旅のノート

目 次
このサイトについて
天候の事
高山病あれこれ
  このサイトについて
おやじ様からのメッセージです。

元気にやっていますか?

子供の頃からの念願だった5000mの旅をヤットかなえて無事返って来ました。快く送り出したくれたお母さんに感謝、感謝です。
見るもの全て、感動の連続でした。この感動をなんとかあなたに伝えたいと思い、スキャナーを購入しました。みゆき(妹)が圧縮ソフトをインストールして呉れましたので、写真をメールに添付して送ります。
悪戦苦闘、ヤット出きるようになりました。

写真暦は長いのですが、どうも芸術的センスが乏しく一つ一つ見ると”?”ですねー。何せセッカチですから、”いいなー”と思ったら即オートフォーカスに任せて”カシャ”ですから仕方ありませんね。貴女や、みゆきの様に”絵”を書くことが出来たら”スケッチ”と成りますが、私にはそれが出来ません。
まあ”オヤジの写真で綴る絵日記”です。写真の拙さは、被写体の素晴らしさがカバーしてくれるでしょう。

退屈かも知れませんが、付き合ってください。

ということです。
その「退屈かもしれませんが、付き合ってください」を、私cocotino
がなんとウェブページにしてオヤジ様にプレゼントする事にしました。怖いもの知らず。

ウェブサイトにまとめる時には
?どこで
?なにが
?どのようなイメージで
目に入ってくるのかを出きるだけ伝えたいと思いました。地図インデックスが、位置を確認する目安になればと思います。

又たいそうな機材を揃えなくても、この位の写真が撮影できるんだという目安になるんではないかしら。こういうことを言うと、オヤジ様が不機嫌になるだろうか?多分次回からは、オヤジ様が自分で作り始めるでしょう。

 

  天候の事
 

11月に参加したカラパタールトレッキングツアー時の天候について

10月29日〜11月16日までの19日間のツアーに参加しました。
11月はもう完全な乾期に入っています。「カラッカラ」ですね。下着が汗で濡れる事がありません。濡れた物もすぐ乾きます。
道も乾ききっていますから、砂埃がもうもうと舞い上がります。「乾燥と砂埃」で、喉がやられそうです。喉飴は必携です。

1日の天候は、大体次のように変わりました。
早朝より午後3時頃までは、全くの快晴で雲一つ有りません。それが午後3時を過ぎると、ローツェ(8511m)の東側に雲がかかり出します。これが徐々に広がり、夕食の頃には谷全体に広がります。早い時には午後8時頃には、満天の星空となりますが時には夜中まで長引くことがあります。朝になると又快晴と成っています。

このパターンがカラパタールに登る前日(11/7)と、アタックの当日(11/8)の2日間だけ変化しました。まったく雲がかからなかったのです。お陰で”夕日に輝くヌプツェ(7879m)”を堪能する事が出来ました。

14日目(11/11)頃(キャンズマ〜チュモア)から天候が下り坂となり雲が多くなりだしました。15日目(11/12)チュモア〜ルクラ(標高2800m)では小雨が降る始末、谷一面雲で一杯です。
16日目は、ルクラからカトマンズに飛ぶ日です。谷は雲でいっぱい、小雨も降る始末。ヤバイナーと思っていたら案の定”飛行機”は一機も飛ぶ事が出来ず、ルクラで沈殿。
17日目、絶望状態!!昨日はまだ気分に余裕があったのですが・・。おまけに工事の為に12時で空港を閉鎖するとか、冗談じゃないぞ!!
所がどうでしょう、多分タンボチェゴンパで上げた”お布施”が効いたのでしょう、9時頃から雲が切れだして、待望の一番機が姿を見せたのです。
お陰様でカトマンズでは、シャワーを浴び、日本食やチベット料理を食べ、、市内も少し見学できました。

翌日の空港でのこと。あわただしく飛び込んできた日本人のグループがあリました。聞けば昨日は飛行機に乗る事が出来ず、やっと今カトマンズに着いたところで、シャワーも浴びていないのですと。

  高山病あれこれ


はるばるネパールくんだり迄やって来たのに、高山病でリタイア―なんて事になったらガックリですね。

それを乗り越えて5500mに達してヤット素晴らしい光景にお目にかかれるのです。だから高山病には物凄く興味がありました。皆もそうだったと思います。これから行こうとしている人も関心があるでしょうね。

4000mを越えると誰でも、個人差はあるが高山病には罹るそうですね。それをその高度・低空気圧・低酸素の状態に体を順化させていく必要が有るんだそうです。ツアーを催行する旅行社も、この辺には色々と工夫をしてくれているようです。

出発前の健康診断
「3300m以上の高所に宿泊するツアーに参加の方は、当社所定の健康診断を受けていただきます」とは、旅行社のコメント。
大金
10500円を支払って、オッカナビックリ受診をしました。所がなんのことは無い「低所における検査上、特に異常は認められません」のコメントだけ。どこにも「高山病にはなりません」とは書いて有りませんでした。残念!

高山病?
私は日本の山でも3000m近くになると軽い頭痛を覚えます。
今回もパクディン2610m,ナムチェ3440m,タンボチェ3860m、ディンボチェ4410m、ロブチェ4910mのいずれの宿泊地でも軽い頭痛がしました。これが決まって「テントの中でおとなしく荷物の整理をしているとき」なんですね。歩いている時は痛みがありません。やっぱり呼吸数が少なくなっているんでしょうか。意識して深呼吸をすると、痛みが軽くなります。
鎮痛剤の服用ですが、頭痛で寝られなくて疲れを残すよりはと考えて、寝る前に一度服用しました。でも何か影響があるみたいです。これに付いては、後述します。

高山病の予知
高山病の予兆を早く捕らえて対処し様と言うことで、ナムチェバザール(3440m)到着以降、毎日の夕食前に「血中酸素飽和濃度」とか言うものの測定が行われました。
高山病は「血中酸素飽和濃度」を見ていくことで、ある程度わかるそうです。指をパックリとくわえ込む、ワニグチみたいな測定器「パルスオキシメーター」で人差し指を挟みます。どうした仕組みかは分かりませんが、それで「血中酸素飽和濃度と脈拍数」が測定できるのだそうです。この測定結果を見て安心したり、心配したり、「一喜一憂」です。血中酸素飽和濃度が80%を切ると「要注意」で、対策が必要とされます。
高山病でダウンした人は、60%からそれ以下の値になっているとの事ですちなみに平地での濃度は、96〜98%程度との事です。参考の為に若いシェルパの測定結果は、標高4350m地点で血中飽和酸素濃度=90%、脈拍数=65回でした。
次に私の測定結果を書いて見ます。

標高(m)

脈拍数(回) 血中酸素飽和濃度%
健康診断時 65 測定せず
3450 105 85
*3450 98 84
3860 95 86
*3860 96 86
4350 90 83
*4350 96 87
4930 86 77
*印は高度順化の為に同じ所に滞在している。

脈拍数がベラボ―に高いですねー。皆さんはこんなに高くなかったみたいです。良い事なのか、悪い事なのか分かりません。最終回、ロブチェでの値が脈拍数も、血中酸素飽和濃度もガクンと下がっています。80%を切った、さあ大変だ!!
実は夕食前に時間潰しをかねて仮眠を取りました。その時ここまで来たらもう大丈夫と思い、前述した頭痛対策として鎮痛剤を服用したのです。精神安定効果があり、呼吸数が低下し、酸素の供給が低下するのでしょうか?

オシッコを沢山しろ!!
オシッコをすると新陳代謝が促進され(新陳代謝が促進されるからオシッコが出るのかな)、血中酸素飽和濃度が改善されるそうです。だから「水を沢山飲め。そしてオシッコをしろ」となります。
究極の対策が、「利尿剤を飲んで、強制的にオシッコを出す」です。測定検査が夕食前ですね、だから利尿剤を飲むのは夕食後・つまり寝る前です。オシッコが出てくるのは真夜中です。暖かいシュラフから抜け出て、寒いトイレに!中々勇気が要ります。
でも良い事もありました。物凄い冬の星空が眺められました。50年も前、子供の頃に見たあの澄んだ星空でした。
トイレに起きる回数は、大体5〜6回程度のようです。
本当かどうか知りませんが、誰かが言っていました。高度1000mで水を1リッター飲めと。5000mなら5リッター!!これは一寸無理としても、、スープを一杯余分にとか、茶店でホットレモンとか、出来る限り水分は補給をしました。

高度に慣れろ
ロブチェ4930mからカラパタールに向かう時の事です。私達に早い軽食を食べさせ、後片付けを終えたキッチンボーイ達は先行してゴラクシェプで私達の朝食を準備するために、早朝の暗い中を荷物を背負って、ランプも無しに走りながら私達を負い越していきました。流石ですねー、慣れる事は凄いです。ちなみにこのときの朝食は8時、”お粥”と”ぜんざい”でした。

ナムチェバザール、タンボチェ、ディンボチェでは、夫々1日滞在(2泊する事に成る)をして高所順化に当てられました。この日は、つぎに宿泊をする地点と同じ標高のところ迄お出かけをします。効果はありますね。この日は私の頭痛も治ります。

通常の日は、1日かけて高度を500mほど上げていきます。ところが高度順化の日は「お出かけ」と言っても、半日で同じ位かそれ以上の高度を稼ぎ、そして降りてきまます。だから結構きついですね。「少しきついくらいにしないと、効果がありません」とは、ツアーリーダーの内緒話です。
高所順化の登行と言っても舞台が舞台です、500mも高度を上げると、実に素晴らしい風景が眼前に広がります。
ナムチェではエベレストビューホテルまで足を伸ばしました。そこでは、平山画伯が薬師寺の玄奘三蔵院の壁画に描いたのと全く同じ風景、”須弥山”の世界が広がっていました。
タンボチェでは、東の尾根のピークに登りました。背後には氷を纏った”カンテガ”、対岸には聖なる山”クンビラ”のゴツゴツした岩山、眼下にはタンボチェゴンパが、夫々タルチョーがはためく向こうに見えました。
ディンボチェでは、西側の尾根に登りました。イムジャコーラ沿いの”ヒマラヤヒダの美しいカレンヤムー”を見たときには、思わず感嘆の声が出ました。「ヒマラヤの山だ!!」と思った瞬間でした。

高山病には
誰でも皆、罹っているんではないでしょうか?ただその時に、風邪を引いているとか、下痢になったとか、体調を崩してしまうと辛さが増すのではないでしょうか。
14日間も歩き続けることは余り有りません。だからそれなりに、歩く力も付けました。整腸剤も前もって服用して、下痢対策もしました。それでも、オッカナビックリ、現地では腹八分目、夜は水筒を利用した即席ユタンポで暖かくして寝ました。そのおかげ??元気に帰ってくる事が出来ました。
ヤセでチビは、高山病には罹りにくいとか・・・*1。
ちなみにその時の私は、165cm・56kgでした。

*1::でも分からないですよ。私の友人でスリムで小柄な女性がラサに行った時、高山病で寝込んでいたもの。7日間のツアーで4日ダウンしたそうです。彼女の場合四川省の成都から飛行機で行ったから、体が追い付かなかったのだろう。
ちなみにこのツアーの出発地点カトマンズは、1600m位だったはず。
(cocotinoコメント
)