旅のノート
遥かなりバルトロ氷河
以下当初計画
1日目:成田発
14:00〜イスラマバード着21:05
2日目:イスラマバード滞在、トレッキングの公的手続き、
3日目:イスラマバード空港発
09:30〜スカルド着10:30
4日目:スカルド滞在
5日目:スカルドからトレッキングの出発地点アスコーレへ(ジープ)

所が…まあこれからの事を読んで見てください。

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1日目 オイル洩れ
(7/11) 機長のコーランの読経が終わって、機は定刻14:00に成田を飛び立ち、定刻に寄港地北京に到着しました。所がランディングの途中で停まってしまいました。何処からかオイル漏れがしているとの事、修理に2時間程度かかるとか。でも、待てど暮らせど直りそうな気配がありません。待つ内に機内食が出てきました。停まっている飛行機で、機内食を食べたのは初めての経験です。
21:45 ついにトランジットルームへ移動する事になりました。
02:55 もう翌日です、とうとうホテルへ。「もっと早く決断してよ」

2日目 ホテルでウロウロ
(7/12) まだ直っていないみたいです。出発がいつになるか不明ですから、遠くには出掛けられません。ホテル前の通りの、バザールみたいな汚い店を見て歩いて時間潰し。
15:00 ホテルを出発して空港へ。
19:00 ヤット飛行機に乗れました。退屈で、いらいらさせられた24時間の”北京の休日”でした。
22:17 ヤット、やっとイスラマバードに着きました。パキスタンは、遠い国ですね。
結局、飛行機は本国から回送してきたそうです。

3日目 KKHをバス旅行
(7/13) スカルドに移動するためにイスラマバード空港に向かい、到着した直後の8:00に”フライト キャンセル”と電光掲示板に表示が出てしまいました。(スカルドの空港には自動誘導装置が無く、それで天候が悪いと飛べないのだそうです。飛べる確率は30%程度だそうです。)
キャンセルという事は、これから2日間を掛けて陸路スカルドに移動するという事です。皆から、落胆の声が上がりましたが、内心私はニンマリ。カラコルムハイウエー(KKH)は、6年前にフンザに向かった時に通った道です。6年間の変貌振りが、この目で見られる事になります。(6年前のKKHの姿は、私のwebサイト”パキスタン・カラコルムハイウエーにに沿って”を見てください。)
21:00 チラースのホテルに到着。(6年前には、ここで昼食を摂りました)

4日目 大変だ
(7/14) 6:30 ホテルを出発してスカルドへ向かう。
インダス川は、ギルギットの南約40kmくらいの所から急に東の方に流れが変り、スカルドに向かいます。道路もそれに沿って方向が変ります。KKHに別れを告げ、支流のギルギット川を渡った所で、どうやらこの先で”土砂崩れ”が有り不通になっているとの情報が入った。スカルドの方からやってきた人の話では、この先15kmくらいの地点から約50kmの範囲で16ヶ所も土砂崩れが発生しており、夜を通して歩いてきたとか。絶望!! 兎に角、現場を見ようとと進む。車がずらりと並んでいる。
10:00 スゴスゴと,とりあえず食事の出来る町ギルギットへと転進する。

15:00 
スカルド側から、軍が復旧に当っているそうだが、本日の復旧は望みなし。本日はギルギット泊まりと決定。バザールや磨崖仏などを観光しました。まだまだ気持ちにユトリ、でもトレッキング中の予備日が1日なくなりました。

5日目 不安がチラチラ
(7/15) :30 スカルドに向けて出発。こりゃ駄目だ、今日中には復旧しそうに無い。幹線のKKHもやられているから、ギルギットに有る軍がこちらには回れないのだそうです。まあ、ラカボシ、ディラン、ナンガパルバットが見られたのが、せめてもの慰め。
10:00 ギルギットに舞い戻る。首脳会談の結果、「軍のヘリコプター」
をチャーターしてスカルドに向かおうとなり、それを待ったがついにそのヘリも姿を見せませんでした。きっと軍の高官が私用に使っていたのだ、コノ野郎。ついに又々ギルギット泊まりと成る。二日有った予備日がこれで無くなった。「ガッシャブルムBCまで行けるのだろうか?」と、不安がチラチラ。
「明日は、土砂崩れ箇所を歩いて渡りります。渡り終えた地点には、スカルドからジープをチャーターして配車しておきます。皆さんの荷物は、ポーターを雇って運んでもらいます」やれやれ、スカルドには行けそうだ。

6日目 運が付いてきた?
(7/16) 6:00 ホテルを出発。
7:20 崩壊現場に到着。手荷物だけを持って現場を歩いて通る。さすがに復旧も相当すすんでおり、1時間後渡り終える。断崖絶壁が崩れているのだと思ったら、比較的傾斜のゆるい所の土砂が、水に押し出されていていた。巨大な岩石もあり、取り除くのが大変だっただろう。
 9:50  荷物の到着を待って、ジープでスカルドへ向かう。
16:15 スカルドに到着。バンザーイ。
所がです・・・・。スカルド〜アスコーレ間でも崖崩れが有って、不通とか。歩いていたら、1日では到着しないよ!!!。でもこの辺りから「運」が付いてきたようです。崖崩れの向こうに、ジープが閉じ込められていて、崩れの現場さえ渡ればこれが使えるのだそうです。

7日目 アスコーレに着ました
(7/17) 土砂崩れ現場の土砂の量は相当のものでしたが、1ヶ所のみで広くは有りませんでした。ジープも待っていてくれました。ポーターはもう沢山居ます。荷物が運ばれるのを待つ間、周りの花々を写して待ちました。
断崖絶壁の道も凄いですが、切り返しをしなければならない急斜面の道とか、巨岩の散らばる川の中の道とか、想像を絶する道でした。国土交通省なら、確実に通行止めですね。

これがアスコーレに着くまでの、長〜い道のりの一部始終です。イスラマバードとスカルドで各1日間計2日間の滞在を含めても、5日間で着く所を、7日間もかかってしまいました。改めて「バルトロ氷河」は、実に遠い、奥深い所にあるのだと実感しました。順調に着ていれば、そうは思わなかったでしょう。
そうそうその後のトレッキングは、天候にも恵まれ順風満帆。使い果たした予備日も、全員が健脚を発揮して6日行程を4日で歩いて取り戻しました。お陰で帰路には温泉に立ち寄り、疲れと汚れを落とす事が出来ました。