知人の便り・ラスベガス・ロサンゼルス(1999年8月)



グランドキャニオン空港


わりと小さな空港











カジノで差し引き300ドルの儲け
一瞬、億万長者になるかと思った。本当に
お札は100ドル札

次の日興奮して、空港でもスロットマシーンに興じていた
カジノにはまったら身上つぶすよ。すぐ移動で助かった




アナハイムのコンビニ
ここで食料を調達

ここの街は本当に落ち着いていて良かった









日系博物館
説明して下さった三世のボランティアの方
どうもありがとうございました

先輩達のおかげで我々はアメリカを大手を振って
歩ける、としみじみ思いました


ここで自分のホームページを見る、文字化けだけど感激




ロサンゼルスのサンマ
みそ汁がシチューだった
野菜の添え物が多く洋食風

サンマとご飯は旨かった











成田到着


12時間の旅は疲れる

ボーイング747−400の翼が開く











出発

 7月半ば、ロサンゼルスに旅行に行くと決まって、家の壁にはロサンゼル
スの時刻を表示する時計も掲げられた。私は過去2回のアメリカ旅行では時
差ボケに大変苦しんだ経験から、日本にいるときから現地に合わせようとし
たのである。これは結果的には大変効果があったような気がする。
 
 いつも旅行の支度をするときには持っていく荷物のことで本当に迷う。今
回はラスベガスにも行くと言うことで旅行解説書を読めば、上着やネクタイが
ないと入れない場所もあると言う。それで無理して上着とワイシャツとネク
タイを持参することにした。これは結局とんでもない勘違いだった。ラスベ
ガスの町中は日中はとても暑く上着など着ている人は見かけなかったし、カ
ジノでも服装は同じようなものだった。
 
 ズボンもGパンがいいか薄手のズボンにするか、靴もはき慣れた運動靴か
革靴か、靴は結局よれよれの運動靴にしたのは正解だった。
 旅行の支度をしているときは、渡り鳥の偉さを感じる。鳥は何も持たず何
千キロも旅をするのだから。
 
 成田空港には集合時間の1時間前には到着。時間前にダイエーのカウンタ
ーに行く。ダイエーのツアーは我々3人だけと判明した。こういった格安の
旅行は現地の業者任せのことは知っているので別段不思議とは思わない。免
税のタバコを買って飛行機に乗り込む。
 
 大韓航空機は定刻通りの離陸で順調に飛行したが、ノストラダムスの予言
が脳裡をよぎる。「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」、
と言う下りである。今日は1999年7月31日。ちょうど予言の最後に日
である。そんなことは全くくだらないことと無視していたのだが、大韓航空
は以前色々な事件に巻き込まれた。北朝鮮は韓国をテロの標的にした過去
がある。もしかして・・、と飛行機の中でこんな心配をさせる北朝鮮が実に
気になった。地上にいるときは考えもしなかった事でした。
 でも機内食のビビンバは実においしく、すぐにそんなことを忘れさせてく
れた。
 
 
ラスベガスへの飛行機が飛ばない 

 途中、夜が来て、また朝になった頃ロサンゼルスに1時間遅れで到着。
入国審査を終わり、乗り継ぎ時間が1時間少なくなったため、焦りながら
乗り継ぎの荷物の預け場所を探す。やっとラスベガスに行く航空会社にた
どり着く。間に合って良かった。
 
 リノ航空、飛行機はMD−87、かなりの中古機。席は満席。やたらに
体のでかい人間が目立つ。スチュワーデスが乗客のシートベルトを点検し
ているとき、突然アナウンス。乗客の数人がシートベルトを外して機から
降りる。何事が起こったのか英語の放送が判らない私には判断できない。
たぶんオクラホマまでは飛ばなくなったのじゃない、と連れには説明して
おいた。
 
 次の放送では、どうやら修理が必要であると理解できた。大勢の人が機か
ら降りた。横のアメリカ人に女性にいつ出発するのかを聞いた。40分ぐら
いあると聞いて、待合室に戻り現地の旅行社に電話をする。日本語の判る人
に変わって貰って事態を説明する。また明日のラスベガスからグランドキャ
ニオンに行く飛行機のリコンファームをする。ハンバーガーを買って飛行機
の中に引きかえす。
 
 1時間後ぐらい経ってまた放送があり、全ての人が機から降りていった。
どうやらこの機は飛ばなくなったらしく、振り替え輸送をするようである。
困ったことだ。この飛行機のおなかの中に積み込まれている私の荷物はどう
なるの。たどたどしい英語でスチュワーデスに聞いても、私自身解らない、
けんもほろろに答えながら座席の片づけを始めた。仕方なく我々も機から降
りた。チキショー英語の放送が聞き取れないとはどうしょうもないことだと
、身が縮むような気持ちになった。
 
 今年の暮れにオーストリアにいる友人から、遊びに来いと言われているが
、ちょうど2000年問題の最中だし、こんな緊急事態が起こったら処置無
しなので、私一人で出かけるのは無謀だと解った。行くことは出来ないな。
 
 待合室には振り替えの飛行機の割り振りのため人々が並んでいる。
私もとりあえず並ぶ。
並ぶしか手がないのである。
かなりの時間が過ぎた。
私たちの順番が来る前に、列が急に短くなった。飛行機の修理が終わり飛べ
ることになったらしい。喜んで元の飛行機に戻った。機には満席の4分1ぐらいの
乗客が戻っていた。空席が多いおかげで私は見晴らしの良い窓際を占領でき
た。機は3時間30分遅れで離陸した。おんぼろ飛行機でもとりあえずラス
ベガスに向かって飛んでくれるのは有り難かった。
 
 
 
 
 ラスベガス到着
 
 飛行機の中の乗客はまばらで窓側の席が確保でき、ラスベガスまでの風景
が楽しめたのは幸いだった。ロサンゼルスを飛び立った飛行機はすぐに砂漠
の中に入った。こんな近くにこんな広大な砂漠が広がっているなんて驚いた。
NHKの英会話の番組で出演者が砂漠の中で車が故障して困ったと話していた
のを思い出した。まだ故障した車は砂漠の中に放置してあるという。
 
 40分ぐらい砂漠の上を飛んだ所、その砂漠の中に都市らしい物が見えて
きた。所々四角く縁取られた一角の水をまいたところだけに緑が見える。
 
 ラスベガス到着。現地の業者が迎えに来ていた。あまり遅いので帰ろうか
と思ったなんて、たどたどしい日本語で言った。この男は頑丈そうな無線機
を空に放り投げ一回転させてキャッチする事を繰り返しながら歩いていた。
アメリカの無線機は日本の者と比べると誠に無骨な感じがする。そのような
無線機をホテルの従業員も旅行社の者も皆持っている。相当電波が届くのか
携帯電話ではなくその無線機をよく使っている場面に遭遇した。
 
 空港の中はきんきらきんでバッゲジクレイムに向かう途中にもスロットマ
シーンが置いてあった。
 そこでリンダさんという女性に引き継がれた。この旅行社は空港で客をピ
ックアップする者、目的地まで運ぶ者、ガイドする者と旨く分業している。
 
 やっと本日のホテルに到着。ホテルでその業者に明日の夜のオプショナル
ツアーを予約する。ホテルの部屋からはまだ昼間で明るいのにきらきらとネ
オンや巨大なスクリーンが輝きだしたのが見えた。
 


街中

 しばらく休んで散歩することになり外に出た。グランドキャニオンに行く
ためにだけにラスベガスを組み込んだのだが、なんだか心がうきうきしてき
た。外は強い日光の光が横からはり倒すように体にぶつかってきた。気温は
後で判ったのだが40度ぐらいあったという。でも日陰に入れば全くさわや
かなものであった。砂漠で乾燥しているので汗がどんどん蒸発して体を冷や
してくれているのである。その代わり道行く人たちは飲料水を持って歩いて
いる。
 
 あるホテルの前に大きな池がありその池で噴水のダンスが始まった。
200m×100mくらいの池の中に噴水のノズルが直線的に100ぐらいと円形
に100ぐらい設置されている。本を見たらノズルは1000設置されてい
ると書いてあった。その噴水が音楽に合わせて吹き出され、踊り出した。水
圧と方向を微妙に変えるために、落下してくる水滴がまるで生き物のような
動きを見せる。全てのノズルが別々に動いているがそれらが旨く調和して、
なまめかしいダンスも見事に描写している。山の上の高層ホテルの上間で届
くと思われる噴水の高さには圧倒された。
 
 ラスベガスのホテルは一階がたいていカジノになっている。お客はいやで
もそのカジノを通って部屋に行くこととなる。ほかのホテルに泊まった客も
自分のカジノに来てくれれば儲けになるのかホテルのアトラクションで客を
引きつけている。きらびやかな電飾とショウで客をくらくらさせ賭博場で客
の金を巻き上げるという寸法である。
 
 飲み物を探して歩いた。ストリップと呼ばれる通りに面した場所では店は
なかった。それもそのはず、皆、ホテルやらのカジノの中に飲食店があるの
である。こっちは子供連れなのでカジノには入れないと躊躇していたのだ
が、その存在が解って、やっとカジノの中を通って売店に行き、ミネラルウ
オーターにありつけた。
 
 カジノの中は冷房が効いていて気持ちがよい。もっとも外にいても水さえ
持っていれば暑さは感じないのでさわやかである。
 


解ったワラー

 さて夕食と言うことになったが、今度はレストランがどこにあるか解らな
い。結局泊まっているホテルのバッフェと言うことになった。このバッフェ
とはこれもカジノに来るお客を引き込むために作られた食堂である。7ドル
ぐらいで食べ放題であるが、中身はどうしてかなり上等のものである。
 
 ウエイターが飲み物の注文を受けに来た。アルコールは置いていないので
私は途中買ったビールを飲んでいいかと聞いたら、もちろん、と快い返事。
娘は何にしようか迷っている。ウエイターに飲み物の種類を聞いた。ウエイ
ターがその種類を告げたので、私が娘に「解った?」と聞いたら、ウエイタ
ーが娘に「解った?」と日本語で言った。こいつ面白いやつだと感心してし
まった。あとで解ったことだが、どうもウエイターは「解った?」を「ワラ
ー?」と思ったらしい。ワラー、水のことである。それからは我々も水のこ
とをワラーと呼ぶようになった。
 
 娘がテレホンカードを買った。娘はカードを日本と同じに電話機に差し込
むと思っていたのだがその挿入口がない。使い方が解らず人に聞く、結局よ
く分からなかった。
 
 食事が終わって長い1日が終了した。妻娘は近くの店に買い物に行った。
私は疲れていたのですぐに寝てしまった。
 
 
 
 グランドキャニオンへ
 
 1日、6時、日本でインアターネットで予約をしたシーニック航空からモ
ーニングコールがあった。空港までは車で5分ぐらいで1番乗りであった。
チェックインを済ませて売店でサンドイッチを買って朝食。コーヒーはただ
で何杯でも飲める。ちょうど日本のお茶代わりである。グランドキャニオン
までの飛行機は揺れるというので酔い止めを3人とも飲んだ。
 
 飛行機はFokker F−27 50人乗り。スチュワーデスが頭上の荷物入
れに左右の手をかけながら行ったり来たりしていた。なかなかきびきびとし
た利発そうな魅力的な娘さんであった。
 
 プロペラの振動を感じながら30分ぐらい乗ると山岳地帯にはいって来
た。飛行機が不規則に揺れだした。これで天井に頭をぶつけることがある
という。娘はかなりまいっているようであった。
 
 1時間ぐらいで飛行場到着。飛行場の近くをヘリコプター、ベル206 が
何機も横切って飛んでいる。日本には見られない豪華な光景である。まった
くヘリコプターが公園のボートみたいに使われている。
 
 バスは2両連結。公園にはいるためかなりの額を料金所で払っていた。料
金所は民家のように屋根のある者だった。中にはガールスカウトみたいな子
がいた。歌を歌って踊っている子が居た。もしかしたら自然保護を推進する
ボランティアなのかな、と思った。
 
 バスに乗っていた日本語のガイドにつれられて一つ目のビューポイントに
行く。これがグランドキャニオンか、なんと広い空間である事よ。遙か下の
方にコロラド川が流れている。双眼鏡で見ると橋が架かっている。下から見
上げたら、この壁がさぞ絶壁に見えることだろう。どこを見て感動していい
やら判らない。とにかく私はグランドキャニオンに居るのだ。写真をたくさ
ん撮った。これが見たいために今回の海外旅行があるのだから。
 
 次はヤパパイポイント、先のポイントと違って防護のための段がない。そ
れだけ景色も良い。中国人らしき人に写真のシャッターを頼まれた。中国語
で話しかけた。日本語で返事があった。35才ぐらいの女性がシャッターを
頼んできた。一人旅らしい。いい場所ではこちらから声をかけてシャッター
を押してやった。私に連れが居なかったら一緒に歩けるのになー。
 
 昼はバッフェ形式の食堂。帰りの飛行機は行きよりは揺れた。昼すぎると
気流が悪くなるのだろうか。それでも頭をぶつけるほどの揺れではなくてホ
ッとした。



夜のツアー
 
 飛行場から部屋に帰って一休みした後、私は少しホテルの1階でスロット
マシーン。儲けが100ドルまでいったが、結局50ドルぐらいの損失。
夜はオプショナルツアーガあるので早めの夕食を取りに外に行く。結局ピザとなる。
 
 夜のオプショナルツアーは8人ぐらい集まった。運転手兼ガイドは今日の
ツアーが始まる2時間ぐらいの空き時間に、500ドルも損したと言ってい
た。今まで賭事は止めていたのに、と落ち込んでいた。成田の免税店で買っ
たタバコを2箱あげたら喜んでいた。鹿児島の出身で故あって妻子とともに
ラスベガスにいるらしい。こんな街にいたらギャブル好きは身をつぶすとそ
の男が心配になった。
 
 ツアーは高い料金の割にはつまらなかった。ショーを見せるというので期
待していたのであるが、それはアーケードの屋根に映し出される光景を眺め
るだけの無料のショーであった。
 タワーに行った。そのタワーのてっぺんに遊具がある。娘はチャレンジし
たが私はゴメン被った。
 最後は免税店ご案内。面倒なので我々だけ先に帰し貰った。なんだ結局自
分たちで回った方がよっぽど良かった。
 
 
 
 
スロットマシーンで儲けた
 
 ホテルの売店でクアーズを買って部屋で酒盛り。その後、子供に小電力無
線機を渡して、子供を部屋に残してカジノに繰り出す。
 スロットマシーンでカミさんがつきはじめた。私は最初はカミさんのコイ
ンをくすねていたが、隠れて財布の中から札をスロットマシーンに入れるこ
とを繰り返えすようになった。
 突然スロットマシンの音が止まらなくなった。人々が寄ってきた。どうも
儲けたらしい。機械の中に現金がないので係り員が何かを控えて、現金38
0ドルを持ってきた。ばんざーい。ウエイターがビールを持ってきた。皆に
祝福された。これでは舞い上がるよな。あと1泊すれば舞い上がった私は身
上をつぶすはめになることでしょう。旨くできてるよ。

 やっと眠る気になったのは午前3時だった。結局儲けは、帰りの空港で使
った分も入れて、300ドル。
 



ロサンゼルスへ

2日、ホテルのバッフェで朝食。迎えの車で空港。迎えは2人の若い男であ
った。その男達はカジノはやりません、やるのは観光客ばかりです、と言っ
ていた。あたりまえだよね。すんでいる者がカジノにうつつを抜かしたら生
きてはいけないだろう。
 空港で飛行機を待つ間、スロットマシーンで20ドルぐらい使う。搭乗待
合室までスロットマシーンがあるのだから徹底している。そうとう賭事の胴
元は儲かるのだな。
 
 エアバスA-320に乗ってロサンゼルス到着。我々を待っていたのは60過
ぎのおばさん。話がしたいらしくて仕方がないようであった。
 しばらく待って、今、日本から空港に着いたばかりのようなJALのツアー
バスに合流。バスはほとんど満席で、途中見学をして6つのホテルに人を送
り届けるとのことであった。
 
 サンタモニカで昼食。我々だけは食事がつかないので、近くの店でサンド
イッチを購入。JALのツアーが食べているあんなバッフェ形式の食事ならサ
ンドイッチの方がよっぽど気が聞いている。海岸まで歩く。
 
 サンタモニカ海岸。きてきてサンタモーニカー、娘が同じ歌をお母さんも
歌っていたよ、と笑う。海岸でホットドック屋のしゃれたいすを拝借。水着
の娘さんがインラインスケートをやっている。ビーチバレーボールをやって
いる。スケボーをやっている。ひろーい空間の中で思い思いに人々は楽しん
でいる。さわやかな風の中でアメリカに来たという実感がこみ上げてきた。
 
 バスに戻って次はチャイニーズシアター。ガイドはやたらに店で金を使う
ことを強要している。次が免税店。私はすぐに出て近くを徘徊する。この方
がよっぽっど面白い。ガイドがオプショナルツアーを聞いてきたがいっさい
断る。ホテルニューオータニでも店に案内する商魂にはうんざり。
 
 アナハイム到着。今朝までのラスベガスの喧噪とはうって変わって落ち着
いた街。低層の落ち着いたホテルでいっぺんに心が落ち着いてきた。部屋で
休憩した後、外を探索に行った。娘が頭の上に手を挙げて左右に揺らしてい
る。私も真似して歩いた。ここはアメリカだぞー、とうれしさがこみ上げて
きた。
 夕食はホテルのレストラン。スペシャルランチ。ビールはクアーズ。クワ
ーズはクーズだ。
 
 
 
 
ディズニーランド
 
 3日、のんびり起きてディズニーランドに出かける。昨日コンビニでディ
ズニーランドへの道は聞いてあるので歩いて出かける。でも10分のはずが
、20分歩いても着かない。通りすがりに人にディズニーランドに行くいい
方法を聞く。それで、駐車場まで歩きそこからトレインになった。
 
 30分近くも歩かされた娘は朝食も食べてないのも手伝ってか機嫌が悪く
なっていた。私だって初めて来た町である。間違いもある、それをことさら
責めるな、もっと大人になれ、と娘に注意した。むくれた娘は、それから母
親とドンパチやり始めた。肝心のディズニーランドに入ってから、娘は1人
で歩くと言い出した。
 では3時に入り口の星条旗の前で待ち合わせだよ、と突っぱねたら、怒っ
て何処かに行ってしまった。
 
 これはいけないとすぐに食事にすることにする。近くのホットドック屋で
注文に並んでいると娘がどこからか現れ寄ってきた。娘とホットドックやら
をテーブルに運ぶ段になって、今度は妻がいない。大人だから心配するな、
とこちらは食事にかかる。娘はかなり心配し出す。心配するのなら最初から
むくれるのではないぞ。妻は娘を捜して徘徊していたらしくやがて戻ってき
た。
 
 それから妻娘は色々な乗り物に2人で乗り始めた。私は並ぶのは面倒なの
で日陰でいつも待っていた。その方がよっぽど気楽である。
 
 このディズニーランドには22年前に来たことがある。その時は新鮮な驚
きであったが、そのころと比べるディズニーランドはだいぶくたびれてきた
ようである。道のゴミも目立つ、サービスの態度も悪い。東京ディズニーラ
ンドの方がよっぽどここよりかはましである。
 
 空飛ぶダンボで妻娘を待っているときに昨日バスで見かけた夫婦らしき人
がダンボに乗っている。写真を撮った。降りてきた2人に写真を送ると言っ
たら喜んで住所を紙に書いた。
 
 16:47 テラスレストラン
 19:56 夕食 
 21:45 ビーフシチュー
 
 インディジョーズアドベンチャーはなかなか凝っていて面白かった。
 かなりの時間を待っていて夜のショーを見る。見ても見なくてもどちらも
後悔しない、と言ったところ。
 
 
 
 
 さあ帰りのバスを探すのが大変。妻娘は楽観している。人に聞いたりしな
がらやっとシャトルバスにたどり着く。帰りは歩くのはゴメンなのでほっと
する。
 
 帰ってからホテルのプールに入る予定だったが疲れていて止めた。
 



ユニバーサルスタジオ

 4日、朝、近くのコンビニに食料を買いに行く。7時40分集合、と迎え
をのんびり構えていたら、7時20分とわかりあわてる。無事に時間に間に
合い。今日はユニバーサルスタジオへと向かう。
 
 ユニバーサルスタジオ、本当にアメリカ人ってこんなのが好きだねー、そ
んな感じ。もっとも日本人だって大挙して繰り出すので同じ事か。ここはデ
ィズニーランドと客層が違う。ディズニーランドはビヤダルみたいな人や黒
人がここより多かった。
 
 4両連結のバスに乗る。テレビで見たような内容が繰り広げられた。
 あとのアトラクションは見ても見なくても私には後悔しない代物。水上バ
イクなどが走り回るショーは後楽園のショーの真面目くさったようなものだ
が本質は同じ。
 
  昼はレストランでお米が入った食べ物を食べる。
 
 集合の4時になった。ほっとした。
ホテルはユニバーサルスタジオから2キロぐらいのハリウッド。部屋に入っ
て手足を伸ばした。
 
 ホテルの部屋で1時間ぐらい休んでユニバーサルスタジオに向かうことと
なる。ロビーで白人ユニバーサルスタジオに行く一番いい方法を聞いたら親
切にタクシーを手配してくれて値段交渉までしてくれた。
 
 ユニバーサルスタジオは昼間とはうって変わって寒くなってきていた。さ
あ最後のだめ押しと言った感じでジュラシックパークにむかう。ジャングル
の中をゴムボートが進み、最後に滝を落下する代物である。下の水面につい
たとき大きな水しぶきがあがり、その一部がボート内にかかることになる。
お尻が塗れる程度ではすまないのだが、人気がある。実際私も乗ったが面白
かった。合羽を着ていたがズボンはずぶぬれであった。それでもカルフォル
ニアの気候。すぐに乾いた。これは驚く。日本の気候では真似は出来ない。
 
 夕食は、タクシーの運転手の薦めで近くのスパゲティ屋に行く。これは大
正解。店の作りもいいし、活気があって、味もいい。従業員の態度も良い。
 
 
 
 
日系博物館
 
5日、今日は1日中フリー。ゆっくり起きてホテル14階のレストラン。
展望を楽しみながら朝食。
 
 タクシーでダウンタウンの日系博物館に向かう。入り口から日本語が通用
する。なんだか心が休まる。係員が私にまとわりついて説明を始める。日系
三世とかで日本語と英語が混じった説明を聞く。後で、この人はここの博物
館の多額の出資者で週2回だけ来るボランティアだと解った。
 
 日系人の間では第二次世界大戦中の強制収容所送りがよほど悔しい出来事
であったらしい。キャンプという言葉がそのまま第二次世界大戦中の強制収
容所を意味している。ワーワーワンの時もアメリカ人として戦った、なんて
言った。ワーワーワンは第一次世界大戦だ。
 
 ほかにも来館者が居るのに、その人によっぽど気に入られたのか資料セン
ターにも案内された。そこの係員に明治の終わりの資料を聞いたらそれは検
索できないと言われた。明治の終わりに私のお爺さんがここらあたりで暮ら
していたはずなのである。
 
 CRTのブラウザーに館内の案内が表示された。それで私のホームページを
見させてくれと言ったら、そのコンピュータは外部に繋がっていないと言う
ことで、自分のコンピュータを外部につなげてくれた。
 そこには懐かしい自分のホームページが表示された。日本文字は全て化け
ていたが、画像はそのまま、海外で自分のホームページが見られるなんてと
ても嬉しい。
 
 玄関でそのボランティアの人の写真を撮って博物館を後にした。
 次に第二次世界大戦中の日系人部隊の活躍をたたえた碑に行く。ここでは
二世が色々と説明してくれた。その人はビルマで日本軍と戦ったと言うこと
であった。
 
 



サンマ定食
 
  次にドルが乏しくなったので銀行で換金。一ドル121円であった。残っ
たドルは成田で円に換えたが、1ドル111円で結局7000円の損失であ
った。
 
 リトル東京を歩く。昼ご飯と言うこととなり、日本食堂に入る。老夫婦が
2組、黙ってゆっくりと日本の定食を楽しんでいた。私はサンマ定食を注
文。みそ汁椀にスプーンがついている。なんとみそ汁椀にはシチューが入っ
ていた。これには期待を裏切られた。みそ汁が飲めると思っていたのでガッ
カリ。サンマの皿にはたっぷりと野菜が添えらていいた。サンマとご飯は実
に美味であった。元気が出てきた。やはり日本食は喉をすんなりと素直に通
る。
 


ファーマーズマーケット

 すっかり元気になって、ファーマーズマーケットに行くことにする。タク
シーがなかなか捕まらない、ロサンゼルスはタクシーの量が少ない。流しの
タクシーなどほとんど見かけない。20分ぐらいして反対車線のタクシーが
我々を見つけてくれ、乗ることが出来た。降りるときチップをはずんだら喜
んでいた。
 
 ファーマーズマーケットは妻娘はあまり気に入らないみたいなので、近
くのアウトレット店へ向かう。
 そこで1時間半ぐらい、妻娘はブランド品を物色し始めた。私はベルトと
Tシャツと短パンを購入。妻娘は品定めに一心不乱の面もち。こんなまじめ
な顔をするときがあるのだ。
 
 支払いを済ませ、そこからブランド品の店が並んでいるロデオドライブに
行きたいというので、一度ホテルに戻ることを提案。買った荷物を抱えた母
娘はそれにすぐに賛成。それからタクシーを拾うまでが大変。色々人に聞い
てなんとかタクシーに乗り込む。ホテルについてほっとした。私はアッシー
くんである。
 
 
 
 
 ロサンゼルスで大渋滞を体験
 
 ホテルで一休みした後、ブランド品の店が並んでいるロデオドライブに向
かう。途中ビバリーヒルズの邸宅街を通って貰う。大邸宅の前で、運転手の
告げる住んでいる人の名前に妻娘、歓声を上げる。私は知らない人ばかり。
情けなや。
 
  ロデオドライブでは妻娘は目的の店に向かう。私は先にタクシーに戻って
運転手の写真を撮ったりする。その運転手、あまり英語が出来ないみたい。
最後にはイタリア語みたいな言葉を使い始める始末。たぶん前に乗ったタク
シーの運転手と同じクロアチア人かもしれない。ロサンゼルスには色々な人
が流れ着いている。
 
 帰りの道は大混雑。道路の回りの光景を楽しめる、と運転手には告げたが
、いささかうんざり。
 
 夕食は、土産話になるかと思い、日本にもあるデニーズとする。日本のよ
うな清潔感にいささか劣る店で私はステーキを食べる。支払いの伝票は自分
でチップ額を記入することになっている。チップ額に横には鉛筆で15パー
セントと書いてある。私は14.8パーセントぐらいで切りがいいので、そ
の額を記入。支払った後、お釣りを調べたら、しっかり1ドル足りない。チ
ップは15パーセント以上と言うことか、面倒くさいものだ。でもここは外
国、私がとやかく言う筋合いのものではない。 ホテルでビールを飲んでア
メリカ最後の夜を過ごす。
 


帰国

 6日、迎えの車に乗ってロサンゼルス空港。車には私たちともう一組のカ
ップルが乗り込む。カップルはこちらとの接触を回避するようにしている。
ははーんなるほど、いいないいな。
 
 空港でうどんを食べる。カルフォルニア巻きの表示を見てそれも頼む。海
苔
巻き中にアボガドが入っていた。免税店で時間をつぶす。
 
 大韓航空機は時間どうり離陸。それから長い長い時間がたった。この時間
はどうしょうもない。アルコールを出来るだけ頼んで耐える。
 スチュワーデスが赤い飲み物をもって通路を歩いていた。トマトジュース
だと思って、トマトジュースと言ってそれを取る。そのスチュワーデス、後
からトマトジュースを持ってきた。そのサービス精神ぶりには頭が下がった。
 
 大韓航空機には武装警官が乗っていると何かで読んだ記憶がある。それらし
き無骨な男が確かに居た。

 うんざりするほどの長い時間が流れた。
 
 ようやく銚子の光景が見えてきた。眼下に広がるパノラマを楽しんでいる
内に、車輪が地上に着く衝撃がした。無事到着。飛行機から出たとたん空気
の重さを感じた。湿気が多いのが肌で感じる。ああ、またこの中での生活が
始まるのか。
 大韓航空機はちょうど済州島からの便の到着と重なり、その人達の荷物の
受け渡しで大混雑。今度は我々は済州島に行きたいものだと思った。これで
楽しかった海外旅行が終わった。
 
 
 
 
 
外出装備品
 
旅券、出入国記録カード 搭乗券引換証 荷札 荷物シール ワッペン
傷害保険ハンドブック
シーニック航空予約print
 
財布(現金)クレジットカード、鍵、時計、眼鏡2、運転免許証
 
医薬品
 正露丸   化膿止め 刺抜き テーピング 目薬、 浣腸 
ノーシン  ムヒ   酔い止め薬 太田胃酸 風邪薬 
メンタム、救急絆創膏  ガーゼ 消毒薬   はさみ、、アリナミン
  トローチ  体温計  皮膚薬
 
手帳、ボールペン、鉛筆、マーカー、電卓、ノート 糊 特小無線機2
 
電子辞書 
 
カメラ(kiss・)、バッテリー マイクロ三脚、フィルム(20本)
 
 タオル、歯ブラシ 電気髭剃り、ティッシュペーパー、
 
着替え 
ズボン下 パンツ2、ランニング1 Tシャツ2、靴下2、短パン  長袖1
 
簡易工具セット、短波ラジオ、双眼鏡、多目的用ロープ、
懐中電灯 ガムテープ マジック 扇子 
梅干し スーパーの袋、ゴムバンド、十徳ナイフ 傘 スリッパ 
 
 

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