紅葉狩り (1999年10月23日)


1999.10.23 紅葉狩り
10月23日(土)朝7時家発。  三郷から東京外環自動車道に乗り大泉か
ら関越道花園インターまで突っ走り長瀞・秩父と  一気に行く予定だった。
しかしまず三郷に向かう道が渋滞していた。地図を見ながら横道を行った。で
も三郷からの道も渋滞しているのを知って外 環道の下の道を行くことにした。
草加インターに着いたが。そこも混んでいるいた。関越道も花園まで渋滞50
Kmとラジオで報じていた。この土日どこもかしこも行楽客であふれ返ってい
るような 感じである。紅葉を求めて人々が大移動をしているのか?  外環道
の直下の道を外れて川口から浦和に向かうことにした。私は地図を見ながら運
転だが助手席のカミさんはのんびりしている。途中コンビニでトイレを借りる。

秋が瀬橋で荒川を渡った。浦和所沢バイパスは渋滞していたが一応流れていた。
やっと 所沢を抜けた。順調に走って飯能についた。

飯能から秩父に向かう道は西武池袋線と併行している。西武線が秩父まで延び
たときは  確か私が大学2年、30年も経っている。開通以来何回かこの線に 
乗ってこの道路を外の  景色として見ていた。始めてその道を走る感慨がわい
てきた。 道は曲がりくねってはいるが、それほどの山道とは感じられない西
武線が開通するときは山の中をやっと完成したという趣があったが、30年前
はそこに電車を通すのは大変だったのだろう。

  車は渋滞もなく順調に走って正丸トンネルを越え秩父に入った。時刻は13 
時近くにまでなっていた。そこでソバを食べた。

最初の予定では、奥秩父を越えて西沢渓谷に到着している時間である。
 秩父市街も渋滞していたので線路際の道を横道にそれた。正解。うまい具合
に渋滞を回避できた。
国道140号線をひたすら奥秩父に向かった。 数年前までの7年間毎夏、秩
父鉄道終着  駅の一つ手前の白久駅から 月が峰キャンプ場に毎年行った。荒
川で泳いだりもした。その川遊びした場所がどこだったかはるか下に見える川
を注意していたが、どこだか分からない内に三峯神社入口を通過。

道はどんどん山の奥に続いている。地図には栃本渓谷、滝川渓谷と続いている
が助手席の人は居眠りしている。紅葉を期待していったのだがほんの少し申し
訳程度にやや黄色くなった樹木があるかな、と言った程度であった。

 国道140号線が山梨まで開通したのは昨年のゴールデンウィークの直前。
それ以来いつか通ってみたい道であった。それなのに 助手席のカミさんは寝
ている。とんでもない話である。
  雁坂トンネル向かう道で度肝を抜かれた。前方に谷底から天に向かうような
柱が立ちその上に道が出来ている。その橋で一度谷の方に飛び出し、弧を描い
て一段と高くなった山側にたどり着くのである。緊張しながら渡った。

    何カ所か長いトンネルを抜けてやっと雁坂トンネルに入った。全長7Km。
トンネルの出口で料金700円を取られたが、これだけの道である。東京湾横
断道路と比べて全く納得できる金額で 感謝しながら支払った。

道路の横に作られた大きな道の駅に着いた。やっと着いた。でも カミさんは
西沢 渓谷に行きたいという。私はただちに今日の宿泊地、石和温泉に行き温泉
にどっぽーんと浸かりたかったのである。  仕方なく西沢渓谷に向かった。私
は西沢渓谷とは伊豆の浄蓮の滝みたいな観光地で、車から降りて、または車に
乗りながらちょっと観光ができる場所だと思っていた。これはとんでもない間
違えであった。

 西沢渓谷入り口にある駐車場に着いたのは午後3時。観光バスが狭い道にひ
しめき合っている。駐車場はどこも満杯の様相で、がけ際に駐車している車が
目立つ。でもうまい具合にもう帰りの車が多くなったのだろうか、正規の駐車
スペースを確保できた そこから、ちょっとと言う気持ちで歩き始めた。歩き 
始めた道は帰ってくる人の波がひっきりなしに続いていた。

そして、歩き始めてからすぐに何も携帯していないことを後悔した。ちょっと
そこまでの服装だったのである。カメラ・懐中電灯・水筒・無線機は車の中だ。
歩いている人たちは登山靴みたいな頑丈な靴で、手には軍手をはめているので
ある。なんだか場違い感じである。

 やっと平坦な道が終わった。そこには立入禁止の立て札と進入禁止の 頑丈な
柵が設けれれていた。ここで引き返せると思って私は大変喜ばしく 思った。
しかしカミさんはそれにもかまわず柵の横をすり抜け山の中に入っていく。ま
いったなー。仕方なくそれに続いた。
1番奥の滝までは3kmらしい。この山道、往復に2時間以上かかるかもしれ
ない。そうすると帰りは5時30分は過ぎている。あたりは真っ暗になるかも
しれない。
  擦れ違う人が一番手前の滝が一番綺麗、という言葉で、そこまで行けば終了。
そこまでは我慢をしようと自分に言い聞かせてカミさんに付いていった。

滝に向かう山道は幅1m位しかないところもあり、山側に人が伝わりながら歩
けるように鎖が連なっている。そんな山道を上り下りしながら歩いていき、や
っと滝に到着。 左右に切り立った山崖の間を音をたてて大量の水が流れてい
く。それが所々で滝になり素晴らしい景色を作っている。回りの樹木に紅葉は
まだ見られないが、新緑の時、紅葉の時はさぞすばらしいことでしょう。 滝
壷の一つををこわごわと覗く。落ちたら捕まるところもない。滑り落ちそうで
ある。恐怖心がおこる。なるほどこれでは立入禁止となるはずだと納得。行政
は事故が起きても知らないよ、と言いたいんだろうな。

 さあここで引き返せると思って私はのんびりと景色を楽しんだ。ここから先
は、 時刻も夕方になり山道は薄暗く、しかも我々は軽装備この奥は危険と考
えるのが常識。しかしカミさんはこれから先の最も奥の滝を見に行くという。
ばかばかしいので私はここで帰りを待つことにする。しばらく待っていたが身
体を動かさないため身体が冷えてきた。そこで足踏みをしたりして寒さをこら
えて待った。

 カミさんが1人でそこから2Km奥にある滝を見に行ってしまった。私は行
かずに待っていたのだが足踏みするだけではいよいよ身体が冷えてきた。すこ
しづつ上流に向かって歩くことにした。  しばらく行くと、上から10人ぐ
らいの団体が降りてきた。幅約1mの道の谷側に身を寄せてやり過ごすことに
した。降りてきた人の1人が私の横で足を滑らせた。その人は鎖につかまって
いた。上の方から「大丈夫か」と声がかかった。その横には私が居た。もし私
に体がぶつかったらどうなっていたことか。危なかったのは私の方であった。
もしかしたら私はビルの5階ぐらいから墜落、なんて事になったかもしれない。
このことに後から気づき恐ろしくなった。

 のんびりと歩いていくと奥の滝まで行って戻ってくるカミさんと合流。そこ
で折り返して暗くなっていく道を駐車場まで急いだ。歩きながらカミさんの 
話を聞いていくと、カミさんはかなりの昔から西沢渓谷と言うところに行きた
かったという話であった。 しかし、西沢渓谷がこんな山道とは知らなかった
らしい。私も前もって知っていたら、懐中電灯・無線機・軍手を車から 持っ
てくるところある。私は単なるドライブの延長のつもりで今回ここに来たのだ
が、カミさんはここが主目的であった事がわかった。どおりでここに着く前の
奥秩父の車中で、「趣味が合わない人とは暮らしていけない」だの、「私は1
人で生きていける」など訳の分からないことを言い出したのも納得がいった。
渋滞つづき到着が遅くなりで西沢渓谷を歩けないのではないかとイライラして
いたのだったのだな。

 その日は石和温泉に宿泊。石和温泉は甲府盆地のやや北側、笛吹き川沿いの
平坦な土地にホテルや旅館が点在していると言った 所であった。ホテルでは 
私は次の日までに4  回温泉に浸かった。  次の日、ワイン工場など見学の

 予定であったが、昨日の渋滞に懲りて、東京に向かう車が道路に集中する前
に  家に帰ることにした。

  10時少し前にホテルを出発。しかし中央高速のインターに向かう前にも
う渋滞が始まっていた。突然私の前の車がわき道入って行った。これは抜け道
に向かったなと判断。すかさず私もそれに追随。これ大正解。なんなくインター
に到着。それからは昨日のことが嘘のように順調に車は走行。反対車線は行楽
の車なのだろうか所々で渋滞が始まっていた。

 あまりにも早く都内に到着。それではついでに東京湾横断道路 経由で家の
ある船橋まで帰ることに決定。しかし都心に入ったら 首都高速が激しい渋滞。
これを抜けて東京湾  横断道路を経由したら、房総半島からの帰りの車の列に
合流してしまう。ついにこれも断念。 それでも一応東京港に架かるレインボー
ブリッジを通って家に 帰りついたのであった。渋滞続きのうえ、紅葉も見ら
れなかったが結構楽しかった。おわり。 

 
 

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