直木賞に物申す


 芥川賞ははっきりいってどうでもいい。純文学は他のどのジャンルよりも高尚であるといわんばかりの権威主義の塊にしかみえな
い。

ちょっと視点を変えて考えてみた。

 かつて「探偵小説」と呼ばれ、戦後「推理小説」と変わり、現在「ミステリー」といわれているジャンル。呼び方の変化からわかるよう
に、「ミステリー」の定義は、さまざまに揺れ動いてきた。というか、揺れ動いてきたからこそ、「推理小説」という呼称が、「ミステリー」と
いう、わかっているようで実は訳のわからない言葉に置き換えられてきた。

 ジャンル定義の揺れ動きと同様に、ミステリー関連の文学賞もまた時代と共に変遷している。そのなかで、歴史もあり、権威ある賞と
認められているのは、現在のところ「日本推理作家協会賞」とご存知「江戸川乱歩賞」だろう。

 一般に、「乱歩賞」は新人作家、「協会賞」はミステリー作品全般を対象にしているが、一度受賞した作家が、再び受賞することはな
い。その点で、「協会賞」もまた、新人(中堅作家を含む)賞という性格が濃いといえる。

本題の直木賞の成り立ちを見てみよう。

直木三十五賞規定
一、直木三十五賞は個人賞にして広く各新聞雑誌(同人雑誌を含む)に発表されたる無名もしくは新進作家の大衆文芸中最も優秀な
るものに呈す。

二、直木三十五賞は賞牌(時計)を以てし別に副賞として金五百円也を贈呈す。

三、直木三十五賞受賞者の審査は「直木賞委員」之を行ふ。委員は故人と交誼あり且つ本と関係深き左の人々を以て組織す。

四、菊池寛・久米正雄・吉川英治・大佛次郎・小島政二郎・三上於菟吉・白井喬二・佐佐木茂索四、直木三十五賞は六ヶ月毎に審査
を行ふ。適当なるものなき場合は授賞を行はず。
五、直木三十五賞受賞者には「オール讀物」の誌面を提供し大衆文芸一篇を発表せしむ。

とある。現在はどうか。文藝春秋のホームページを見てみると、 

 「各新聞・雑誌(同人雑誌を含む)あるいは単行本として発表された短編および長編の大衆文芸作品中最も優秀なるものに呈する」
「無名・新進・中堅作家が対象となる」

 こういった賞の性格から言うと現在の直木賞は「協会賞」に近いといえるだろう。つまり新人賞でありながら、そこで指す新人とは、あ
る程度小説界で活躍している作家である。

 無名もしくは新進作家 とあるように、かつて直木賞は、「乱歩賞」的な性格を担っていた。しかし、現在の直木賞が、無名の新人を
対象にしているとはとうてい思えないし、直木賞の性格が「乱歩賞」的なものから「協会賞」的なものへ変容してきたということだろう。

 賞の性格が変わってきているのなら、賞の構造を変えればいい。

 「協会賞」の歴史をみてみよう。この賞は戦後の創設当時、長篇部門、短篇部門と2つの部門に分かれていたものがその後統一さ
れた。しかし、推理小説(あえてこう呼ぶ)が市民権を得て、雑誌『宝石』の発達や、ノベルスの流行などで、長篇・短篇ともに続々と作
品が顕われるようになると「長篇と短篇を同じ土俵の上で選考するのは無理がある」といった意見が噴出する。そこでふたたび、長篇
部門、短篇部門、評論その他部門の3部門に分割したのだという。

 直木賞も同様にとはいわないが、対象者を含めて見直す時期なのだと思う。

 受賞する作家側にも問題はある。今回の京極夏彦。

 前回の候補の際、選考委員の五木に「直木賞にはなじまない、さりとて芥川賞の枠にも入らない、というところが京極夏彦という作家
の栄光と言えるのではあるまいか」とまで言われたのに、候補を選出する事務当局もどうかと思うが、翌年のうのうと受賞させる選考
委員もハッキリいって笑いもの。京極も京極でそれほど賞が欲しいのか。

 それに比べると横山秀夫はまだ潔い。

 昨年の第128回の直木賞選考会で候補作の「半落ち」には「落ちそのものに欠陥がある」とさえ言われた横山は「自分の作品には、
指摘されたような間違いはない」と主張して、以後一切直木賞とは関わりを断つ と宣言した。ただ、ここには読者の視点はないし、個
人的には「落ちのでき」も含めてどうかとも思う。

 ひとつはっきりと言える事は、選考側は、若手・中堅作家に「自信」や「やる気」を与える気もないし、責任やら義務やらを負うつもりも
ない。

 お金と「場」を提供するだけの役割だし、その時々で最高の実力を持つ新人・中堅作家に賞を与えなくちゃいけない義務などさらさら
ないのだから、誰から文句を言われる筋合いもない。直木賞という「権威」はまわりが勝手につくったものだから俺は何も知らんよ と
いう顔でやっているということ。

 こう考えてくると、文学賞なんていらないということになるのだが、何か書いててあほらしくなってきた。まあ、どうのこうの言っても、自
分が読みたいと思う本を読めばいいし、駄作でも受賞のきっかけで読書の幅が拡がるのなら充分に存在価値はあると思えばいいとい
うことか。安直?


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