知人の台湾旅日記(2000.7/25〜7/28)

お二人の台湾4日間。8月のピークには10万5千円になるこのツアーは
25日までは5万円ということで休暇をもらって早めの夏休みとした。

 7月25日 京成電車で成田空港第2旅客ターミナルに到着 出国審査を
待つ間に次回のために出入国カードを10数枚確保。この簡単な書類の作成
を業者に頼むと4000円する。用紙さえあれば前もって書いておけるもの
である。

 出発は日本アジア航空EG−201。日本アジア航空は日航の中国路線を
開設に伴い日航の100%出資でできた子会社ということで、駐機場は日航
機が並んでいる場所のど真ん中であった。機体はJA8189、ボーイング
747−346。10時30分定刻に離陸。座席26K、やったー窓際であ
る。離陸した機は三宅島上空で進路を台湾に向けた。残念ながら三宅島は見
えず。

 タイペイ到着1時間ぐらい前トイレに席を立った。真ん中のトイレは待つ
人が多いので一番後ろのトイレに行った。出てきたら私を呼ぶ声。若い女性
が私を呼んでいる。3年前のお客様であった。こんなところで会うなんて実
に驚いた。

 台北空港到着。空港の両替所で5万円を台湾元に替える。1元3.62円
で13800元。



  空港からは高速道路をバスで高雄に向かう。65歳ぐらいの現地添乗
員のBさん、日本人以上に日本の事に詳しいことに驚かされた。お父さ
んが早稲田大学出身で、家は大陸から国民党が来るまでは相当裕福であ
ったようである。しかし、日本人に日本の話をしたくてたまらないらし
く、台湾の話をしないのには旅情がわかずまいってしまった。何しろバ
スの中では風景などそっちのけで赤穂浪士の話とか本居宣長の話を朗々
とするのですから。

バスで一路南下した。
13:55 台北空港発
14:30 新竹 外気温36度
14:55 竹南
15:25〜45 泰安 休憩、初めて台湾のお金を使う。
17:23 新営 Bさんの説明が説教臭くてうるさい
17:50 鰻の養殖池らしい光景が続く
19:00 高雄到着 

台湾は九州くらいの大きさと言ってもバスは時間がもったいない。 
 高雄ではまず六合夜市に行く。34人のツアーの団体が狭い道に
ひしめき合う。誰も何も買わない。私は草笛みたいな物を買った。
売っているおじさん喜んで話しかけてきたが団体なのですぐ離れな
ければならず残念。夜店は団体で行くものではない。

 夜遅く華王大飯店に到着し夕食。このツアーはどこでも食事時
間をかなりずらしている。これがツアー料金を安くできる理由か
もしれない。



夜中、近くのセブンイレブンに行く。あの独特のおでんの匂い
がしたのには驚かされた。
おでんは関東煮と表示されていたが、まさしく日本のおでんであ
った。
 御弁当コーナーを覗く。まさしく「御弁当」と書かれているの
である。内容は日本と似た品ぞろい、お稲荷さんまである。この御
弁当であるが、台北では「御弁當」の表示の方が多かった。
 セブンイレブンのほかにファミリーマートがあちらこちらで目に
付いた。
 バスなどの冷房がきついとカミさんはストッキングを購入。本当
にバスの中は寒かった。



26日6:00モーニングコール。食事はバイキング。食べる量を
極力抑えるようにしているが、それでも少し多めに食べてしまう。

建設が中止されたビル・鉄骨に錆び



 バスに乗り、まず免税店に行く。お付き合いでお茶を購入し店を出
て街を散策。
 建設途中のビルが放置されている 。20階ぐらいあるのだろうか上
部の方は錆が出始めていた。10階建てのビルがコンクリを流したまま
放置されているのも見た。台湾経済も大変らしい。
 裏道に神社があった。写真を撮ろうとしたら洗車場のお兄ちゃんが
バイクをどけてくれてシャッターを押してくれた。親切だナー。
 小さな消却炉で紙を燃やしている人に出会った。60過ぎぐらいの
人で日本語が少しできる。写真を撮って日本から送るよと話をした。
 路地の日陰では少女が机を外に出して勉強していた。自分の部屋で
孤独に勉強するより外のほうが気持ちよく勉強できるなと感じた。
 集合5分前にはバスに間に合った。

 三鳳宮に行く。道教の聖地らしい。

 寿山公園。街を一望できる高台。大きな港が見える。大きな街
なのだ。

 清澄湖。付いてきた写真屋が写真を撮りたがっている。どっちみ
ち買うことになるのだから旨く撮ってもらうことにする。
 公園の中に養蜂場があった。いろいろ講釈している。蜂蜜を買わさ
れるのかな、
と思った。

台南ににて昼食。飲茶。

 赤嵌楼、オランダ人によって建てられた煉瓦と基台が当時を語る。





 
笠木が外され中華民国のマーク
 延平郡王祠、鄭成功のこと「忠ならんと欲すれば孝ならず」の意味
を知る。
 日本の御輿が保存されていた。国民党により日本の物は全部破壊さ
れたが御輿はほとぼりが冷めるま現地の人より隠されていたとのこと
であった。
御輿は飾り物が無くなっていたが大切にされていたのがひしひしと
伝わってくる。
 鳥居の最上部の横に渡された笠木が外されそこの真ん中、額束の
部分に中華民国のマーク。ある女性が、あれは何かと問えば、Bさ
んはあんな物関係ないと吐き捨てた。Bさんは国民党と一緒に台湾
に来た外省人が嫌いらしい。
それでも台湾の軍人として金門島やベトナムに行ったらしく、あん
な物に十数年間敬礼していたと自嘲気味に笑った。
 笠木は大切に保存されていた。大陸から来た人々は日本の面影が
ある物を排斥したらしいが、元から居る人々は日本に恨みなどなく
、いろいろな日本の物が大切に保存されているのを感じた。

 バスの中でBさんは、大陸から兵士が来ると言うことで港まで
出迎えに行ったら、乞食みたいな兵士に腕時計を取られた話をした。
 蒋介石軍の兵士が村にやってきて知人の若妻が強姦され数人が殺
され、駆けつけたBさんはなにもする術がなかった話。
 185cmの立派な体格のそのBさんは少し前まで軍人として高い
地位にあったらしいが、それらの出来事が未だに悔しくて仕方がな
いらしい。

 高速道路から見える立派なお墓も、苦々しく説明していた。
台湾の形は芋に似ている。外省人は豚。豚が芋食って太って、
その豚はアメリカに行ってしまう、なんて例えていた。
 大陸と一緒になるのだったら日本の植民地になりたいと切々
と語ったのには台湾のおかれている現状をかいま見た。




   高速道路で新竹到着。台湾のシリコンバレーを通過。普天宮
に行く、巨大な関羽像があった。

 城隍廟、屋台が林立しているところをすり抜けて廟に付く。
赤鬼青鬼やら一杯。
Bさんの解説で日本の風習との関連がよく解る。
 出口では、これまたBさんの解説つきでみなビーフンを買っていた。
 私は少し離れたところでコーヒーを売っているところで高校生みたい
な少女が文化祭みたいなのりでコーヒーを勧める。思わず買ってしまっ
た。ツアーの集団が遠くに行ってしまったが、できたてのコーヒーをす
すり「好吃」と言ったらはじけるように喜んだ。私はこっちの方が可愛
いくていいな。

 凱撤大飯店(シーザーホテル)到着。
 台湾料理を食べ終わると時刻はもう9時である。急いで街の散策に
出る。15分ほど歩いて新竹駅到着。駅の改札口でじっとしていると
そこにとけ込んでします雰囲気。皆忙しそうだが喧騒といった感じは
ない。そこでも老人と日本語で簡単な話をした。

 帰り道果物屋でドリアンを買うことにした、青年と中国語の単語を
並べて一房だけ買おうと努力したが拒否され結局1個を購入。600円
ぐらいだった。、店先で2房を食べたがマレーシアで食べたものほど旨く
はなかった。残りはガムテープで匂いが漏れないように頑丈に封印して
冷蔵庫に入れておいた。

27日、モーニングコール6時。朝食は軽く取る。カミさんはしっかり
食べていた。
 写真屋に写真を売りつけられた。1000元、3620円。


 昨夜買ったドリアンを冷蔵庫からだしバスの中に持ち込もうとしたら
バスガイドの女性に拒否されたので仕方なく外で食べ始めた。結局、食
べきれないので近くのゴミ箱に捨てることになったのでした。その日は昼
過ぎまでドリアンのげっぷが出そうだった。初めてマレーシアで食べたと
きは本当においしいと思ったのだが。

 宝石店に連れて行かれる。カミさんはネックレスを購入。
 黒檀の家具売り場に連れて行かれる。私はトイレだけ借りて外に出る。
 小鳥をたくさん飼っている家の前で鳥を見ていたら主人が出てきた。片
言の日本語を話すが意味不明。写真を撮り、後で送るとので住所を教えろ
と言ったら、字が書けないらしく家の中に私を招いた。家の中を通過して
表の入り口のところに住所の札あり、それを書き写した。名前はテイフク
ゲンと名乗った。フクゲンは福元とわかったが、テイはテイセイコウのテ
イと言った。私は漢字が思い浮かばなかったが、鄭成功は有名なのがこれ
で解った。
 バスが動き出す前に戻った。ツアーでショッピングに連れて行かれてそ
の時間に自由行動するのは難しいこともある。いつも迷惑はかけないよう
に集合の5分ぐらい前までには戻るようにしている。まあ、自由行動と言
ったって、外の道を一直線に行って曲がって曲がって帰ってくるだけでは
あるが、外の空気は旅を感じさせてくれて、ほっとできるのである。




台北に向かう。
 孔子廟、隣接のホールでは夏期講習であろうか沢山の子どもたちが勉強
していた。
ラジカセで日本の軍歌を流しながら我々に付いてきた初老の男が居た。
Bさんが、彼の青春は戦争で止まっているのだ、と語った。
その男、我々のバスに何時までも手を振っていた。

 忠烈祠、台湾の靖国神社と言ったところ。Bさんは若い私服の兵士と談
笑していた。軍隊にいた現役時代は相当な地位にいたらしい事が解る。こ
の太陽がぎらぎら照りつけて日陰にいないと目眩がしそうな日中に、門に
たつ衛兵は瞬きもせずじっと立っている。之は拷問に近いのではないか。
北京でもそうだったが中国はこう言うのが好きだなー。Bさんは後で自分
の部下にはあんな馬鹿げたことはやらせないと言っていた。
 私もあんな風に立っていられるか日陰で試していたら、数人が私を注視
していたらしく笑われてしまった。わずか1分ぐらいでもきつかった。
 11時衛兵の交代式が始まった。観光客がぞろぞろ付いていった。

 さあ次は食事と思いきや、免税店にご案内。すぐに外に脱出して、トイ
ザラスの見学。コーヒーショップで一休み。免税店に戻り1000元の時
計を800元に負けさせて購入。別に欲しくないのだが腰にぶら下げる形
式なので、腕の時計がはずせてそこに汗がたまらず具合いがいいのがわか
った。

 次はやっと昼食。モンゴリアンバーベキュー。肉だな野菜だの丼にとっ
て調理場に持っていくと、直径1.5メートルほどのドラム缶の横にシャ
ベルみたいな棒を持った男が2人立っている。受け取った丼の物をその上
にぶちまけてドラム缶の形をした台の上の鉄板でいためてくれる。相当な
火力らしく外まで熱が伝わってくる。大変な仕事もある物だ。その食べ物
としゃぶしゃぶであった。なかなか豪快な食べ物で台湾に来た気がした。

 次は免税店。無料のコーヒーを飲みちょとだけお付き合いして外に出
る。
 野鳥の会みたいな店があった。署名簿に自分の名前を書いた。珍しい
汽車の写真集を購入。




   故宮博物館に到着。時間は1時間半。Bさんが手際よく解説するとい
うので、私ら2人を除いた32人はBさんに付いていく。
 展示物を見て吃驚した。先日上野で則天武功の時代展があり見てきた。
そこでも展示物には驚かされたが、そんな物ではなかった。時間的にじっ
くりは見ていられないので、琴線に触れる物だけ見ることにした。
 どこかで見た絵があった。あーこれこれ、「清明上河図」である。以前新
聞で見て、新聞の荒い印刷ではなく綺麗な写真を見たいと思っていた物で
ある。その実物が目の前にある。じっと見ている暇はないので土産物屋に急
いだ。CD-ROMが1600元で売られていた。棚の上には40×30×7(
cm)の「清明上河図」と書かれた頑丈な箱があった。その辺では一番高
価なもので4900元。之は大きくて持って帰るには面倒なのと高価なの
でCD−ROMを買うことにした。それを持って階段を下りるとき、此処
まで来てケチなことすることはないと、と気が変わり急いで売り場に戻る。
「チェンジ?」と従業員。喜んで交換してくれた。買って良かった。本当
に欲しい物は無理しても買うべきだと、喜びの中で思った。この本、日本
に帰ってから中を見たら、巻物、全長11メートルある絵のコピー
が約5メートルの巻物になっている。CD−ROM。中国語の解説本、。
などが入っていた。これはお買い得であった。これらはあとでゆっくり
見て楽しむつもり。

 次は少林寺拳法を見に行くのだとバスに乗る、到着してみれば、男が
焼けた鉄の鎖に手を付けて、薬を塗れば火傷をしないなどの演技。何の
ことはない漢方薬の押し売り。足をテーブルにのせて健康診断。一対一
で薬を売り込んできた。私は「没銭」「ノーマネー」と無視。でも売り子
に私の中国語を直された。これは勉強になった。

 夜もだいぶ遅くなってきた、さて今度は夕食と思ったが、Bさん、石
焼き鍋は熱するまで時間がかかるのでその時間を利用して美味しいお茶
の入れ方を伝授と店に連れて行く。

 それが終わってやっと夕食。石焼き鍋と北京ダック。

 食事が終わったら、掛け軸の宣伝。ちょっと買いたくなったが日本円
で15000円の値段にあきらめた。

 やっと到着したホテルは今までショッピングのために通過した場所に
あった。なにしろ持っている金を全部吐き出させようと躍起になってい
る。仕方ないな。航空機代にも満たない料金でのツアーだから、そんな
ところで儲けないとやっていられないのであろう。その晩は外に出るこ
ともなく大人しくバタンキュー。




28日
 最終日の朝は割とゆったりとした時程。朝食の前に街を散策。関羽を
祭った祠があった。その前でお供え物を売っていた。どうも個人が祠を
作りそこに備える物を売るのを商売としているのではないかと感じた。
 近くの高校では夏期講習であろうか大勢の生徒が歩いていた。生徒達
の中には昼食であろうか屋台や食べ物屋で食べ物を買っていた。
 ホテルに戻り、朝食の場に向かう。本日の朝食は屋台とのことで、
街の食堂で取る。
私は近くの果物屋で桃を1個購入18元。他の人も買いに行ったが食べ
きれない量の果物を抱えて帰ってきた。

 バスは台北駅の方に向かった。
 中正記念堂、蒋介石を祭った建物。まるで北京の天壇のような建築物。
色もそっくりで大きさはそれより大きい。蒋介石が大陸反抗できない悔
しさが伝わってくるようである。

 広大な敷地の入り口に北京の故宮にある太和殿のような広大な建物が
2棟。Bさんは、あの建物を受注した会社の社員数は3名、社長は蒋介
石の孫、設計がでたらめで今は使うことが出来ない、と怒り心頭のよう
な解説。それでも昔、こんな事を言えば次の日は居なくなっている、
とも語っていた。
 何でも言える世界は爆発のエネルギーが潜航しなくて良いのかも知
れない。良い子で居た子供、優等生の子がある日突然狂うこともある。
茶髪、ピアス、ガングロでガス抜きをしていたほうがいいなかな、なん
てことをふと考えた。 Bさんも口は悪いが台湾を愛していることがよ
く解る。

 次にだめ押しみたいに免税店へ。冷房の効きすぎる店で、トイレだけ
入って外に出た。一休みと座った石が暖かくて心地よいぐらいであった
。台湾はどこでもクーラーの設定温度が低すぎる。
 その免税店の回りは日本語で表示された看板がひしめいていた。夜だ
ったら楽しそうな場所であった。

 台風が九州の方に向かっているらしい。飛行機の揺れを覚悟して搭乗。
3人のグループの一人が窓際になり、席を交換する人を捜していた。す
かさず私が交換。カミさんとは席が離れるが、窓際の方が断然良い。台
湾から離れた機はあつく垂れ込めた雲上を進んだ。高度10000メー
トルとアナウンスがあった。その上にまだ雲があるところを飛行してい
た。台風の影響を心配したが以前中国に行くときに体験したフォークが
飛ぶような揺れはなかった。朝録画したという日本のニュースにはコン
コルドが墜落する場面が流れていた。

 雲の切れ目から海面に大型の船が見える。銚子が見えてきた。窓から
外を食い入るように眺めているうちに成田着。ああ面白かった。



  バイク、台湾では実にバイクが多い。それもほとんどスクータータイ
プである。自転車を見かけたのはほんの数回であった。
 朝のラッシュ時などのバイクの群は、はまるで北京での自転車の群の
ような感じ。さぞその駐車場は大変と思いきや、道路際の駐車でも割と
整然としていてきちっと停めている。日本の駅前の自転車のような乱雑
さはない。
交差点の停止線の前方にもバイク専用の四角いエリアがありバイクが
停止できる。交通渋滞の中でバイクが優遇されているのが解る。
と種を拾う。
熱帯地方だー。


外出装備 2000 7/25(火)から28日(金) 台湾

中山6:18 船橋      船橋      空港ビル7:18  60分
中山7:00 船橋7:07  船橋7:14 空港ビル7:56  56分 これで行く
中山7:20 船橋7:30  船橋7:35 空港ビル8:15  55分

成田集合8:30 第2旅客ターミナル 3階Hカウンター 27-29 
座席は手続き順
出発 10:30 EG-201

旅券、財布(現金)、 旅行日程表 出入国カード ステッカー 
バッジ クレジットカードOMC  海外旅行傷害保険 
鍵、時計、眼鏡2、QSLカード、運転免許証

医薬品
酔い止め薬 太田胃酸 メンタム、救急絆創膏  ガーゼ 消毒薬 
 はさみ、刺抜き テーピング 目薬、  トローチ 浣腸 ノーシン 
体温計 防虫剤  ムヒ 皮膚薬

手帳 電子辞書、中国語流暢 ボールペン、鉛筆、マーカー、
電卓、ノート 糊 

書籍(台湾のガイド )

カメラ(kiss)、バッテリー マイクロ三脚、フィルム(6本)

タオル2、歯ブラシ 髭剃り、ティッシュペーパー、

着替え
パンツ3、シャツ3、靴下3、短パン兼用海水パンツ、 長袖

裁縫道具  布テープ、簡易工具セット、ラジオ、双眼鏡、
懐中電灯  扇子 ライター、透明袋 ゴムバンド、十徳ナイフ
 傘 スリッパ 

スーツケース 肩掛けバック 

出で立ち パンツ ズボン ポロシャツ Yシャツ 
靴下 靴 帽子





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