Aさんのマレーシア紀行(2000.1/6〜1/9)



   Aさん一家の「スイートルームに泊まる古都マラッカとマレー半島旅4日間」ツアー
  
  最近は外国旅行のツアーは国内旅行より割安なものも多く、気軽に出かけられる
   ようになった。まったく昔みたいに外国旅行と言った仰々しさはい。
   それでAさん一家では暮れになって、格安のシンガポールへのツアーがあったら行こうと
   言うことになり旅行代理店に行った。
   しかし時すでに遅く、シンガポール方面の各ツアーは飛行機が満杯で予約すること
   は出来なかった。そこでまだ間に合う「スイートルームに泊まる古都マラッカと
   マレー半島旅4日間」と言うツアーを予約した。


   行ってみるもんだ
   マレーシアのことは全くと言って良いほど知らなかった。行ってみて、色々な民
   族、色々な宗教が混在しながらも国を成り立たせているすばらしさを知り、クワ
   ランルプールはまるでニューヨーク?と思えるほどの場所もあり、中国よりは断
   然豊かで開放的な雰囲気の国で、認識を新たにした。行ってみるものだと思う。

   ガイドブックを見るとマレーシアは真夏の気候。しまい込んだ夏の衣料から引っ
   張り出しては服装のことであれやこれや悩んだ。


出国カード
1月6日、このツアーの集合時刻は11:00。
出入国カードは、前回旅行に行ったときカウンターから用紙を予備に貰っておき、
前もって3人分記入していたので時間の節約。これを旅行会社に頼むと2000
円である。3人で6000円の節約。
待っている間、娘とレストランに入り軽い食事をとる。免税店ではセブンスター
を買う。
飛行機はボーイング747−400。主翼の先端のウィングレットにはライチョ
ウが描かれている。


叔父が戦死したルソン島に手を合わせる
窓側の席に座れた。予定通り離陸した機は利根川を銚子
方向に向かいそのまま太平洋に出ていった。三宅島らしき島影を見てからは 後は
見えるのは海ばかりであった。
窓際から外を眺め物思いに耽っていたら、機内では映画の上映を始めた。窓は閉
めるように言われ、これから外の景色を楽しめると思っていたので少々残念。そ
れでも窓を細めに開けて見ていたら、フィリピンの島影が見えてきた。ルソン島
であろう。私の名前はルソン島で戦死した叔父の名前から貰っている。思わず手
を合わせた。
シブヤン海が見えてきた。ここに戦艦武蔵が多くの乗組員とともに眠っているの
だ。
このころ機長からアナウンス、トイレで煙草を吸った乗客が居た。緊急着陸もあ
り得る、との話であった。退屈で我慢できない乗客も居るらしい。私とて同じで
あった。



クワラルンプール空港到着
 私の地理的感覚では香港の先にベトナムがあり、ベト
ナムの南がフィリピン、ベトナムの西がマレーシアなのである。実際には、クワ
ラルンプールは日本からフィリピンの距離の2倍といった感じ。
こんなに遠いなんて知らなかった。平面の地図での距離は実際の地球とは違う。

珊瑚礁が見えてきた。たぶん南沙諸島であろう。
シンガポール方向に向かっていた機は突然機体を傾けて右に旋回。旋回はあたか
も自分に翼があるような躍動感があり、真横の窓では見えない景色も見えたりする。

マレーシアが見えてきた。夕暮れが迫る中、半島の上を飛行し高度を落とした。
密林が見えてきた。道路には車がひっきりなし。かなり活動的な印象。椰子林が
続く中、成田を出てから7時間30分 後着陸。しかし長い時間だった。


車でマラッカに
 クワラルンプール空港では旅行業者が待っていた。煙草を吸
いに空港の外に出たらむっとする暑さ。
やはり熱帯であった。ツアーの人数は我々3人と2人の子供を連れた婦人の6人
であった。
車に乗り今晩の宿泊地マラッカに向かう。暗闇の高速道路にはバイクが、しかも
2人乗りで疾駆していた。大した排気量でもなさそうだが時速100キロは出て
いるだろう。これでバイクは高速料金が無料だとか。料金所では料金所の横に
バイク専門のバイパスがある。日本とは大違いだ。


マラッカのホテル
ホテルには夜の10時頃到着。かなり高級なホテルだった。
レストランでワンタン麺を食べて部屋に入る。

部屋はベッドルーム2、バスルーム2,居間が1、キッチン付きで広さ50平方
メートル。子供が早々とダブルベットを占領したと思ったらコロっと寝てしまっ
た。だいぶ疲れたようである。私はこの夜はほとんど寝られなかった。


窓から海峡
1月7日、
深夜4時頃か、コーランのようなざわめきを感じた。
7時に目覚め、部屋からマラッカ海峡を眺める。沖の方に
タンカーらしき船影が数隻見える。ホテルのプールなどを見て回り、早めにホテ
ルのレストランで朝食。

ホテルの前の海岸を散策。ホテルの前は埋め立てをし始めている気配があった。
マラッカ海峡はかなり遠浅なのが判る。桟橋の先端にはここは中国だと言いたげ
に中国語でなにやら落書きがあった。
ホテルから見たマラッカ海峡
イスラムの女性
 海岸にはバイクの二人乗りでアベックが来ていた。後部座席には
頭を頭巾で覆った少女が乗っていた。目だけはぱっちりしてハッキリとした目で
あったが、全体的には??であった。これはこれから出会ったイスラム教の女性
に共通していた。
中東のイスラム教徒みたいに目だけ出して歩いていたら男はどぎまぎするだろう
な。


マラッカ市内
サンチャゴ砦、セントポール教会に行く。団体の日本人観光客が居
た。マラッカはポルトガル、オランダ、イギリスの順に支配されていたのを実感。
セントポール教会の丘からはマラッカ海峡がよく見渡せた。沖にはやはりタンカー
らしき大 型船が数隻視界に入った。ここが中東と日本を結ぶタンカーの生命線、
いわば日本の生命線かと感慨深かった。

坂を下りてオランダ広場に行くと、バイクが数台止まっていた。HONDA、KAWASAKI、
YAMAHA、皆日本製であった。こちらではYAMAHAが人気だそうである。排気量は50cc
から100cc位であろう。くたびれたバイクには出くわさなかった。

教会の前で輪タクを借りて記念写真

コースにあった仏教寺院はなんだかの理由で車の中からの見学。


マレー人の住居
 マレー鉄道に乗るために内陸に向かう。途中、高床式のマレー
人の住居を見学。
マレー人は明日がお正月と言うことで家の中ではその料理を作っていた。
イスラム教では4人まで奥さんを持つことが出来る、というガイドの説明で数人
の奥さんはどこで居住するのか興味深く見る。
ガイドに「奥さん何人居ますか」と聞いたら、まだ独身と答え「運転手さんは2
人居ます」だって。たいして風采の上がらないような運転手に奥さんが2人も!
なんだか腹立たしい。コノヤロー おれも回教徒になるか。

台所には食器が必要な分だけ片づけられている。日本では必要もない食器が狭い住居の
一等地を占領しているのがあほらしく思える。こんなことはカミさんには言えな
いな。
窓にはガラスが無く風が家の中を吹き抜けるようになっているので以外と暑さを
感じない。しかし屋根はトタン葺きであった。これはかなり暑いであろう。これ
から見るマレー人の家の屋根はたいていトタン葺きであった。それも錆が目立つ。
マレーシアには4季がないのでそんなこと気にならないのであろうか。


ゴム農園
  途中の店で列車で飲むためのビールを購入し、次にワゴン車が止ま
ったのはゴム農園の前。これは実に珍しい。小学校の時に確かスライドか何かで
見たとおりの光景であった。白い樹液が小さな容器に溜まっている。それを集め
ている人が遠くに見える。土産に下に落ちている剥いだばかりの樹皮と種を拾う。
ゴムの木
タンピン到着
 タンピンという駅に着く。駅は市街地にあるかと思っていたら、
田舎の真ん中にあるような場所であった。それでも駅前には商店があるにはあっ
た。鉄道の線路は狭軌、旧日本軍の影響を見る。


樹木にトゲ
   列車が来るまで40分ほどあるので辺りを散策。道ばたにある
樹木の弾力性を  確かめようと手を付けたら、イテー!! 痛い痛い、手の平の4
カ所から血がにじんできた。その樹木をよく見ると樹皮には強力な棘があった。
持ってきた消毒液で治療したが、ここは日本ではないと実感、熱帯地方だー。
タンピン駅前にあったトラック

柵を見て
 駅前の丘に上がる。柵は鉄道の線路を埋め込んである。どうも50年以
上は時間がたっていると思われる。これも旧日本軍が作ったのかと想像する。そ
うするとその頃は重要な駅であったのかな。
マレー鉄道

弁当
  時間通りには来ないと言われていた列車が時間通りに到着し乗車。弁当が
配られた。
弁当はプラスチックケースが二つ。一つにはチャーハンと鶏の唐揚げとウインナー。
もう一つにはハムサンドとゆで卵二つに切られたオレンジ。マレーシアを感じつ
つすべて平らげる。ほかの日本人旅行者であろうか、ゴミ袋に弁当がそのまま捨
てられているものを見た。いつまで日本が持ちますか。自分が立派だから贅沢が
出来るわけではない。

配られたお弁当。日本の弁当のイメージとはかなり違う。

マレー鉄道
  列車は時にはジャングルの中を走った。でもジャングルにしてはち
ょっとおかしい。
後で判ったことだが、あの椰子の実洗剤で知られているアブラヤシの栽培地がジャ
ングルと思えたようである。でも雑木林のように見えたのは、あれはジャングル
だろう。1回だけ極彩色をした鳥が飛び立つのを目撃した。なにしろ熱帯で雨が
降る雨期としては植物がどんどん成長するだろうことは疑いない。
母娘は退屈らしくはなぶく提灯。2時間ほどでクワラルンプール駅に到着。天井
が広い大きな駅である。しかし暑い。


錫加工場
   錫製品の製作工場を見学。私は小さなウィスキーボトルを購入。今
まで旅行の時はポケットウィスキーの空き瓶を利用していたので、満足する買い
物であった。
カミさんに錫の原石で出来たネックレスをプレゼント。なに1200円ぐらいの
もの。それも後から家計から出ることになったので私の腹は痛まなかった。
娘には、いつも無駄な買い物をするなと言ってあったので、そんな買い物するな、
と文句を言われた。そこで、今までマレーシアを見てきて日本製品が多いのが判
っただろう、マレーシアだって日本のものを買ってくれるのだから、日本がマレー
シアのものを買ってあげるのは良いことだ、なんて言っておいた。
娘は以外と海外旅行を安くあげようとしている親の気持ちを理解している?


クワラルンプールのホテル
 ホテルに着く。ホテルの部屋は、全体が6m×8mで48平方メートル。
2間。ツインベットにエキストラベットが用意されていた。テレビが2台、
バスルームもかなり大きい。トイレは2カ所。


冷房が効かぬ
 ホテルでしばらく休憩。その後夕食を食べに、クワラルンプール
から50Km位  離れたクワラセランゴールに向かう。車は町に出た。もう一組の
3人が、「冷房を  強くしてくれ」と叫ぶ。ガイドはこれが最高だと言う。車の中
は冷房を最高にしても耐えられないくらい暑かった。どうなることかと思ってい
る内に、スコールが来た。旨くできている全くほっとした。このままあの暑さが
続いたら気が変になってしまう。スコールが来たら急に冷房が利き始め涼しくな
った。


ドリアン
  今日はマレー人の正月。道は郊外に出ても渋滞していた。市が立っ
ているらしい。
雨の中一軒の出店に止まる。そこで傘をさしながら、ドリアンという果物を食べ
る。新宿の果物屋で買うと7000円するものだとガイドは説明。まるでチーズ
みたいな美味しい果物であった。娘は一口、口に含んで食べるのを止めた。子供
には判らない味である。
ドリアン、生まれて初めて食べる

アブラヤシ
スコールは嘘みたいにぴたりと止まり、車はアブラヤシの林の前で止
まった。そしてアブラヤシの実を探す。アブラヤシはクワラセランゴールに向か
う道の両側に果てしなく続いていた。その道ばたには野生のバナナだろうか実を
付けていた。
野生の動物はジャングルの中では食べ物には苦労しないのではないかと思った。
あの熟したバナナの味を試したかったな。何しろ病虫害の恐れもあり日本は青い
バナナしか輸入は認められていないのだから。


ココナツジュース
 夕食は海鮮料理。水際に建物が建つ香港でのレストランと一緒
であった。昼間の暑さが嘘みたいに無く、涼しい風を受けてビールを飲む。ビール
は一杯12ドル。日本円360円。この国にしては実に高価な飲みのも。
イスラムだから政策的にアルコールの値段を高くしているとのことであった。
娘はココナツジュースを注文。ココナツの実の中のジュースが入っている。
以前横浜の中華街で飲んだのとは味が違う。ここのは本物だ。


蛍は本物
  夕食後、蛍の見学。車が着いたところは照明も暗く。ライフジャケッ
トが渡されたが、それも懐中電灯の明かりでやっと判る。
ボートの推進は電動モーターで静かである。岸にはまるで電飾で光るのかと疑う
ほど蛍が生息していた。電気仕掛けで旨いことごまかすな、と最初は思った。で
も岸辺に近づいたボートから娘が蛍を捕まえて、実物を見てから驚いた。皆本物
である。川岸にはおとぎ話のように蛍が光っていた。この辺りも開発の話があり
後2年間の命だとか、もったいない話ではある。


電飾
 車の通行量は多いが真っ暗な道を1時間以上かけてクワラルンプールに到着。
旧マラヤ連邦ビルの前を通る。建物が電飾で飾られていた。半端な飾りかたでは
ない。電飾はあちらこちらで見た。マレーシアは豊かな国?と思った。


夜の屋台
 皿洗いの少女娘は外に出るときは絶対起こして、といいながら、ベッ
トで寝込む。夜中12時頃  起こしたが起きないので夫婦で外に出る。
屋台が沢山出ている。日中暑いので人々は早朝あるいは夜中に活動的になるらし
い。道は両側とも2重駐車で真ん中の  一車線だけが通り道になっている。
歩き疲れて1軒の屋台に立ち寄る。相手の言葉が全く判らないが、身振りで振り
で注文しテーブルに着く。料理はなかなか旨かった。言葉を理解してくれないな
かなんとかビールを注文する。お釣りはぼることもなく小銭まで寄越した。観光
客づれしている店とはそこが違う。乾杯。

屋台の横を見ると手足の細い小さな少女が地べたに腰を下ろし一心に皿洗いをし
ていた。一生懸命生きている姿に「おしん」が重なる。でも流水で十分洗うわけ
ではないので、自分の皿には前の客の汚れが残っている気がしてなんだか食が進
まなくなってしまった。ヤワな男だ。
夜、涼しくなると屋台がでて午前2時でも大にぎわいだった


市内見学
  1月8日 18階のスイートルーム専用のレストランに向かうも手
違いからか拒否され、2階のレストランで食事。このツアー手違いが多すぎる。

王宮の前で激しい人だかり。門の前に真っ赤な服を着て旗を持ち馬に乗った衛兵
が9騎。門番も着飾っている。そこを目当てに観光客が集まっている。イギリス
の風景だな。少し離れた所には警官隊。白バイはHONDA−CBX750が6台。

国家記念碑に行く。1949年から61年までの12年間の独立戦争での戦死者
を悼む為にたてた碑である。そんな戦争があったのか。庭園には熱帯の花が咲い
ていた。
国立モスクへ向かう。今日はマレーのお正月。正装した男女が行き交っ
ていた。旅行の予定ではモスクの中まで見学できる予定であったが、これも駄目
になった。もう一組の3人ずれの一人はかなり不平を言っていた。
モスクの建物の壁に珍しく自動販売機が設置されているのが見えた。ここなら誰
もいたずらはしないのだろうか。

独立広場で見学。昨夜電飾で光っていた旧マラヤ連邦ビルの目の前であった。色
々な服装の人がいるので、マレー人をカメラに納めようとしたが、どうもカメラ
を向けられない。難しいものだ。


ヒンズー教寺院
  モスクの内部を見学できない代わりにと言うことで、市街の
13キロにあるヒンズー教の寺院のある鍾乳洞に向かい到着。
断崖を300段近い階段を上ったところに洞窟があった。高さは20mはありそ
う。その洞窟をさらに奥に行くと広場があり、そこにその寺院があった。

寺院が建っている洞窟のなかの広場の天井は抜けていて空が見える。そうだこの
光景、手塚治虫の漫画の「火の鳥」の光景だ。漫画ではここに閉じこめられた人
間が外にでられないという話だ。なんだか仏教の原風景のような感じ。

戻って下の店で椰子の実のジュースを注文。男が椰子の実をまな板の上に載せて、
薪割りのような包丁を数回、椰子の実にたたきつける。中からジュースがこぼれ

 出る。十分に熟した椰子の実のジュースは実に旨い。
カミさんはツバメの巣ジュースを注文。これも旨い。他の店の男がやってきてツ
バメの巣を売りつけた。かなり安い。でも買いたい気持ちを抑えて値引き交渉。
もう要らないよ、といったところで、値が下がり、購入。
その次に調子に乗って元気の出る効能を持つ樹皮も購入。
階段を上ったところに洞窟、そのまた奥に寺院がある

ペトロナスツインタワーは世界1
  次は、マレー人の正月のため、今晩予定して
いたマレーシアの伝統舞踊ショーが  見られなくなった代わりにと言うことで、ク
ワラルンプールタワーに案内される。
タワーより伝統舞踊ショーのほうが価値があるのだが文句言っても始まらない。

クワラルンプールタワーは高さ421mで、300mの所に展望台がある。

展望台について外を見たらタワーより高い建物が見える。ペトロナスツインタワー
で高さ452mである。これは世界一高い建物だそうで、そんなものがクワラル
ンプールにあるなんて驚きであった。
マレーシアの知識がなかった私は、マレーシアは中国くらいの経済力かと思って
いたが、とんでもない間違いであった。
クワラルンプールタワーの展望台からは眼下に高層ビル群が見渡せる。そのビル
群の回りにはなんと緑の多いことか、さすが熱帯である。


近畿の駐在員
 昼食は飲茶。テーブルに着くと、近畿日本ツーリストの駐在員と
いう若い男が来て、マレーの正月で、見学できない箇所があったことをわびた。
その男最初はマレー人かと思ったがよく見るとれっきとした日本人であった。マ
レーシアは複合民族国家なので日本人だってすぐに現地にとけ込めそう。買い物
なので私のことを最初から日本人かと聞いた店員は居ない。香港か台湾かなどと
聞かれた。色々な顔つきの人種が混在している国家なのだ。


サソリ
 次は土産物屋回りとなる。1軒目、その店は住宅街の中にあって日本人観
光客専門の店舗と判る。ツアーに参加すると必ずなんだかパッとしない店に連れ
て行かれる。これもツアーの代金に含まれているから仕方がない。1軒目では
「サソリ」の標本を買った。粘って粘ってうんと負けさせた。支払いはカードで
も日本円でも良いという話であったが、そこで現地の通貨に両替して貰って払っ
た。マレーシアはカード事故が多いと言うことを知っていたからである。でもマ
レーシアはそんなに危険かというと、そんな実感はない。アメリカや中国では財
布を人前では出せない雰囲気で現金は裸でポケットに入れていたが、マレーシア
ではそんな心配はないようである。これは夜中の屋台でも感じた。


土産物屋の店員
2軒目は貴金属店。カミさんは目の色を変えて物色していた。金
のネックレスなど日本円で購入していた。
そこでは、私に声をかけてきた女性に、あなたは日本人と間違われるだろう、言
ったら、日本で3年間勉強した、と言うことであった。私は何も買わなかったが、
その女性、何を勧めるでなく私との会話を楽しんでいるふうであった。なかなか
チャーミングな女性であった。簡単に接客しているようで以外と勉強している人
間を置いているな、と感心。
3軒目、急に1軒目で買った「サソリ」をもっと買いたくなってガイドに言った
ら、携帯電話で1軒目の店に連絡。その直後3軒目の店にもあることが判明。一
つ購入。


ヤンガー
  午後3時頃ホテルに戻る。ロビー集合まで3時間ある。少し休んでか
ら3人で町中を見学する予定だったが、スコールが来た。しばらくして雨が上が
ったようなので町中散策を誘ったが、もう母娘はのんびりしてしまって、行かな
い、という。
これ幸いと一人で町中にでる。すぐにポン引きらしき男に捕まる。私に許され
ている時間は5分間だけと言って断る。この男の英語は分かりやすかった。何
しろ「ヤングガール」といって腰を振るのだからね。面白い男でずっと私に
ついてきた。私に許された時間は後4分、後3分と言って煙に巻く。

クワラルンプールの若者達、因縁付けられそうで怖々と撮る

釣りは返した
 今日はマレー人の正月でデパートはやっていないと言う話であっ
たが、1軒のデパートはやっていた。中に入ってみるとなかなかの賑わいであっ
た。床も綺麗に磨かれ、人々の衣装も清潔である。吹き抜けの真ん中でトークシ
ョーをやっていて人々が集まっていた。5階のパソコン売り場に行く。日本と同
じぐらいの品揃えであった。店員が寄ってきたので見ているだけだと言ったら歓
待しているふうで気持ちが良かった。
デパートではベルトを購入。お釣りが10ドル多かったので返したら、ものすご
く喜んでいた。日本人は正直だと名をあげたかな。


果物購入
デパートを出て昨夜行った夜店の辺りに行く。町には目の鋭いのや、と
ろんとした目の人間もいる。デパートのパソコン売り場人間とはちょっと違う。
屋台の果物屋でマンゴスチンとランプータンという果物を数個ずつ買う。
これら散策中の状況は特定小電力無線機でホテルの18階にいる母娘には逐一報
告していたら、もう実況中継はいいわよ、なんて言われてしまった。
でも買って帰った果物は母娘に喜ばれた。

散歩で買った。左がマンゴスチン(29円)、右がランプータン(58円)

ビールはサービスと言ったってねー
 時間が来てロビーへと行く。もう1組の3人組はプールで泳いでいたらしく遅
 れてきた。
夕食はマレー料理。広い舞台があるレストランだった。
正月でなかったらマレーの伝統舞踊が見られたのに残念。ツアーで約束された舞
踊が無かったためビールは無料となったが、マレー人の旧正月が出発前に判らな
かったのか、マレーシアに関しては関心が無かったけど、今となっては舞踊を見
たかったと思う。


帰国
8時30分空港着。空港では残った現地通貨をビールなどを飲み使い切
る。母娘はお土産を物色している。
11時離陸。機内では12時軽食がでる。アルコールを沢山飲んで寝てしまおう
と考えたが、寝られなかった。

その後、成田付近の気流が悪いため早め朝食にするとアナウンスがあって、午前
3時に朝食となる。軽食をたべたばかり、そうお腹に入るものではない。
機が降下体制に入ってから揺れるとのアナウンスであったが、ほどんど揺れもな
く着陸。

機から渡り廊下に出たときにヒャーっとした冷気を感じた。現実に引き戻される。
入国審査の日本人専用のゲートでは白人が数人並んでいた。国籍は日本なのか、
白人でも日本人と言うのが不思議だったが、マレーシアでは不思議なことではな
いな。人種はアメリカ並みと感じた場所もあったから。

今回の旅行では、一部イスラム教の正月と重なり見られなかった場所もあるが、
マラッカ海峡も見たし、マレー鉄道も乗ったし、熱帯の林も見たしで楽しい 思い
出が沢山出来た。わずか3日の忙しい旅であったが、マレーシアと日本を比べて
考えさせられること
も多かった。それはこれから醸成されて来るであろう。






外出装備 2000 1/6(木)から9日(日) マレーシア

成田集合11:00 出発13:00 JL−723

旅券、財布(現金)、航空券引換票3 出入国カード3 ステッカー3 バッジ3 
クレジットカードOMC  海外旅行傷害保険3 
鍵、時計、眼鏡2、QSLカード、運転免許証

医薬品
酔い止め薬 太田胃酸 風邪薬 メンタム、救急絆創膏  ガーゼ 消毒薬   はさみ、刺抜き 
テーピング 目薬、アリナミン  トローチ 浣腸 ノーシン 体温計 防虫剤 殺虫剤 ムヒ
皮膚薬

手帳 電子辞書、ボールペン、鉛筆、マーカー、電卓、ノート 糊 

書籍(マレーシア 趣味の本)

カメラ(kiss)、バッテリー マイクロ三脚、フィルム(6本)

タオル2、歯ブラシ 髭剃り、ティッシュペーパー、

 着替え
パンツ1、シャツ1、靴下2、短パン兼用海水パンツ、 長袖

裁縫道具  布テープ、簡易工具セット、短波ラジオ、双眼鏡、
懐中電灯  扇子 ライター、透明袋 ゴムバンド、十徳ナイフ 傘 スリッパ タイマー、

スーツケース 肩掛けバック 

出で立ち パンツ ズボン Tシャツ Yシャツ 靴下 靴 帽子

空港で着替えてしまう ジャンバー ズボン上
 
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