ご先祖様 その1 両親
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園主 田中 基義の両親
田中 貞次 武美為

川口市峯で、鉄砲ゆり、枝もの
五葉松等を栽培、東京の市場へ出荷していた。

写真は枝ものの木瓜で関東東海花の展覧会で
農林水産大臣賞を受賞した時

副賞の花瓶を持っている
その2  祖父
園主基義の祖父 田中義康

昭和11年11月号の農業世界という月刊誌に
記事が載っている

残念だが写真が残っていない

聞くところによると、ご近所の赤ちゃんに命名したり
東京へ生け花を習いに行ったり八幡神社でお囃子をしたりと多才な人であったようだ。

仕事も早めにしまい、将棋をさしていたということです

先日、ご近所の70歳位の方と話をしたところ、義康さんに兄弟全員命名してもらったという事でした。



本の裏表紙昭和13年の園芸日記 金85銭とある
171ページ

案外に金のあがる木物
 「雪柳と小手まりの促成法」
埼玉県新郷村 旭峯園  田中 義康

の文が4ページに亘り書かれている
その3 曽祖父
園主 基義の曽祖父 田中 八郎

昭和9年の本に載っている

聞くところによると、八郎さんは、大変苦労をしたようです

小さい頃子守奉公に出され、苦労して峯の土地に居を定めて、植木栽培を始めたそうです

当時、東京上野市場に出荷をしていました。市場での屋号は八郎です

そのせいか、市場では今でも「あー八郎さんかい」という人がいます。


背表紙

「観賞と副業を兼ねた有利な庭木の切花栽培」
  旭峯園  田中八郎

9ページに亘り書かれている
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