バンコク・アユタヤ

2002年12月27日〜31日



































315時起き 8時30分離陸  30 バス軽い接触事故 アユタヤ,感動 象に乗る、怖い 暑くて体がだるい 免税店で装飾品 自由時間にビヤホール ビ1700 29日オート三輪 ローズガーデン 人員確認しないガイド ビ2000 28日川風に吹かれながら朝食 水上マーケット 寺院巡り 午後店3軒、飽きる 露店 ビ1400 27日3時までのんびり 成田でのんびり 機30分遅延 バンコク出迎え来たらず,タクシーでホテル ビ0 28日 bangkok3 カミさんは、ガンの手術のあと、生きているうちにやりたいことをやるのだと決めたらしく、その生き方の忙しいこと。 東海道53次を歩くのだと毎週出かけていく。アスレチッククラブにも通い、太極拳に熱を上げている。エステテックも通っている。お花の教室にも通っている。それに朝から晩まで仕事もしている。はたから見ると鬼気迫るものを感じるが、本人は涼しい顔でこなしているのにはたまげてしまう。 今回のタイ旅行も、仕事柄タイ人と接する機会ができて、そのタイ人の文化的背景を探りたいという願望から始まっている。私は暮れのこの時期は、どこに行っても料金は高いし込んでいるので、家でのんびり過ごしたい。しかし、カミさんはこの時期にしか行く機会がないということで、料金の高い時期の旅行となったのである。 格安料金の約2倍の価格になるので、お金のない私としては絶対反対なのだが、この世に未練を残さないと意志をもう阻止はできない。 出発前にはあるじゃのんさんのホームページもしっかり読み、下調べをしました。 28日、 川風に吹かれながら朝食。水上マーケット巡り。 寺院巡り。午後ショッピング3軒、イヤになってしまう。夜、ホテル近くのを徘徊。 インターネットのできる店を見つける。露店で串焼きを買う。 29日、花のマーケット。オート三輪(ツクツク)に乗る。 ローズガーデンでショーを見る。ガイドは人員を確認しない。サービス業が解っていない。 30日、バス軽い接触事故。曲芸みたいに運転しているのだもんね。 アユタヤで感動。 象に乗る。かなり怖い乗り物だ。暑くて体がだるい。免税店でカミさんは装飾品を買う。私は文句が言えない。わずか30分の自由時間にビヤホールで飲む。バンコクは賑やかな町だ。 31日、モーニングコールの前に目が覚めた。カミさんがコーヒーを入れている間にメールチェック。この忙しい時間でもコーヒーを入れるという頑固さ。でも意外と心が安まる。空港でも携帯ポット入れて持って行ったコーヒーが提供される。 5時10分、チェックアウト。電話代が370バーツ。日本にいる息子にかけた電話代が280バーツ。インターネットに使った電話代は90バーツ。約270円であった。 帰りの迎えの業者は、初日に空港に出迎えるはずの業者であった。お詫びの印に民芸品を手渡した。 出国審査は厳重。 出国審査のあと手荷物検査。妻の荷物はいままで引っかかったこともない。だけどここの審査では手荷物が2回も機械にかけられ、さらに内容物を実際に調べられた。その原因は化粧用品を入れ小さなたバックに入れられた棘抜きが原因であった。 そのほかの人も金属探知器が頻繁に鳴り、何度も検査をさせられていた。 搭乗機は成田経由ロサンジェルス行きだからか、さらに搭乗待合室に入る前に厳しい検査が行われた。機内持ち込みの手荷物検査が実施される。これは係官が内容物を実際に外に出して調べるものであった。人間の方は両手を上に上げさせられ金属探知器で身体をくまなく調べるものであった。見ていると中東系の人は心なしか不安そうな目つきであった。グラマーな米国女性の姿はなかなかなまめかしかった。(^^;) 乗客は誰も文句を言わない。当然私も文句はまったくない。私としてはたとえ裸で搭乗させられても、テロに巻き込まれるよりぜんぜんよりである。 機内の客室乗務員も男が目立った。中にはがっしりした体型の目つきの悪い客室乗務員もいる。もしかしたらガードマンもかねているのだろうか。 希望通り窓際の席を占めることができた。しかしその席は、翼の真上の非常出口に面していて座席の横には窓はない。がっかりである。その代わり足が伸ばせて、トイレに行くのも誰も煩わせることがないという利点はある。 で、無事に帰ってきました。この部分は飛行機の中で書きました。また機会がありましたら感想を書かせて貰うかもしれません。

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