言葉を聞くと、自然と4つ足で、愛らしい顔をして、人に慣れる動物の映像が浮かぶ。またネコという動物が意味することも同時に分か
る(長く人間の愛玩用の動物として存在してきた)。

 一方、ここで「ガチョホンパ」という言葉を提示してみよう。みなさんはこの言葉から映像と意味が浮かぶだろうか。浮かばないはずで
ある。なぜなら、これは今私が即席で作った言葉であり、形も意味もないものだからである。

つまり、コミュニケーションを成立させる言葉というのは、それ自体で映像と意味を想起させる力がある。さらに小説というのは言葉の
集合体であるから、我々読者は小説を読みながら、無数の映像想起と意味解釈を繰り返していることになる。

ここに映像が小説を超えにくい理由がある。小説というのは我々の映像と意味の自己解釈によって作品となっていく。ウンベルト・エー
コが「作品は読者のものとなって始めて作品として完成する」といったのはまさにこのことを意味しているのだ。

ただし、つまらない言葉の羅列で、読者に創造性溢れる映像と意味を想起させない小説ではダメである。言い換えれば、優れた小説
は、創造性を駆り立てる言葉が選ばれており、かつ、その選ばれた言葉同士が全く新しい関係づけを提示していると言える。この後者
の方を観念連想と言う。」B


「リングを例にして今の話をもっと分かりやすく述べてみよう。まずは創造性を駆り立てる言葉が選ばれているということから。

リングでは「ビデオ」「呪い」「井戸」という言葉が小説を構成するキータームになっている。思い出して欲しい。他の小説と際立って感心
したのは、ビデオがオチであった点だろう。さらにビデオは呪いに感染している。みなさんは決して目の前で見ていないのに、その呪い
に感染した、こわーいビデオの映像を見たような気になっている。その、自分で想起した映像がいちばん恐くて、他のリアルな映像を
見せられても、それを超えないのではないだろうか。

また井戸もそうである。推理小説のクラマックスが井戸に入って、白骨探しである。これもびっくりするオチであった。ここでも我々はひ
たすら井戸の水を汲み出し、貞子を探す浅川の映像を創造している。このおどろおどろしさは現実の映像では及びもつかない。

 いずれも鈴木光司の、言葉の選択の、勝利の結果である。」C-1


「次に、選ばれた言葉同士が全く新しい関係づけを提示していることについて説明しよう。

 この小説をいただいた時に、私は推理小説だと認識して読み始めた(実際はホラー小説である)。読み進めながら、きっとオチはリア
リティのあるトリックで、絶対犯人がいるのだと思っていた。

 ところがオチは呪いである。推理小説=仕掛けがある=犯人がいるという思い込みが壊され、推理小説=呪い=犯人は現世にいないと
いう連想を強要されたのである。なるほど、これは新しい小説の作り方だなと当時思った。

 同じように、ビデオと呪いという言葉の関係もびっくりであった。だいたいオチをビデオにすることもすごいと思ったが、呪いでビデオ
に念写したと聞いた時には、「鈴木君、あんたはえらい」と思わず声に出してしまった。」C-2


「さてこうやって延々と書いてきたが、ここで述べたことは文字文化、出版文化の根本であり、私が文字にこだわる理由とも言える。私
は出版関係の友人、知人が多いが、みんな口々に私と同じようなことを言う。昨今、出版業界の不調が指摘されているが、大丈夫、こ
んなにおもしろい媒体はない。むしろこのおもしろさの伝播が足りないだけである。みんなでもっと出版、書籍を盛り上げよう。」D

 この構造を図形化したものがこれ。



 さらに詳解したものがこれ。



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