神楽坂を愛する理由


 神楽坂は坂の名前が地名になった。物理的には外堀通りから早稲田方面に抜ける坂を神楽坂というが、私は隣接して存在する坂
も含めて「神楽坂」と認識をしている。

 神楽坂をちょうど一本入った坂を軽子坂という。軽籠(かるこ)という縄製の籠を棒につけて、運搬を生業にしていた人たちがここを通
ったことから名づけられた。江戸時代には神田川と外濠が交わる揚場町に船着場があり、そこで水揚げされた荷物を軽籠が坂の上
まで運んでいたそうだ。

 現在は大手の監査法人やスポーツクラブがある「垢抜けた」場所となっている。とても軽籠が荷物を持ってあがった坂という名残はな
い。ギンレイホールだけが孤軍奮闘しているといった感じか。

 この坂をあがると大久保通りに出る。これを左に折れ、まっすぐ行くと、右側に袖摺坂という小さな坂がある。人とすれ違う時に袖が
すれ違ってしまうくらいの坂というのが名前の由来らしい。

 この坂は大久保通りから上がるよりも、矢来町から下る景色の方がいい。夏は盛りを惜しんで消えていく夕陽があざやかに見える。
秋はつるべ落としに夜に向かう、その様が美しい。

 昔近くに勤めていた時、この坂を下って左にある、名店「さん吉」に行くのがなによりも楽しみであった。しかしもう「さん吉」はない。神
楽坂がブームとなる中で、こういった昔の風情を漂わせていた店が生存できなくなるのは悲しい。自分の生家がなくなる悲しみという
のはこういうものなのだろう。最近は袖摺坂を降りるととてもせつない気持ちになる。「もうあの時間は帰らない」。その思いが込み上
げる。

 袖摺坂をあがり、矢来町を抜けると地下鉄の神楽坂の駅に出る。その駅をほんの少し右に行ったところに朧の坂がある。坂名表示
も資料もないが、地元ではみなこう呼ぶ。

 ここには名店「りゅうほう」がある。ラーメン、チャーハン、一品料理全ておいしい。さらにこの坂を下りきったところには「おじさんのオ
アシス」松兵衛本店がある。おじさんたちはいそいそとこの急な坂を下って飲みにいく。風情というよりも嗜好を充たすことがイメージさ
れてしまう坂である。

 とはいえ、ここから見下ろす景色は絶景である。江戸川橋の辺りを見ることになるのだが、晴れた日はとても美しい風景が拝める。
眼下に広がる街並みは、鬱屈した気持ちをスッと晴らしてくれる。一度そういう気持ちで尋ねてみてはどうか。

 袖摺坂を下って右にまっすぐ進む。行き着いた先を左に下ると赤城坂がある。これはそばにある赤城神社からついた名前。神社か
らこの坂に下りる階段から見る景色は最高である。「都の西北」が一望できるすばらしいロケーションだ。
 
 一度ここに来て風に吹かれてみてはどうか。そうすると下界のくだらないことが霧消する。この美しさの前では人間同士の営みなどど
うでもいいように思えてくる。不思議な場所だ。

 赤城坂には「大八」という老舗の居酒屋がある。昔、ご主人が元気だった頃はすばらしい魚を出す店だった。ご主人がなくなってから
は煮物を中心にさっぱりとしたつまみがいい店になった。

 春。おいしくなる木の芽たちをてんぷらでいただくために、本多横丁の喜楽に行く。
 夏。のどの渇きを癒して、スタミナをつけるために理清蘭に行く。
 秋。丁寧に焼かれた秋刀魚を肴に、日本酒。こう思うと渡津海しかない。
 冬。雪が降る日はめずらしく静かなりゅうほうで、つまみをつつきながら、菊姫の大吟醸をやる。せっかくの雪なのだから大奮発だ。

 今日もいそいそと、坂を歩きながら、街の風情を楽しんで、懇意の店に行く。こんな楽しみが味わえるのは神楽坂以外にないだろう。

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