1月3日から2泊。駆け足で上海に行ってきました。
以下、上海旅の日記です。

2008年1月3日
京成電車に乗って成田を目指した。
船橋駅で特急に乗り換えて驚いた。今まで成田に向かう電車で座れないと言うことがなかっただが、
座席に空きはなかった。乗っている人に西洋人が目立つ。たぶんスカイライナーと大して時間が変
わらない、特急料金の要らない特急列車の存在が知られてしまったのかと思う。これ何処か新聞だ
かで読んだ記憶がある。

成田空港はかなり混雑していた。朝ご飯を食べてないが、経費削減で握り飯を買って食べる。
yahooの無料インターネットの部屋があった。パスポートを見せてわずかな時間だがネットを楽しむ。
パソコンの数はざっと見て30台以上か。

飛行機の座席は窓側。晴天で地上がよく見えた。豊洲の辺りは地図通りの光景が展開された。
機内食が出た。牛肉とご飯、おそば、どら焼き、正月セットみたいなもの。
雪を頂いた山の上を通り、琵琶湖通過、広島が見えてきた。雲の間から関門海峡が見えた。

海の上に出て、程なく上海の空港に着陸。
飛行機からはタラップで降りる。巨大な飛行機の真下に降りたりちょっとばかり興奮気味。
飛行機に渡された通路を歩いて空港のビルに入るより面白い。

ツアーの参加者は総勢16人。4人家族が1組、若い女性2人組が1組、後は熟年夫婦6組。 





豊洲・エアバス340-300より


甲府盆地


広島


機内食



関門海峡


上海・浦東空港・タラップで降りる


南翔で出されたお茶・つかみ方が難しい。飲むと葉っぱが口に入る。


1日目昼食・南翔・小龍包・肉汁がうまい


小龍包の店

南翔・古奇園


ワイタン(外灘)


東方明珠塔 トンファンミンツウター



外灘・観光客で大にぎわい。


1日目・お茶の店・さっそく買わされました。

上海1日目の夜・四川料理

ホテルにはLANが


この本はいいです。



2日目の朝飯



ホテルの前の通り


泊まったホテル外観 フォーポイント バイ シェラトン



蘇州


蘇州・寒山寺


蘇州・寒山寺


蘇州・シルク店・真綿の布団を購入・これはいい物でした。



蘇州・留園



2日目昼・蘇州・昼・左上がおこげ料理?


上海・豫園(蘇州から約100Kmの上海に戻る)


上海・豫園の外側 2月7日の旧正月向けてにぎわっている



南京路・食料品店



南京路



2日目夕食・上海がに、感動で焦点が合わない



黄浦江(ファンプウジャン)クルーズ



3日目朝。リニアモーターカー上海駅


上海浦東空港


帰りの機内食



バスの車内で、ガイドが発展する上海の説明を始めた。後ろから「車が汚い」など
声が聞こえる。これから先こんな奴と一緒に回るのかと思うと、いやだな、なんて思った、

ビルの谷間を走って郊外に出た高速道路は片側4車線。南翔というところで昼食

出されたお茶が傑作。薄いプラスチックのコップで熱いお茶が出されたのである。
コップを持ち上げるのも力加減が難しい。強く握るとつぶれる。軽い力だとつかめない。 


ロボット工学では難しいところだ。

コップの表面にはお茶っぱが浮いている。葉っぱも一緒に飲めといった感じで、
飲めた代物ではない。

小龍包が出てきた。うまい、うまい。ほかの料理もうまい。
だけど、皿が一枚。日本だったら5.6枚は皿が出されるところであるが、たった1枚。
でも中華料理としては食べやすい。昔ハルビンで油がぎらぎらしたのを食べたが
はるかに油が少ない。

テーブルで煙草を吸い始めた人が居た。中国に来るととたんにマナーなんて面倒な
ことを考えなくなるんだね。

その後庭園を見る。庭園に置かれた石はまるでセメントをこねくり回してブロック
みたいにしたような物。日本庭園にある丸っこい自然を感じさせる代物ではない。
おまけにその石に落書きがされている。なにが美だ、私にはその良さが全く理解できない。
ただし池と建物は美しい。

上海に戻る。外灘(ワイタン)に行く。パリと言えばエッフェル塔、ニューヨークと
言えば、ワシントンの塔、上海というと必ず出てくる東方明珠塔(上海タワー)が見え 


てきた。美しいという塔ではないが、なにやらパワーを感じる、か感動的な風景であった。

私は上海タワーは海岸沿いに建っていると思ったのだが、目の前は海ではなく運河だとか。
それにしても幅500メートルはありそうなでかい運河だ。

ワイタンでは沢山の人が散策していた。昔外国の租界だったとところで、その建物が
背後に見える。ガイドにスマロはどこだ、ホンキュはどこだと聞いたら、丁寧に教えて 


くれた。四馬路はどうも遊郭があった場所のようだ。
四頭立ての馬車が走れる路ではなくて一馬路、二馬路、三馬路、四馬路と番号らしい。 



お茶屋に連れて行かれる。めんどくさいが行程に含まれているから仕方がない。
一六人の目の前でお茶を次々と試飲させる。急須に最初に入れたお茶は捨てる。
その解説を聞いて思わずほくそ笑んだ。「作った人の手あかが付いているから
捨てます」だって、正直でよろしい。

その後、買い物。私は椅子に腰掛けて、買わないよ、と意思表示。
カミさんはしっかりと買っていた。なんでも昔台湾で買ったお茶が古くなって捨てなけれ
ばならないから新しいのを買うんだって、分かったような分からないような。
昔買ったツバメの巣も家の冷蔵庫にまだあるよ。

その後食事、いま、その時に撮ったデジカメの画像を見ているだが、うまそうー。
品数もおおい。青島ビール25元。

食事の後、ほとんどの人はホテルには向かわず雑伎団公演を見に行く。我々は見ない。 


一足先にホテルに送って貰う。ガイドと話をするが、気持ちのいい男で、雑伎を見ないからって
文句も言わず、上海の説明を一生懸命してくれた。

宿に入ったらカミさんはバタンキュー。2日新年会でほとんど寝ていない。
正月の疲れがどっと出たようである。バスであんなに寝ていたのにね。

ホテルの部屋にNTTの電話帳と酷似した「上海イエローページ」があった。
これは日本て買うことが出来るガイドブックと比べると上海のことがよく分かる本である。
今度行くときは事前に手に入れたい物である。



1月4日朝、6時30分から朝食。後になって並ぶと面倒だから早めにレストランに行く。 


バイキングであったが内容は満足できる物であった。

食事の後、ホテルの回りを散策する。正月気分は全く見あたらない。むしろクリスマスの
飾りをまだ残している場所もあった。中国は旧正月を祝うらしい。

今日はこれから蘇州に向かう。蘇州は上海から約100Kmの内陸にある。高層ビル街を抜
け高速道路を走る。

ガイドが中国では土地は国の物、日本みたいに成田闘争みたいな事は起こらない、なんて
自慢していた。成田闘争が出るとは思わなかった。自分の故郷はダムに沈んだなんてこと
も言ったので、がっぽりお金が入ったでしょう、なんて言ったら怪訝な顔をしていた。 


われわれの座席は初日から3日目までずっと前から2番目、ガイドの後ろなので寝てられない。

途中1回休憩。
休憩の時にトイレに行くが料金は取られない。トルコではどこでも料金を取られたので 


なんだか得した気分。

蘇州到着。運河に太鼓橋みたいな橋が架かっているが何も説明なし。
留園は中国式の庭園である。

ガイドは一生懸命解説を始めた。
中国ではこういったものをしっかり説明できる人しかガイドの資格を与えられないのじゃな 


いかと思った。

次に、寒山寺。日本人にゆかりのあるお寺だって。浜名湖の舘山寺なら聞いたことがある
のだが、って言ったら、ほかのツアー客が笑った。

月落鳥啼霜満天            
江楓漁火対愁眠          
姑蘇城外寒山寺   
夜半鐘声至客船  張継
の碑を見て、高校の漢文で習った、と思った。
日本から寄贈した鐘が置いてあった。

そのあと、シルク店。絶対買わないぞと誓って店に入る。
蚕から糸が作られる実演や説明を聞いているうちに、いつしか真綿はすばらしものと感じる
ようになっていた。説明が終わった後、真綿の布団を2枚購入していた。
日本に持ち帰るのが大変だったが、家に帰って使っているが、実に気持ちのいい物である。
いい買い物をしたと思っている。

今度は2階に上がってシルクの服などが展示されているところに連れて行かれた。
もう買わない、と誓って店の中をぶらぶら。カミさんが一つの服の前で目が止まっている。
えーい、ままよ、クリスマスプレゼントだい、と私のカードで買い物。
その服は、その夜のクルーズで早速役に立った。
めんどくさいから、似合う似合うと褒めちぎり。

昼食、おこげ料理料理。ま あうまかった。

蘇州から上海に戻る高速道路は大混雑。というより一時駐車場状態。途中で事故があったのが解った。
上海の豫園には3時50分到着。
閉園が4時30分だからぎりぎりのところか。入口付近の店で「たこ焼」きの店があった。中国人が食べ
ていた。その横を通ったら「ハオチー」(うまい)という声が聞こえた。
うれしいね。中国人は旨いものは旨いというのだろうと感じた。

豫園:昔、NHK中国語会話でここでの会話の場面があった。その場面を思い出して懐かしく思いながら見学。

豫園の見学の後は、工芸品店に寄り、そして上海蟹の夕食というスケジュール。ところがツアー
の参加者の中に、中国通が居て
南京を見せないのはおかしいと言いだした。その中国通は通国語が堪能で、どうも奥さんに上海を
見せるために来たらしい。
トルコに行ったときも、イスタンブールに住んでいたという母娘がツアーの参加者に居た。住んで
いたところが懐かしくてツアーに参加というのもあるらし。
大連に行ったときは満鉄の運転手が居たっけ。その人は80歳。列車のなかで立ち上がってじっと外
を見続けていましたっけ。

結局、危険は本人の責任で回避するという条件でガイドが納得した。
南京:ここを歩いてビックリした。ここを歩かないで上海を離れてしまったら上海の印象は全く
物の物となったことでしょう。
なにしろエネルギッシュな街である。パリのシャンゼリゼとはいかないが、人が多いし、華やい
でるし似ている部分もある。

「ローソン」に立ち寄った。おでんが結構売れている。
「吉野屋」に入る。牛丼だけではなく、豚丼などいろいろな種類がある。お盆に丼物とみそ汁が
載っている。中国人もみそ汁を飲ぬらしい。

通りで若い娘さん2人連れが「メンパオ」なんて言ってきた。パンが欲しいと言うことらしい。身
なりはきちっとしている。とうてい食べ物を請うような感じではない。我が耳を疑った。 


でもその後、「ハングル」なんて言いながら近寄ってきた若い男2人連れが居た。韓国人と間違わ
れたかと思ったが、お腹の辺りを指さしていたので、どうも英語で「ハングリー」と言ったらしい。
こっちも服装はみすぼらしくない。若者の遊びかと思う。
もう一人近づいてきた男が居たが、中国は素晴らしい、なんて中国語で言ったら、苦笑いして遠
ざかっていった。
でも、貧富の差が激しいのかなとも思う。

制限時間の70分はあっという間に過ぎた。集合時間4分前に帰った。今回のツアーは皆さん時間
厳守が甚だしい。集合時間の5分前なんか遅刻の部類なのである。実際。集合時間の3分前に戻っ
た人なんかみんなに謝っている。不思議な人たちだ。
でもこれはありがたいこともある。ガイドはぎりぎりの時間を提示するが、早めに集まるので、
集まったら即、つぎのスケジュールに入る、待っている時間が少ない。

歩いていける距離に上海蟹を食べさせる店はあった。かなり有名な店のようで、待合室にはかなり
の人がいた。個室に案内され料理を食べているうちに、上海蟹が出てきた。隣に座った若い娘さん
がかにの割り方が解らないというので、私も解らないなりに適当に割ってあげた。その娘さん2人
組は姉妹だとわかった。カミさんの実家に近いところに住んでいるらしい。

写真などを撮り、わーわー言って居るうちに食べることになる。ミソがこってりしている。足が
小さいので肉が食べにくい。でもその肉は締まって実に美味と感じた。

次は黄浦江(ファン プ ジャン)のクルーズである。船には中国人が一杯乗っていた。船の風
の来ない場所を確保していたら、韓国人がどけと言うばかりに押してくる。腹が立ったので、退
くもんか、と決めて頑張った。ちょっと不愉快であった。
風景は、上海タワーもキラキラ色が変わり、岸辺は護岸に埋め込まれたネオンが点滅し、光が交
錯しそれは幻想的なものであった。船の上は興奮に包まれているのがよくわかる。


1月5日
ホテルは、22階建て。部屋は17階。部屋の中には大きな液晶テレビがあり、LANケーブル
の端子がある。
最終日と言っても今日は帰るだけ、4時50分頃目覚める。6時20分頃ロビーに行く。 


カミさんがフロントで精算をしていた。夜、私が寝た後、カミさん一人でビールを飲ん 


だのだ。

朝ご飯はホテルで作った弁当が渡された。
弁当は、まるで結婚式のおみやげ料理を入れるような紙箱に入っている。
中身はサンドイッチにヨーグルト、リンゴ、ゆで卵。箱が大きくてじゃまなので、
みんな渡されたその場でビニール袋なんかに移し替えていた。
最初からビニール袋でくれればいいのに、立派な紙の箱に入れて渡すなど、中国は見栄を
張る国と思った。

我々の荷物は悲惨であった。真綿の布団はシルク店で見たときは小さかった。
それを圧縮して渡された。でもホテルで見ると、それなりの大きさはある。
我々は昨年バックパックを背負って英国を巡った経験から、荷物は極力少なくしてある。 


その影響もあって、今回の旅行の入れ物は小さい。大きなスーツケースで来れば良かった 


とつくづく思った。
帰りの飛行機が憂鬱であったが、預けられる荷物は制限重量以内ならいくつでもOKとわかって
ホッとした。

バスの中で、添乗員により勝手に撮られた写真が貼られがアルバムが配られた。
4枚貼ってあった。4枚買うと4000円。
ガイドは何回も強制ではないと断っていた。写真を撮った添乗員がハルビン出身
ということもあり、楽しく会話したし、と思い、我々は文句も言わず、残った元で支払った。
でも、ちょっぴりまけさせた。

上海からリニヤモーターカーで空港に向かうことになっている。上海駅の駅員は警察官 


のようである。
列車の乗車率は30%くらい。出発してほどなく時速300Kmの表示。乗り心地は新幹線
と大差ない。
300と301Kmをふらふらしてる。その状態が1分も続かないうちに減速に移行した。
このリニアモータカーはドイツの技術で作られたらしい。赤字だと聞いている。

ガイドと別れるときに、秋葉原で1個50円で20個ほど買ったうちの一つの磁石(コンパス)
をあげたら、信じられないほど不思議がっていた。始めてコンパスを手にするそんな感じだった。
その前にバスの運転手にもあげた。

手荷物検査で私の「小さな折りたたみハサミ」がひっかっかった。このハサミは中国製で
いつも家の鍵に鍵につけてある。なにかと便利な代物である。
1990年の海外旅行からいつも携帯している。
いままで一回も引っかからなかった。実に残念なことに、そこで放棄させられた。

上海プートン空港の登場待合所は、人工的な照明は全て消されている。外かはいってくる光で
じゅうぶんである。日本は人が居ないのに煌々と電気をつけているところがある。
見習わなきゃ。ハルビンで中国語の学習したときは、教室は電気はつけなかった。
それは直ぐに慣れたものである。

早朝出発のためずいぶん急がされたが、肝心の飛行機の到着が天候のため遅れた。
2時間遅れで日本に帰ってきた。

いつもそうなんですが、わたしは旅行から帰るとしばらくは思い出に浸ります。
昨夜などは、蘇州夜曲を何回も口すさんで上海を懐かしんでます。


 蘇州夜曲
蘇州夜曲。私も知っている曲です。歌詞に寒山寺が出てきます。
このお寺、文化大革命の時に赤衛兵に破壊される寸前だったとか。
それで、どうして破壊からまぬがれたかガイドが語っていたが、ちゃんと聞いてなかった。^^;

そうそう、蘇州は東洋のベニス、とか言っていました。
ユーチューブの蘇州夜曲の映像に、ピサの斜塔と同じように傾いているという塔が映されていました。
それ見ました。
今回のツアーは本当に行って帰ってくるだけの内容なので、蘇州もかすっただけですね。 
そこで買った真綿の布団にくるまっていると、君がみむねに抱かれているような安らぎを覚えます。


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