ニューホランド&ニューヨーク

2003年3月26日(水)〜4月4日(金)



アメリカ旅行 2003年3月26日から4月4日まで

中山発第1空港旅客ターミナル(津田沼乗り換え)   
12:49 13:54

集合 14:30 E30.31カウンター

往き ユナイテッド800便 成田発17:17 JFK空港着 15:25
帰り ユナイテッド801便 JFK発11:45 成田着 4日15:50

私はいままで、パック旅行か、友達が現地で案内してくれる旅行しか経験が
なかった。
ホテルの予約や、交通手段の手配など全部自分でしなけらばならなかった、
今回の旅行は不安もいっぱいだった。以下その顛末。

2003年平成15年3月26日午後2時、成田空港第一ターミナル到着。
航空会社に荷物を預ける。うどんを食べる。
ユナイテッド航空ニューヨーク行きの搭乗
待合所は拍子抜けするほど閑散としている。イラクとの戦争が響いている。
ボーイング777の機内は、2,5,2の座席配列。その内窓側はほぼ乗
客で埋まっている。256人乗りの機内には約その半分の120人ぐらい
の乗客が搭乗しているといったとこである。




これで採算が合うのか心配になってくる。だって私の航空運賃はニューヨ
ーク往復58000円。片道だと29000円。その中から代理店の手数
料など引かれるから、ユナイテッドの取り分はさらに減るはずである。

搭乗したときは窓際の席が空いていたのだが、すぐに他の乗客が移動して
埋まってしまった。で私は中央の座席。でも座席の両側の席が空いている
って、体が非常に楽です。

Kの機内持ち込みの荷物を見て吹き出してしまった。スリッパが2足。
お母さんが出してくれたのをそのまま入れたとか。インスタント珈琲。
機内でお湯がもらえると思ったとか。あとは将棋の本。機内で一生懸命
読んでいる。ちょっと抜けたところがあるやつだ。

今回の旅行は、ペンシルバニアの高校に留学した知り合いとの電話で、遊びに
行くよと言ったものの、とても私の英語力では行くことはできない。
とりあえず暮に行くと言っておいたものが、先延ばしになりついに春
になって行くことになってしまった。

 ニューヨークまでは格安航空券、その先はレンタカーと決めた。も
し宿が決まらなかったら車の中で夜を明かす覚悟だったので、カミさ
んと一緒に行くことは断念。
だって、あれがいやだこれがいやだと言われたって、わたしゃ何もで
きないのです。

次に相棒としてKを考えた。Kは英語ができないし、親との旅行
など中学に入ってから一度もないしで、最初は嫌がっていた。でもなん
とか拝み倒して付いてきてもらうことにした。

ただいま機内です。アラスカ上空。追い風53Km。高度11277m
 外気温ー49度。ニューヨークまであと4時間。日本時間:午前1時。
ニューヨーク時間:午前11時。
空港に着いたら、タクシーなど使わずバスでホテルまで行くつもり。
ニューヨークのホテルの宿泊料金は高く、最低でも200ドルはするが、
インターネットで見つけた96ドルの宿に泊まります。なにしろケチケチ
旅行ですから。



ニューヨークに1泊した後、列車でペンシルベニアのランカスターに行
きます。そこでレンタカーを借りて娘のステイ先を訪問します。泊まる
場所はステイ先の近くになります。
ヤフーオークションで手に入れた地図Street Atlas USA 8.0 は最初は
その機能に感動したが、試しに使っているうちに思ったほど精密ではな
いのが解った。だってランカスター駅の表示が見あたらないのです。
所詮640メガのCD1枚に全米の情報を網羅するのは無理なのでしょう。
それでもその地図をレンタカー内で使うしかないので、車内でのパソコン
の電源としてDC/ACインバーターを用意。さて使用に耐えるものかな。

北海道のような景色が見られると思います。アーミッシュの馬車も。

26日午後3時30分。無事JFK空港到着。26日午後5時20分に出発したので、
2時間前に到着と相成るわけです。
暑い。真冬の格好ではいられない。
小銃を持った軍人が2人徘徊している。イラク戦争は始まったばかりだ。
ホテルまでバスで行くのは早々とあきらめて、シャトルバスを待つ。
みんな早口の英語でまくし立てるので、訳がわからない内に、
あやうく白タクの運ちゃんに違う場所に連れて行かれそうになる。

シャトルが来てものすごく乱暴な運転で、宿到着。
恐ろしく古い宿。エレベーターの扉はノブをひねって自分で開ける。
部屋はバス・トイレ付き、広さ約12畳。金96ドルなり。
人々の目は険しい。ほほえんだ顔が見あたらない。

明日の鉄道のチケットを買いにペンシルバニアステーションまで徒歩で行く。
ペンステーションの構造が全くわからない。マジソンスクエアガーデンの
地下がそうなっているらしい。
インフォメーションもみんな不親切な対応であった。一人の女性など
聞こえても聞こえない振りをしている。いい加減な英語など
聞く耳持たず、の態度。

帰り、雨になる。3ドルで傘を買う。
さんざん歩いて夕飯は、ピザとなる。
Kは煙草を買った。パスポートの提示を求められた。
21歳以上でないと販売してくれないのである。
しかもその煙草の値段は日本円で1000円。
煙草1本50円になる計算である。

ビール買って、ホテルで、柿の種を肴に飲む。

27日(木)
朝食はタイムズスクエアまでYOSHINOYAの牛丼を食べに行く。
テリヤキも一緒になったCOMBOを注文。量が多くて食べきれない。

>>テリヤキも一緒になったCOMBOを注文。量が多くて食べきれない。
>日本より高くはなかったですか?
牛丼の味は、日本で提供されているのと同じ味でした。
量は、Kが言うのには、2割方多そうだと言うことです。
米は、まあまあ。肉は脂身が少ないかな。

>アメリカの牛丼は飯の量よ
>りも肉の方が多いと聞いたのですが、これは本当ですか?
私たちが食べたYOSINOYAに関しては、全くそういうことはありません。
日本と割合は同じだと思います。
値段は、牛丼が3.89ドル、日本円で482円(1ドル=124円換算)。
(私が両替したときは、1ドル124円。現在はもっと円高で、くやしー)
器は、発泡スチロール。箸はなくプラスチックのスプーンで食べます。
我々は箸を要求しました。竹製のやや上質の箸が出されました。



店内の客が座るシートはアメリカ調のてかてかしたビニール製。
座席数は、約60かな。
27日の午前10時頃行ったときは、店は閑散としていました。
従業員は黒人女性。調理している人は白人男性2人。
1日の夜7時に通りかかったので覗いたら、白人が15人はいました

公園に面した道路には警官を乗せた車が6,7台連なって駐車されている。
ただ椅子がおいてあるような小さな公園にも警官がにらみを利かせている。
厳戒態勢である。警官の中には必ず女性警官がいる。性差別はしない国なのか。
そういえば、イラク戦争で19歳の女性兵士が捕虜になったっけ。

ホテルからランカスターまで列車で行くため、発着駅のペンステーションまで
タクシーで行く。
運転手の名前が掲示されている、モハメッドさんであった。
心なしか怒ったような顔をしている。

12時10分発の列車の出発ホームは、出発の10分前の12時に、13E、
と電光掲示板に表示された。
発車時刻まで10分しかないので、13番線に急ぐ。列車は13番線のそのまた、
E、の部分に止まっている4両編成の列車であった。
重たい荷物を引きずっている人は出発まであわただしいので利用するのを躊躇
するでしょう。

列車は動き出した。あっという間に郊外を走る。
フィラデルフィアでホームに入った列車は方向転換をする。その作業に
25分も費やしている。なんと能率の悪いことだ。
大して乗客も乗っていないのに、関わっている人が多いので採算は
あわないのがよくわかる。

列車はランカスターに近づく。馬で畑を耕しているアーミッシュが見えた。

10分遅れでランカスター駅に到着。ホームに知人が居た。
にこにこしている。7ヶ月ぶりに見る知人はちょっと太った。でも変わらないな。

駅は石造りでどっしりとしている。でも駅周辺は閑散としている。

レンタカーの営業所までは知人の留学の斡旋をした団体の車で行く。
無事レンタカーを借りて、生まれて始めて左ハンドルの車を運転する。
曲がるたびに、伊理人さんが言っていた、センターラインは左側と題目を唱える。
昔、伊理人さんがアメリカ大陸をレンタカーで横断したときに
私もアメリカで車を運転することがあるかな? なんてわくわくしながら
紀行文を読んだ物です。
そう、私が運転しているのです。

知人の留学の斡旋をした団体の事務所に行く。
何人もの人に英語のシャワーを浴びる。

そこからの運転には先導車はない。初めてのフリーウエイも無事にこなし
モーテルにチェックイン。

一休みしてホームステイ宅へ行く。
調度品が美しい邸宅であった。

まず、ホームバーでビールを飲む。適当に単語を並べて感謝の意を表し
プレゼントを渡す。
食事となる。
テーブルの上にはシャンデリアが輝き、テーブルには蝋燭がたかれている。
食事の最後にケーキが出た。

ものすごいカロリー量である。アメリカ人のほとんどはでっぷりと腹が出ているのも
うなずける。

知人は我々が滞在する間、一緒にに泊まるので荷物を持ってモーテルへ。
その晩は遅くまで3人で騒いだ。知人は部屋で何回も小躍りをした。





28日(金)
朝食はモーテルの食堂で、パンに飲み物。
パンは菓子パンみたいなのが数種類。ホットケーキを焼く措置がある。
トースター、シリアルなど数種類揃っている。

ステイマザーが迎えに来る。車で違うモーテルに行く。そこで待っていると
アーミッシュツアーのワゴン車が来た。乗客は14人ぐらい。

バスの中からアーミッシュの畑を見て回る。黒いズボンに黒い帽子をかぶっ
たアーミッシュが馬4頭を使ってプラウを操っている。

あるアーミッシュの土産物屋に行く。土のにおいがぷーんと鼻につく。
ふくよかな香りだが、馬糞のにおいだ。化学肥料でない豊かな土を感じる。
土産物屋で飾り物を購入。支払いはクレジットカード。電気を使わない
アーミッシュの店でクレジットカードが使える不思議。



アーミッシュは家族計画をしないそうだ。それで人口も増え、土地の
値段も上がり、アーミッシュ全員が耕す土地は無いようだ。そのた
め観光にも力を入れているらしい。文明との折り合いの仕方が難しそうだ。

アーミッシュの子供が4人方固まってこっちを見ていた。私が手を振っ
たら子供たちも手を振ってきた。とても純真な目に思えた。

アーミッシュの居る土地は北海道に似ている。
富良野がどこまでも続いているといった光景か。

ツアー客の中に昔、進駐軍で仙台に居たという77歳の男が話しかけてきた。
ランカスターでは日本人観光客らしい人は見かけなかった。
このツアーもアメリカ人にしか興味がない物かもしれない。

ある土産物屋の前でアーミッシュの馬車が近づいてきた。
カメラを向けるとスピードを上げて通り過ぎた。






アーミッシュの家に自動車が置いてあった。アーミッシュは自動車は
運転しないが、他人が運転する自動車には乗っていいらしい。
決して文明に敵対する考えではないのである。

蝋燭を作っているアーミッシュの土産物屋に行く。働いている女性
の顔つきは絵本に出てくるような昔の顔に思えた。




午後は、ステイマザーのお父さんが重役をしているらしい会社の工場見学
北海道で見たことのある、牧草を丸く固めたり、四角く固めたりするる
機械を作っていた。知人が一生懸命通訳をした。
こんな田舎に広大な体育館みたいなものがある。その中で最新機械を
使い農業機械を作っているのが不思議に感じた。

見学が終わって、われわれ3人はショッピングセンターに買い物。

夕食時間になって、ステイ先に行く。家の横に作られた露天風呂を見る。
お湯の温度はぬるかった。水着で入るそうである

夕食は、食堂とは違う場所でハンバーガー。椅子の多い家だ

ステイファザーの友人が来た。映画の一シーンみたい。
金曜日の晩はいつも友人が来るそうである。
今日は、知人も居ないことだし、泊まるだろうと知人が言っていた。




我々はモーテルに戻り遅くまで歓談。



29日(土)、
5時頃目が覚める。1人でホテルの回りを散策。ホテルは2階建て。
道路を隔てて反対側にあるショッピングセンターは平屋。
大して大きくないショッピングセンターの駐車場はサッカー場が4面はとれるくらい
の大きさ。
いろいろなものの大きさが日本の基準と違うので感覚がおかしくなる。

朝食はホテルで提供されるものではイヤだというので、ファミリーレストランに行く。
土曜日の朝だからだろうか結構混んでいた。
ランカスターも田舎ならニューホランドはもっと田舎、そのファミリレストランで
目玉焼きを注文した。
お父さんはこの目玉焼きに醤油をかけるのだと言って、ウエイトレスを呼ぼうとした。
Kと知人は、こんなところで醤油などあるわけないし、お父さんやめてよ、
アメリカまで来てみっともないから、なんて態度だった。
でもウエイトレスがしっかりと醤油の小瓶を持ってきたときの子供の目は、
尊敬のまなざしでした。




車でコインランドリーに行く。操作などは日本とほとんど同じ。
洗濯している間に少し離れたところにあるマーケットに行く。
シリアルやスパゲッティの種類の多さにびっくり。




雨が降ってきた。
サスケハナ川の中州にあるスリーマイル島の原子力発電所を見に行くことにする。
Street Atras をセットする。助手席に乗ったKがナビゲーター。

知人の留学先を調べているとき、下田に来た船の名前を、地図で見つけたのでした。
まるで日本の名前みたいだと思います。現地の人の発音は「サスコハーナ」なんて
聞こえます。

私が川を見に行きたいと言ったら怪訝な顔をされました。
ホテルから20分ぐらい走ってフリーウエイに乗る。道は途中で
二股に分かれる。地図では右に行くことになっているので右の道を選ぶ。
ところが右に行くには左の道を行き、立体交差して右に行くのであった。
のっけから道を間違えた。あげくにフリーウエイを降りて近道をしようと
したら全く方向感覚がなくなり今どこにいるのか解らなくなった。
こんな時のために方位磁石を購入していたのだが持ってくるのを忘れたしまっ
ていた。なんたることか、もうスリーマイル島に行くのはあきらめかけた。
こんなことがもう1回起きた。

エリベスタウンという街からは、ちょっとしたジェットコースターのような
アップダウンの激しい道を走り、サスケハナ川の傍らの道に行き着く。
スリーマイル島の原発が見えるところまで到着。
近くで見るとかなり大きい。閑散とした駐車場に車を止め写真を撮る。

雨が本降りになる。4基ある発電施設のうち2基からもうもうと水蒸気が
あがっている。その傍らをサスケハナ川が流れている。水量はかなり多い。
やっと自分の力でここまでたどり着いたことに感動。


スリーマイル島


2003年3月30日午前10時。 道に迷いながら、やっと到着。雨が本降りになった。


スリーマイル島に渡る橋。この橋は閉鎖されていた。


帰りは雨が上がった。丘の上から。


帰りはランカスター市内に入り、中華料理屋で遅い昼食。
以前に知人が一人でチャーハンを食べた食堂である。
一人でとぼとぼと寂れた街を歩き、やっとたどり着いた故郷の味。
で、5時の最終バスに乗り遅れた顛末がかってあった。
中華料理は香辛料がきつくて、日本で食べられる中華とは違った
味だ。

市内で、インターネットで見られるウエブカメラの場所を発見。感動。
 http://www.thewgalchannel.com/News/880865/detail.html

帰り道ランカスター駅に寄る。駅は石で作られた、天井も高くかなり重厚なもの。
でも人が居なくて忘れられた存在を感じる。

この日は一回もステイ先の人とは会わず、3人だけで過ごす。
英語もしゃべる必要はなかった。

30日
バードウォッチング
くちばしの黄色いカラス、ヒヨドリ、スズメ、とさかのある鳥
子供2人は遅くまで、たぶん午前2時、日本のアニメなどを見ていたので、
起きてこないこのあたりのテレビは100チャンネルあるとか。

2人とも寝ているので、朝食は1人で先に取る。

教会に行く。
雪が降ってきた。
ある人が、神様が我々を歓迎して雪を降らせているのだ、とのたまう。
ほんとかよー。
10ドル献金。




モーテルに帰る

昼食のディナーを取りに行く。
鶏肉料理とジャガイモ。ジャガイモは丸ごと出てきた。



ケーキは奥さんとそのお母さんの競演。ほんの少しだけと注文して食べた。

夜にピザを焼くと言うことであったが、これが最後のミーティングとなり
別れの挨拶をする。

知人は、レンタカーで自分の好きなところへいけるのがうれしいらしく、
アウトレット巡りとなった。ランカスター郊外にはアウトレット店がたくさんある。

知人のうろ覚えのナビゲーションで走ったため方向感覚がなくなってしまった。
タンガと言うショッピングセンターと、ロックベイルというセンターに行く。
どちらも店から店には車で巡った方が早いような広大な駐車場の回りに
専門店が軒を連ねているような作りである。




私は運動靴を購入。かなり気に入っている。

雪が降り寒い。ずいぶん長い時間を費やした。

ランカスター駅に行く。
ちょうどニューヨークからの列車が到着したところであった。
たくさんの人が降りてきた。
チケットの販売窓口が閉鎖する寸前であった。
チケット購入時に、パスポートの提示を要求された。

駅前の駐車場にはパーキングメーターが設置されている。25セントで15分のようだ。
他の駐車されているメーターを見たが、みんな未払いであった。
列車が到着した後は閑散としてしまった。

給油をする。まずタンクのカバーの開け方が解らない。反対側で給油している人に聞く。
何のことはない、力任せにこじ開ければいいだけの話であった。
昔ガソリンスタンドでアルバイトをしたことがあるので給油の仕方は解っている。
給油ノズルを給油口に差し込みレバーを握る。出ない。何回やってもだめである。
店にいた人が出てきてくれた。何か早口でまくし立ててすぐ引っ込んだ。
なんだ給油の仕方を教えてくれるのではなかったのかとがっかり。
その後、給油メーターのランプがともる。何のことはない電源が切られて居ただけの
話のようであった。
無事給油終了。お金を払う。
計算すると1リットルあたり50円以下のようだ。これにはびっくり。
店には従業員は1人しか居ない。
窓を拭いたり、吸い殻を捨ててくれたりする日本のガソリンスタンドとはずいぶん違う。

6時をすぎてしまった。日曜日なので店はやっていない。
やっとスパゲッティの店を発見。女性がとても愛らしい。


フロ入って、寝る。


31日
5時30分起床
7時朝食、チェックアウト

知人の学校に行く。雪を付着させた車が混ざる。

生物 1クラスの生徒は17人くらい。教師が生物の教材についていろいろ語りかけてきた




聖書 太い声の教師が朗々と話をしていた。何の授業か最後まで解らなかった。

ホームルーム 10分間だけ、教師が話した。

ESS 韓国人の生徒と2人だけ。知人が午後外出することの許可をもらいに行くのに、
木の札の教室外歩行許可証を持たされていた。

世界史 教科書の説明文から建築された建物の想像図を書かせていた。

構内巡り 孫の手のような棒、構内徘徊許可証、を持たされた知人に構内を案内された。

車で知人の留学を斡旋した団体のオフィスに向かう。
ESSの先生と日本人スタッフとランチ。
ESSの先生は昔、日本の神奈川県で英語を教えたことのある人で、日本語も達者であった。
日本人スタッフはとても穏やかな機知に富んだ女性だった。

ランチの後、知人はESSの先生の車で学校に戻る。ここで楽しかった家族との時間が終わった。

我々はランカスターのダウンタウンに行き、駐車場に車を入れる。
ダウンタウンは閉鎖されたようなビルも目立ち寂れた感じがする。
やはり郊外にできたアウトレット店などにお客は流れているのでしょう。
車を持てない階層の人々が居着くという感じである。

amtrak 3両編成 我々の車両は 左右4列の18段 座席数72 乗客7名




フィラデルフィア駅で方向転換のため25分の停車。
行きと違って帰りは要領が解っているので列車から降りて飲み物を買いに
構内に出る。出たとたん駅の広大さにびっくり。
東京駅の天井より高く面積が比較にならない位大きい。
構内から外に出る。大理石づくりの重厚な建物である。往事の隆盛を物語っている。

ここから乗客が増えた。我々の車両は22人ぐらいか、

ニューヨークに数分遅れで到着。
タクシーでホテルへ。

夜は日本料理店でKはラーメンに餃子。私はすき焼き定食。

やっとインターネットが通じる。
ホテルの向かいの店でつまみを調達。ビール飲んで、フロ入って寝る。






1日(火)
朝方ちょっと風邪気味。いそいでイソジンでうがい。トローチをなめる。

8時30分起床。9時出発。グランドゼロに行くため、地下鉄の駅に行く。
地下鉄の改札口で切符の買い方が解らず、右往左往。
やっと切符を購入、電車に乗る。
しかし電車を間違え、川を越えてクイーンズに行ってしまう。
降りた駅から引き返しワールドトレードセンター駅に到着。
運賃1ドル50セント。

地下鉄は部分的に日本と同じくらい混んでいた区間があった。
でも人種が雑多なところが違う。
お互いに無関心な表情は日本と同じ。

グランドゼロは工事現場そのものであった。何千人もの人が死んだとは
思えないい。




歩いてハドソンリバーの川岸に行く。マンハッタンの南端、バッテリパークまで
歩く。とても寒い。スキー帽をホテルの置いてきたことを悔やむ。
バッテリーパークで黒人が警官に手錠をかけられ身体検査をされ、パトカーに
乗せられていた。

厳戒態勢のマンハッタンはビルの入り口にはたいていガードマンが目を光らせている。
自動小銃を持った軍人が見回っている地区もある。
2人連れの警察官があちこちを巡回している。
オート三輪(昔のダイハツミゼットみたい)に乗り走っている。
バッテリパークでは騎馬警官が回りを威圧している。
グランドセントラル駅前には装甲自動車も止まっていた。

ブランチはハンバーガー。

ウオール街を散策。ここも厳戒態勢。
ハドソンリバー川岸に行く。あまりの寒さに店に逃げ込む。

地下鉄でソーホーに行く。寒いからか、人通りはまばら。
喫茶店に入り、寒さをしのぐ。

いったんタクシーでホテルに戻り、マフラーと手袋を装備する。
ヒルトンホテルに行き、日本人向けのツアーを探す。日本語で書かれた、
ツアーの集合場所のみ確認。

セントラルパーク散策中、雨になる。
そこからタクシーでメトロポリタン美術館に行く。

メトロポリタン美術館入館時に厳重な持ち物検査がされ、荷物は
預けさせられた。
2時間ほどで館を出る。

地下鉄に向かうも雨のためタクシー乗ることにする。
グランドセントラル駅に行く。
ペンステーションとは大きく違い、乗降客で混雑していた。

駅構内の上にあるレストランに入る。
生牡蠣とステーキを奮発。




歩いて紀伊國屋書店。7時にはホテルに戻る。
バスタブの中に汚れた衣類を入れて足踏みの洗濯。
歩き疲れた1日であった。

> またあ(^_-) 日本へ帰ればいつでも食べられるのに。勿体ない!!
Kに伝えました。苦笑していました。
でもニューヨークで寿司を食べるのがいいのだ、なんてうそぶいていました。

明日の便で日本に帰ります。休暇をずいぶん使ってしまった。あとが大変。

今、Kは一人で何処かに行ってしまいました。
旅行中、Kと何回も喧嘩になりそうなりました。私はぐっと押さえています。

外は時々「ヒューヒューヒュー」とサイレンを鳴らした車両が走ります。
一人で、ホテルでパコパコです。

ただいま、ニューヨークは晴れ。4月2日午前10時50分。街行く人は冬の格好です。
でも手袋している人は見あたりません。


2日(水)
朝方ホテルから一人で出ていったKは、12時過ぎに帰ってきた。
外国で一人っきりで部屋にいるといろいろな妄想が浮かんできて気が滅入ってしまう。
はっきり言って嬉しかった。Kはおみやげにお握りを買ってきていた。

2人で歩いて国連ビルに行く。
見学者入り口に張られたテントの中で、まるで飛行機に搭乗する前のような検査を
受けた。Kのベルトの金属が引っかかった。アメリカのテロに対する恐怖は生半可
なものじゃないと感じる。

国連ビル見学の後は、地下鉄で中華街に行く。横浜の中華街と同じだから見学の必要は
ないと思っていたが、行ってみてビックリ。広さは横浜の中華街の10倍はあるかなと
思った。まるで中国の街を歩いている気分。

昼食に、ヌードルだから中華ソバだろうと注文した物は、皿に盛られた汁の少ないうどん
であった。旨くなっかた。しょうゆをかけてなんとか食べた。

次に、地下鉄でマンハッタンの東103丁目。ハーレムに近いためか黒人ばかり歩いている。
セントラルパークを横断する。所々で岩盤が露出している。こんな強固な岩盤がマンハッタン
の下にあれば高層ビルも頑丈だと思った。
公園内の車の入れない場所は、オート三輪に乗った警官が見回っていた。あまり人のこない
公園でもあの見回り方では、公園内にものを隠すことはできないでしょう。

セントラルパークを東から西へと横断し、地下鉄に乗りホテルに戻る。
少し休んで、食事は音楽でも聴きながらと思って、タイムズスクエアのジャズを演奏する
店に入る。入り口の男性と交渉。9時30分に電話をする用事があり、結局時間が合わず
にあきらめるが、その男性の対応は好意的で気分が良かった。ジャズを愛する人は紳士か、
なんて思った。

結局、夕食は寿司と相成りました。味はまあ旨かった。すぐに日本で日本食が食べられるのに
ばかばかしい話だが、日本とどう違うかにも興味があるのです。

タイムズスクエアの角には、バイクのハレーにまたがった警官と、馬に乗った警官がいた。

ホテルに帰って、帰りの支度をしてビール飲んで寝る。

3日(木)
5時40分起床。朝食は8番外 48丁目の バーガーキング でハンバーガー。
8:00 ホテルの前に止まったタクシーで出発。渋滞。 9時20空港着。
タクシーの料金:38ドル + 8ドル 計46ドル

航空会社のカウンターでパスポートと引換券を見せ搭乗券を受け取る。
そこで荷物を預けてのだが荷物の検査は全くなかった。
これには拍子抜けであった。成田ではエックス線の検査の後、実際にスーツケースを開けて
入念に内容物を調べられてのに。
また、出国審査もなかった。パスポートは航空会社のカウンターと飛行機搭乗口で
ちらっと係員に見せただけである。

ただし、機内持ち込みの荷物の検査はやや厳重だった。私はノートパソコンがエックス線検査で
引っかかった。検査員はパソコンをバックから引き出して、その表面を紙でこすり付着した物を
機械にかけて検査していた。爆薬の反応を調べているのか。

出国ロビーは小さい。あちこちでガードマンが目を光らせている。待合室は明らかに
待っている人が少ない。

飛行機の席は窓際。搭乗して外を見ていたら、警察の車が飛行機の近くに止められていた。
どうも飛行機に近づく不振人物がないか監視しているのかもしれない。
飛行機が機が動き出したら去っていった。

11時45分定刻に機は動き出す。離陸12時。

ボーイング777。乗客は後部座席124席中42人。飛行機全体で100人強ぐらいか。
我々2人は窓際の2席。私はすぐに後ろの座席に移動。よって1人で2座席を占領できた。
真ん中の座席に座った人は幸運だった。5つの座席を独り占めにして、水平飛行に移るや
いなや寝そべる人もいる。
インターネットに情報に寄れば、この時期、親の猛反対などで、ニューヨーク行きをキャン
セルした人がいたらしい。実際は街はこの時期ほど警備が厳しく、飛行機もくだらない
不具合を起こさぬよう、整備も入念かと思われるから、すいていてお得かも。
でも、太平洋上空でテロリストが仕掛けた爆弾が爆発なんてことも頭をよぎりましたけどね。

食事が出る。ビール一缶、ワイン1本、ウイスキー1本、飲んで、寝る。
食事は軽食をふくめて3回出た。

ただいまアラスカ、アンカレジ上空。高度10972m(11277m)速度851km
 外気温ー49度。後7時間




日付変更線を越えたあたりから、向かい風が強くなり、飛行機の対地上速度は落ちた。
おのおのの座席の前に取り付けられた液晶画面を見ていると、向かい風が150Km位にも
なるのが解る。この画面でテレビゲームができればいいのにな。

定刻に成田に到着。Kは座席のポケットにノートと本を置き忘れ、そのことで時間を
取る。よくあることだ、私も今までに1回は帽子、もう一回は電子手帳を置き忘れた
経験をしている。電子手帳は戻らなかった。

家にたどり着いたら、Kは母親に、旅行中はそんなこと言わなかったのに、
旅行は良かったよ、楽しかったー、なんて報告していた。





米国装備

パスポート  パスポートのコピー  顔写真2

航空券引換書

財布(現金1000ドル)、 クレジットカードOMC(VISA)  
鍵、時計、眼鏡2、運転免許証 国際運転免許証

医薬品
太田胃酸 メンタム、救急絆創膏 ガーゼ 消毒薬  はさみ、刺抜き 
テーピング 目薬、アリナミン イソジン トローチ 浣腸 ノーシン 
体温計 皮膚薬

手帳 電子辞書2(1個置いてきた)、 ボールペン、鉛筆、マーカー、電卓、ノート 糊 
方位磁石 (持ってくるの忘れた。必要な場面がたくさんあった。忘れてはならないと
別にして置いておいたのがあだとなる。クヤシー)
PHS(成田で使うと思ったのだが不必要だった)
特小無線機2(一台壊れてたので捨ててきた。)

書籍(地図 旅行案内書) DC/ACインバーター

デジカメ  メモリースティックアダプター USBコード バッテリー 
バッテリーチャージャー メモリースティック 
マイクロ三脚(感心していた)

ノートパソコン ACコード PHSモデム モジュラーケーブル 

タオル2、歯ブラシ 髭剃り、ティッシュペーパー、

着替え
パンツ2、半袖シャツ2 靴下2、長袖 手袋 マフラー スキー帽

裁縫道具  布テープ、簡易工具セット、双眼鏡、 懐中電灯  
ライター、透明袋 ゴムバンド、 傘 スリッパ 

スーツケース デイバッグ 

出で立ち パンツ ズボンした ズボン シャツ  セーター 
ジャンバー 靴下 靴(スニカー) 帽子 

おみやげ 数品



メモ
アメリカ旅行 2003年3月26日から4月4日まで

往き ユナイテッド800便 成田発17:17 JFK空港着 15:25
帰り ユナイテッド801便 JFK発11:45 成田着 4日15:50

ホテル 3月26日泊
Hotel 31   http://www.hotel31.com/
120 East 31st Street, New York, NY. 10016
Phone: (212) 685 3060 Fax: (212) 532 1232
Reservation Number: 105453
Check-in Date: 3/26/2003 6:00:00 PM Check-out Date: 3/27/2003
Total (US$): 102.79


列車 amtrak
http://www.amtrak.com/
reservation number is: 15B8F4
Reservation made on : Mar 16, 2003
====================================
Please pick up your ticket(s) at the station from a Quik-Trak
machine or from one of our ticket agents.
Avoid the line! To learn how to pick up your tickets via the
Quik-Trak visit our demo at: http://www.amtrak.com/plan/quiktrak.html
For important identification requirements for Amtrak travel,
visit http://www.amtrak.com/idrequire.html.
=======================================================
Train: 645
From: New York-Penn. Station on 03/27/03
To: Lancaster on 03/27/03
Departs: 12:10pm 03/27/03
Arrives: 3:03pm 03/27/03
Additional Services: Unreserved Coach
Guests: 2  Morio Taira Kantaro Taira
Fare  Rail: $96.00

駅 Lancaster (LNC)   53 Mcgovern Ave.  Lancaster, PA 17602

レンタカー ハーツ  http://www.hertz-car.co.jp/ta/tavigator.htm
Downtown 625 East Orange Street 17602
Lancaster Pennsylvania  United States
717 396-0000 Fax: 717 394-6937
Mo-Fr 0800-1800, Sa 0800-1700, Su 1200-1700

予約番号 C13107574A5

借り出し都市-営業所 Lancaster - Downtown
借り出し国 United States
借り出し日時 27 March, 2003 16:00
返却都市-営業所 Lancaster - Downtown
返却国 United States
返却日時 31 March, 2003 15:00
車種クラス ECAR - Hyundai Accent または同等クラス
航空会社/便名: UA /800
レンタル料金概算 233.24 USD


ホテル 3月27.28.29.30日泊
Comfort Inn of New Holland 717-355-9900
confirmation Number: 150883
$75.00/ night



Greyhound
Lancaster station
Location:
53 MCGOVERN AVE
Lancaster PA 17602
Telephone Numbers:
Main: (717) 397-4861
Customer Service: (717) 397-4862
Charter: (800) 454-2487

Lancaster Christian School
651 Lampeter Road, Lancaster, PA 17602
Phone: 717 392-8092 ? Fax: 717 392-8982
info@lancasterchristian.com

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