Aさんの旅日記・インスブルック・2000.8.16


















インスブルックへ 不安 
一昨年、カミさんがグループの旅行で中国の三峡下りに行く予定でした。
しかし生憎の洪水でその旅行は中止。
ダムが出来る前の今年こそは行きたいと、夫婦で行く予定で申しこんで
おきました。
しかし残念ながら事情がありキャンセルと相成りました。申込金はほと
んど戻ってこないようです。
 
その時、オーストリアのインスブルックにいる私の友人から手紙。
遊びに来いと書かれていました。
そこに電話番号が書かれていたので電話。今年の正月に行くといっていて
2000年問題を口実に延び延びになっていたので、是非来いとの事で
あった。

中国の三峡下りも中止になったし時間が空いたので「行こうかな」と言
うことになり取りあえず格安航空券の旅行社に出向きインスブルクまで
の料金を調べました。
 
旅行ガイドブックも購入。しかしこれからが大変。というのは、なんだか
知らないけどいやーな不安が時々襲ってくるのです。
 
「一人で飛行機を乗り換えられるのか、ましてやアムステルダム経由
では乗り換えられないよ」
「お前の英語力では無理だよ、オランダと言えば蘭語だろ、オーストリ
アだって独語じゃないか」
「友人が遊びに来いというのは社交辞令だよ」
「めんどくさいと思ったら止めた方がいいよ」
「家でのんびりしていた方がいいよ」
「帰り乗り遅れたら仕事はどーするの」
「リコンファームなんて自分でしたことはないよ」
「10時間近くも飛行機に乗って行くほどのものか」
「病気になったらどーするの」
「一人だと相談する人もいないのだよ」
「お金だってかかるのだよ」
「三峡下りのキャンセルだって大損なんだよ」
「日本でやることは山ほどある」
「エクセルだって勉強する予定だったろー」
「RANだってやる予定だったろ」
「ホームページだって改訂しなければ」
「兄の家の蛍光灯、私が取り替えてあげるって言ったっけ」
「たまった荷物の整理する予定だったろー」
「パソコンソフトインストールしなければ」
「デジカメだって、クーラーだって、・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「めんどくせー、止めた止めた」
 
 
インスブルクへ 相談 
全く一人で海外に行くとなると色々な不安があるものだとおもいました。
以前、カナダに留学するという女性から、一緒にカナダまで行ってくれる?
と冗談とも本気ともとれない表情で聞かれたことがあります。
いま聞いた意味が分かりました。それだけ一人が行くことが不安だった
ということでしょう。(聞かれたときは嬉しかったけど。)
一人で海外旅行に出発する。最初の壁さえ越えてしまえば、なんて事
はないのかも知れませんが、パッケージツアーとは比べものにならない
この不安。
 
「こっちの方向で良いんだっけ」
「どうにかなるよ、心配するなよ」
「じや、取りあえず行ってみよう」
こんな他愛ない会話が、相棒がいれば出来るのです。
一人なら不安が増幅してくる。いやだいやだ
 
しばらくは日本の光景、ただ今まで見ている光景、が不安のない
安息感のある光景と写りました。
日本ならこんなのんびりしていられるのだもの、
「無理して緊張することは、やめたー。」
 
この胸の内、なんと娘に相談、
「いやなら、やめればー」
こんなこと相談するのではなかった。
「そう、やめた、やめた。お父さん忙しいのだから」
 
インスブルクの友人にも正確な日時を知らせないと、彼の仕事にも
差し障るので、最終決断はカミさんに相談する事で決着と心に決めました。
 
カミさんが、仲間との旅行から帰ってきました。
 
「もうその歳では2度とない機会かも知れないわよ」
「行かなかったら絶対後で後悔するわよ」
「家のことは何も心配しなくて良いわよ」
「乗り換え? あなただったらダーイジョーブヨー」
「次は私を案内してね」
「お金は全部自分で出してね」
 
最後を除けば、オレのカミさんってこんないい人だったけ?
なんだか信じられない。
「駄目よ、自分だけー」といわれて私の悩みも消えると思ったのに。
 
 
 インスブルへ 鼻歌が 
次の日、旅行会社のカウンターへ。
158、000円のKLMアムステルダム経由の便は、帰りの飛行機がない。
 
フランス航空は、帰りがインスブルクからパリまで自分の足で来いだって、
乗り換えが心配な私がインスブルクからパリまで行けるわけがない。
スイス航空も帰りがない。
 
一番高いオーストリア航空も飛行機の便もあって希望どおりには行かない、
何しろ帰りが無いのであった。
その間の、係りの人と交渉している間も、止めろ止めろのささやきが耳に。
最後にお金を支払う段になって、係りは「さーどーする」と言う態度で
一切話さなくなる。
いろいろ調べさせたからか、現金を支払ったら係りが休憩取ったのには
驚きましたよ。
 
結局。ウィーン乗り換え。料金226.000円、予定より7万も高い。
これでオートバイ買い換え計画は頓挫だー。
なんだ、オーストリア国内の乗り換えだから、乗り換えに失敗したって
気楽だ。そう思ったとたん、もっと緊張した乗り換えの方がいいなー、
アムステルダムもチューリッヒもパリも中継地としてだけでも行きたかった。
なんて人間って勝手。
 
その深夜、インスブルクの友人に電話。
「その日程ならベストだよ。アルプスの方まで一緒に行けるよ。
大歓迎だよ。」
いやー嬉しくなって、山の娘ロザリアー、歌が出ました。
 
と言うわけで、夏休み休暇と有給休暇を使って
16日から11日ほどオーストリアに行くことになりました..
 
 




インスブルック8月14日
 旅先でインターネットできないものかと思案。 今更新しいパソコ
ン 買って、それの使用に慣れ るのには時間がかかるので止める。
 もテキスト入力だけでも出来ないものかと思い実家の帰りに秋葉
原へ。

中古店で店員にテキスト入力だけできればよいと探す。
モバイルギア¥7800円が陳列棚にあった。
店員にこの機種の説明を求めた。結構丁寧に説明した。購入。
液晶表示のバックライトがないので見にくかったが単3電池2本で
10日間充分使えた。



インスブルック8月15日 
昨日は新聞休刊日だったので、今朝来た新聞に新鮮味を感じた。

昨夜はモバイルギアのファイル転送で午前1時頃までかかった。
最初はシリアルケーブルで転送しようとしたが転送ソフトがうまく
インストールできない。次に確かPCカードがあったはずと探しだ
し、それを使ったらうまくいった。今日の1日モバイルギアに慣れ
ることにかなりの時間を費やした。



インスブルック8月16日 
5時40分起床 
いつものように出かけるまで慌てることが多い。

ウエストポーチが突然欲しくなり探しまわるも、いつもの場所には
 見つからない。バーゲンで買った小さなショルダーバックが出て
きてそれにする。
そんなに慌てて探し出した小さなショルダーバックも空港につく前
に使用を止めてしまった。

家を出てから、友人とランニングするかもしれないと思い、戻って
運動靴をスーツケースに放り込む。いつも行動が泥縄式。

あと電車が来るまで7分ぐらい。私鉄の駅に行く途中のJRの
駅で友人に頼まれた新聞を買う。新聞を買って、もう時間がないと
私鉄駅へと走る。

あと50mのところで目的の電車が発車しているのが見えた。
次の電車に乗る。前の電車で行くのとは25分遅くなったが出発時
間2時間前の3分ぐらいの遅刻で済んだ。
家が空港に近いとギリギリでもいいと思い、結局あせる結果となる。
余裕をもって行動したいものである。

空港では航空会社に成田で預けた荷物はウィーンではなくインスブ
ルックで受け取れることを再確認。昨年のラスベガス行きではロサ
ンゼルスで一旦預けた荷物を受け取ったものだから心配であった。

あせる気持ちを押さえようと腹ごしらえ。荷物を預けてから店で鉄
火丼セットを注文。

本日は込みあっているので出国審査はお早めに、のアナウンスで急
いで出国審査へと向かう。審査官は大量の人をさばくため審査時間
は極短い。私の顔など見なかったようだ。

ウィーンはWIENだと思っていたらVIENNAと表示されてい
た。英語ではVIENNAというのを飛行機の中で辞書引いて初め
て知った。
乗る飛行機はオーストリア航空となっていたが、実際にはANAで
あった。共同運行だそうである。
同じ飛行機がオーストリア航空ではOS8555便、ANAではN
H0207便と呼ばれるわけである。おかげで日本語が完全に通じ
るためラクチンである。

航空券をを受け取るとき、座席は窓際という、希望はかなったが、
残念なことにちょうど翼の真上であったので、風景を見るには体
を後ろ向きにひねらなければならない。でも隣の席が空席。
肘がとても楽であった。

747−400機は一度太平洋に出てUターンして新潟に向かった。
日本海を北上しシベリアに入った。初めて見る大地なので感激であった。
川が見える。クネクネと何の束縛も受けず大きく湾曲して流れている。
遙か北の方に見える海は北極海かな、などと思う。

ビールを飲む。その後すぐに食事となる。
シベリアは行けど行けども同じ風景が続く 画面に映し出される映画
「釣りバカ日誌」を見る。面白くない。
時計がなかなか進まない。飽き飽きしてきた。寝たり。読書したり
と時間をつぶす。

時たま自分だけ遊びに行くので家族のことが思い浮かび、気が滅入る。
単身赴任の気持ちがわかるような気がした。

モバイルギアでソリティアをやる。これはなかなか面白い。ゲーム
をやるのは結構楽しく時間潰しにはなかなかよい。
モスクワ上空で大きく機は右に旋回した。その後、午後1時頃にも
食事が出た。

機は畑地帯に入り大きな川を越えて飛んだ。ドナウ川かな。
午後3時20分ウィーン空港到着。空港は成田と比べると田舎の空
港のように小さい。オーストリアの入国審査は人の顔も見ないでパ
スポートに判を押すだけあった。

大勢の人の波についていったが私は乗り替えと気付いてその方向を
探す。私の進むべき通路は見つかったが閉鎖されていた。しかたが
ないのでいったん外に出た。銀行で5万円を換金。1シリングが
7.6円であった。
ちなみの帰りの成田で日本円に変える時は5.9円だった。

その後、三人の人に道を尋ね、乗り替え便の待ち合い室に到着。A
NAでは日本語が通じたのにいきなり日本語が通じない世界に入り
込みやけに心細い。

出発便まで1時間以上あったのでスナックで飲み物を飲む。

待ち合い室から飛行機まで乗客を運ぶバスが傑作である。運転席が
バスの前と後にあり、出入り口がバスの正面にもついていて、その
入り口が待ち合い室の出口にあわさるようになっている。

5時45分、80乗りのフォッカー70でウィーン出発。機はかな
りの角度で急上昇。機内食が出た。積乱雲が立ち込めている中を、
その雲を避けるように機は右左に旋回して飛行。チロルの地形は常
に上空に大きな雲が沸くようである。雲の間を縫って降下しインス
ブルック空港に着陸。山岳地帯のためか飛行機は結構揺れたが、
小さくて安心感のある飛行機で余裕で風景を楽しめた。

空港でトイレに入っている間に成田で預けた荷物が出ていた。随分
早いので驚いてしまった。
友人が待っていた。友人はインスブルックに1年間住んだことがあ
るが、今年は2ヶ月だけなので、主に学生が使うホテルに投宿して
いた。

タクシーでホテルに到着。友人の部屋は約12畳ぐらい小さめのベッ
トが2つ。気楽な独身生活を楽しんでいるようでもあった。















友人は13日から27日までまったく暇だったので、私が来なけれ ば部屋で、ぽつねんとしていなければならなかった。私が来たことを ことのほか喜んでくれた。 早速ホテルのベランダでビールで乾杯。ついに自分がインスブルッ クに来たと実感。セイタカアワダチソウが斜面一面に黄色い花を咲 かせていた。 夜、バスに乗り市街へ行く。16世紀に建てられた建物の間を歩く。 雨が降ってきた。高田みたいな雁木のある場所を歩く。雁木と例え たががっしりとした建物である。とある店の中でコーヒー。店員に 日本の煙草をあげたら喜んでいた。建物の4階に案内してくれた。 まるで映画に一場面のような薄暗い通路だった。 その後一回りしてホテルに帰る。部屋でビール。山の方で雷鳴が聞 こえる。 インスブルック17日   夜中、目が覚めてしまった。時計を見たら午前3時。日本時間の午 前10時である。時差ボケでも、まだ起きるわけにいかないので目 をつむりベットで我慢する。 友人も5時ごろ起床。7時にホテルのレストランで朝食。 パン、ハム3種類などであった。私は持参した即席味噌汁をカップ に入れてお湯を注ぎ飲む。大してうまくはないが喉にはすっと流れ た。 友人は私の旅の疲れを心配してかのんびりしろと市内見学は10時 からとなる。



















歩いて市内に向かう。インスブルックは標高約600m。南と北に ある山並みは約2400m位である。山脈と山脈との間にイン川が流 れその盆地がインスブルックである。昨夜は解らなかった山が建物 の背後に迫り、目を見張るほど美しい光景であった。 歩きながらショップ見学。バスの1日乗車券購入。 このバスが面白い。バスの1回件は23シリング。1日券は40 シリング。バスには日本のように乗るときにお金を払ったり券を受 け取ったりする事はなく、ダマって乗って目的地で黙って降りる。 滞在中バスには随分乗ったが検札は一度もなかった。 でも人々は正直に券を買っているようだ。 バスに乗り市街へ。本屋、地図を購入。 デパート散策。郵便局。 聖ヤコブ教会、ここの内部はびっくりするほど豪華絢爛。 バスに乗り空港近くのインスブルック大学スポーツ研究施設見学。 近くのレストランで食事。おなかが空いていたので、バイツェンビー ルをぐっと飲む。実にうまいビールであった。牛肉とタマネギの焼 いたもの、サラダ、ジャガイモが出る。ジャガイモは美味であった。 バスで市街に戻り王宮公園に行く。映画「男はつらいよ」にウィー ンの公園でとらさんが日本語、現地のおばあさんがドイツ語で会話 する場面があるが、その風景にだぶる。 インスブルック18日(金)    よく寝た。5時30分起床。 友人についてイン川に沿って走る。途中近道をしようとして横道に 入り道に迷う。着陸しようとする飛行機で飛行場の位置を確かめな んとかホテルに戻る。地図を持って出るべきだった。 7時30分朝食、スペイン人の団体がいた。友人はスペイン語で話 していた。 初めて洗濯。11時頃までのんびりと過ごす。 バスで市街へ。電気屋を覗く。SONYが巾を利かせていた。 昼は魚料理食べる。醤油があれば美味しかっただろう。 路面電車で中央駅に行く。 バスでケーブルカーの駅に。 ケーブル、ロープウェイ2つ乗りついで終点。頂上へ歩く。 標高600mから2334mへ一気に登る。 南側の景色は絶景。インスブルックが山並みに囲まれてぽつんと 盆地の中にあるのがよく解る。イン川が光っている。 着陸しようとする飛行機が谷底に小さく見える。 北側を見ると何処までも山が連なっている。 頂上に日本人2人来た。日本人に会うのは珍しい感じ。 中腹ではハングライダーを楽しんでいる人も居た。 ビールを飲み風景を楽しむ。 降りて、バスを乗り継いでホテルへ。 一人で近くのホームセンターに行く。こちらのコンセントは220V でまわるい形をしている。記念に1個購入。 駐車場に私の欲しかった日本では売られていないオートバイ。HONDA トランザルプ600Vあり。 隣のマーケットでオートバイの雑誌買う。45シリング。 返り道オートバイツーリングの集団に遭遇。日本では販売されてい ない日本車が多数あった。 本日はバスを8回乗った。1回券を買っていれば184シリング。 約1400円 1日券だと40シリング。約300円。チケットは一回も確認されなかった。 夜、バーに行った友人から電話。つき合ってビール飲む。 インスブルック19日 6時より7時までイン川河畔を走りトレーニング。 ナナカマドきれい風が冷たい。もう秋の気配である。 シャワー 朝食 これで3泊終了。4日目。 友人の用事につき合い列車でシュルンスへ。 シュルンスはオーストリアの西、スイスとの国境近くにある街で インスブルックから列車で2時間ちょっとである。 インスブルック駅は日本と違い、ホームには切符なしで自由に 入れる。自転車さえも走っている。人口が少ないと行くことは 気楽なものだ。 列車は1両の車両に11のコンパートメントと呼ばれる小部屋があ り。その部屋には6つの座席がある。 我々が乗った車両には日本人が1人乗っていた。会社の休暇を取り 一人でヨーロッパの鉄道の旅を楽しんでいるのであった。 よく一人旅が出来るものと感心。23日にオランダから帰国と言っ ていた。 ブルーデンツ到着。電車を乗り換えてシュルンス。 駅近くの、木陰を利用したレストランで昼食を取る。とんかつ風の 食べ物。日本のソースがあったらもっと旨かっただろう。 友人の知り合いの店でお茶を飲む。 ホテルに行く。建物はチロル風で窓という窓は花で飾られている。 その後友人の用事で友人の知人の家に行く。オーストリアの一般家 庭に初めて入る。アメリカのそれと同じ。前回行った台湾で垣間見 た家も基本的にはアメリカと同じだった。履き物を脱ぐ日本が世界 の中で特異な存在なのかな。 その家の庭を散策した。 サウナに行く。友人は何処かに行ってしまった。男用の更衣室にい たら若い女性が入ってきた、場所を間違えたと慌てて外の表示を確か めると確かにHERRNと書かれている。取りあえず奥のコーナーで 更衣する。 サウナに入る。入って驚いた。さっきの妙齢の女性が横になっていた。 そっぽを向いていたが、束縛されないおおらかさを感じた。茶髪だ ピアスだなどと、くだらないことに規制をかける日本は哀れだと感じた。 サウナを出て街の教会で休む。教会はいつでも入れるからいいな。 その後ホテルに行き休む ホテルのレストランのテラスで夕食。カルッパチョ、係りの 娘さん美人。 9時、街の真ん中で行われたジャズフェスティバルに行く。 友人の知人が出ている教会見たいな場所に行く。アコーディオンで の演奏があった。 その会合が終わり。昼飯を食べたレストランで宴会。 人がどんどん増えても、勝手にテーブルを寄せて、広くしていっ たので、はじっこに居た私が真ん中になってしまった。 シュルンスは新潟の妙高高原と姉妹都市を結んでいるとかで、 友人はその関係で優遇されているようだ。 私の主人は南アフリア出身という婦人に、旦那は南アフリカでダイア でも掘っていたかと聞いたら、私が掘り当てたダイヤは主人だ、と のたもうた。カンパーイ。 インスブルック20日(日)   6時早朝ランニング。川添いに走る。 朝食。内容はよい。チロル地方の特徴ある家具に囲まれたホテルで あった。 ロープエイを2つ乗りついでシュルンスの山に上った。大きな谷底 にある街だと解る。一面に緑に覆われて、山の中腹には白い壁のチ ロル風の建物が点在している。軽飛行機が谷底を沿うように飛んで いる。じっと見ていないと見逃してしまうほど小さく見える。 麓に戻り11時のバスにてシルベレッタ湖に向かう。道が日光のい ろは坂のようになってくる。人造湖があった。氷河の作り出した谷 である。まるでグランドキャニオンである。潤いからいけばこっち のがグランドキャニオンより落ち着けて飽きない光景である。















バイクでツーリングしている人が多い。日本でちょっと前までトラ ンザルプというオートバイが売られていたが。そのバイクのコンセ プトはトラス・アルプスである。ちょうどこの辺を走るバイクと言 うことだろう。 日本では手に入らない日本のバイクが多数あり、面白くて仕方がな かった。 タンデムで走行する姿が絵のようである。

















遠くの山には氷河が見える。 レストランのテラスで風景を眺めていたフォークミュージックが 始まった。アコーディオンを引きながら歌を歌っていた。近くに呼 んで日本のたばこをポケットに挟んだら、歌いながら「ダンケシェー ン」だって。 一般に「ダンケシェーン」とは言わず、「ダンケ」だけが多い。 「グーテンモルゲン」も「モルゲン」「アウスビータゼーエン」も 「ビタゼーエン」だけである。 バスに乗シュルンスの街に戻る。珈琲を飲んでいるうちに列車の時 刻。 帰り列車のコンパートメントにいた婦人は良くしゃべる人だった。 足が悪いらしくインスブルックへ入院する為に乗って居たのである。 インスブルックの駅で荷物を持ち降車を手伝っていたら女性のドク ターが来て感謝された。 駅の近くの中国料理店に食べに行った。モンゴリアンバーベキュー だとかを食べた。台湾で食べたのとは違ったものだった。 ホテルに戻る。食堂には韓国人の団体が居た。此処のホテルは入れ 替わり立ち替わり団体客が入る。日本の団体は入らない。日本人は 高級なところに泊まるので此処までは来ないと言うことである。 インスブルック21日 5時起床 6時からトレーニングイン川河畔を走る人は女性が多い。 中にはにこやかに挨拶する人もいて、とても嬉しい気分になる。 すこし別の所を歩き雑草を楽しむ。ホテルの帰ってシャワー。気持 ちよい。 今日はドイツのミュンヘン日帰り旅行である。 ミュンヘンはドイツであるがインスブルックからは列車で3時間 ぐらいの近さである。 韓国の団体は出発した。 リコンファームのため電話するが電話番号が変わっている。そこに 電話するもそこは一般家庭である。実に困った。 食事の後バスで駅へ。 列車で国境通過。入国管理官が入ってきた。パスポートの表紙だけ見 て引き上げる。 平原が続く。 ミュンヘンは大きな駅であった。 市内観光バスにの乗る。インスブルックがものすごい田舎に見える ほどスケールの大きな街である。 観光バスを降りて、食品市場へ。 ソーセージとビールを楽しむ。 1杯のビールで風景を楽しんでいる人。食事をして いる人など多彩である。隣の席にはサイクリングの若者が座った。 日常の景色の中にとけ込む感じ。



















写真を撮ろうとしたら自分もキャノンを持っているという人が来て シャッターを押してくれた。 沢山の人が行き来していたが日本人には会わなかった。イスラムの 人が多い。歩き疲れてお茶を飲む。 ドイツでもリコンファームを試すがうまくいかない。 帰りの列車では入国審査官は来ず、無事オーストリア再入国。 今日は日本料理を希望し日本料理「も」出す店に行く。 最初にパンとバターが出たのには慌てたが、天ぷら 刺し身盛りあわせ 味噌汁 ご飯。実に旨かった。 日本から旅行会社の研修で来ているという女店員が来た。 久しぶりに見る大和撫に感激。 以前アメリカに行ったときは日本食が恋しくて仕方がなかったが 今回はそれほどではない。どうもこちらのパンが旨いからかもしれない。 その後、バーに行き飲む。 インスブルック22日(火) 3時目が覚め、また寝る。 朝ランニングせず。 今日は、友人の用事につき合い、列車に乗ってスイスのジュネーブに行く。 ジュネーブはインスブルックから列車で7時間ぐらいである。 7:20 ホテルのパンをもって駅へ急ぐ 。 列車を待っている間にインフォメーションに行き、事情を説明。 係員が色々と電話をしてくれてやっと通じ、リコンファームが 出来た。 ホームで食事。寒い。昨日のミュンヘンが暑くて防寒具がじゃまで あった。ジュネーブも防寒具がじゃまになると思い、持ってこなか った。インスブルックの駅はセーターが欲しいくらいに寒い。暑い のでは死なないが寒いのは死を招くか風邪を引く。備えあれば憂い なし。防寒具を持ってこなかったことを悔やむ 8:36 ジュネーブはオーストリアではゲンフと呼ばれている。 全く頭が混乱する。取りあえず出発 我々の乗った列車の隣の車両を通過したら乗客は8人程度であった。 1車両にコンパートメントが11。一つのコンパートメントに座席 が6計66乗り。座席はゆったりとしている。これは絶対に赤字だ。 11:12 オーストリアの最西端BUCHS 腰に拳銃を下げた若いスイスの入国審査官がにこやかにコンパート メントに入ってきた。 リヒテンシュタイン通過。牛が放牧されているのがわかる。 11:27 サルガンス、スイス 橋桁など建造物の壁には落書きが目立 つ。 我々が乗った車両には2人だけ、隣の車両は5人だけとなる。 前 の車両に移動しオープンに乗る。此処は日本の新幹線と同じだけど それよりはゆったりとしている。 チューリッヒまで30分くらい湖が続く。チューリッヒ湖である。 12:27チューリッヒ着。 12:34発の乗り換え列車に走る。 列車の確認に手間取る。出発しそうな列車に走る。鋭い笛が鳴る。 間一髪。最後尾の貨物車に乗り込む。貨物車の貨物の中を通過して前 に車両へ。いつでも列車は音もなく走り出すのに今回は笛が鳴った。 たぶん我々を見つけた駅員が出発を遅らすために鳴らしたのだろう と思われる。 最後尾に乗ったのでおかげで列車の車両の前まで見学が出来た。子 供用の遊具が備えられた車両もあった。 食堂車で食事。シュニッテルを食べる。飲み物は水。 アルプスの娘ハイジが出てきそうな家が点在する。 狭い国土だと思ったが北海道のような畑が続く。 13:45 ベルン東京ディズニーランドのホーンテッドマンションみ たいな家が多い。 なだらかな丘陵が続く、その中腹を列車は右に左にカ ーブしながら続く。 緑のじゅうたんを敷きつめたような光景。遠くにアルプスが 見える。 左手にレマン湖が見える。列車は高い場所を走っている。 実に絵に描いたような美しい風景だ。 14:55ローザンヌ到着。フランス語の会話が目立つ。 女性の車掌もフランス語訛で話している。肩からかけている鞄がよく 似合う。髪が短く眼鏡をかけ、やさしい物腰のマドモアゼルである。 ほとんどフランスだなー。 ビールを飲み、しゃべっていた友人は寝てしまった。 風景を楽しむうちにジュネーブ到着。 駅でトイレを探す。お金を取るトイレしかなかった。お金を取られ るのはいいのだが、スイスフランがよく解らないので苦労する。 トイレ1回、約100円だった。 ホテルを探すことになる。この辺から友人のドイツ語が通じないことが 出てきた。 レマン湖湖畔のホテルはどこも500フラン以上。男と泊まるのに とんでもない話。200フラン以下を探し求める。やっと190フ ランのホテルに落ち着く。それでもゆったりとしたバスが付いて悪 くはない。 レマン湖畔を散策、遠くに見える行きを頂いた山はモンブランと教 えられる。 沢山の人々が行き変わっている。高級なホテルから2人づれの若い 女性がでてきたり、日本人もちらほら見かける。 人種はインスブルックと打って変わってまるでニューヨーク並の多 彩さである。犯罪が多いのだろうかサイクリング車に乗った警官な どを何回か見かけた。 湖畔でビールを飲む。 インスブルックを出発するときは寒くて防寒具を持ってこなかった ことを悔やんだが、しかしジュネーブは丁度よい気温で、 ハルビンで経験したことある「りゃんかい」であった。

















おみやげやに寄る、女店員、日本人に見えたので、「これください、 で通じるかな?」と日本語で言ったら、喜んでいた。 帽子購入。 お釣は日本流に大きいお金から先に渡し、細かいお金をその後に わたした。お釣の額がよく解りうれしかった。 一般的に、海外で日本人に会うと、「何で外国に来てまで日本人に 会わなければいけないの」とばかりに、いやな顔をされるのだが、 現地で働いている日本人は違う人が多いように感じる。現地で働く ことでの苦労が多いのかもしれない。 チーズホンデュの旨い店を教えてくれと頼んだら、店の外まで出て 教えてくれた。 しかし行った店は本日休業。 ホテルに戻り、チーズホンデュの旨い店をフロントの女性に聞く。 教えてもらった店は通りから奥まった場所に会った。 日本人客が多かった。本場のチーズホンデュは旨かった。 マジックショーがあった。 現地の音楽やジャズが演奏された。 20人ぐらい居た客があっという間に4人になってしま った。それでもめげずに演奏してくれた人にと、ボーイに20フラン 渡しビールを贈った。2人の演奏家は実に喜んだ。釣りを持ってき たボーイにチップと言って渡した。 気分の良い夜である。 夜の街を散策。シュルンス以来の湯船にしたる。就寝。 インスブルック23日(水)   3時目覚めるもまた寝る。 7時30分起床 友人はランニングから帰っていた。 食事の前に散歩。 ホテルで朝食。 ある土産物屋さんで韓国語で話しかけられる。 マクドナルドでコーヒー。残念なことにここのコーヒーが私には一 番旨い。 フイリッピン人の店員が懐かしそうに話しかけてきた。 私はいったい何国人に見えるのであろうか。 土産物買いにふらふら。英文と中国語の新聞を買う。ロシア潜水艦 の乗組員の死亡を知る。戦争中、日本からドイツに向い大西洋に沈 められた潜水艦を思う。 ジュネーブの駅で2人の少女の別れの風景に出くわした。ホームの 少女は出ていった列車を何時までも見送っていた。 ジュネーブ駅の放送には英語が無い。意味のよく分からない英語で も無いと情けないものである。 11:29 チューリッヒ発 列車のアナウンスはフランス語とドイ ツ語。ミュンヘン近づくとやっと英語の放送もあった。 北海道の富良野や美瑛で見られる光景のスケールを大きくしたような 風景がが何処までも続く。 なんとも夢のような美しい風景である。この風景を見ただけでも 今回の旅の成果があったというものだ。 13:20ベルン発14:30チューリッヒ着。乗り継ぎ列車まで 3時間ある。 駅のレストランで食事。スパゲッテイ。まずい。疲れがどっとでた。 歩いて25分のチューリッヒ湖に行く。陽気な若者が「もしもし」 なんて話しかけてくる。一言でも日本語を聞くと嬉しくなるものだ。 駅に戻り駅の近くの木陰で座り定点観測。ハトに餌をやる人。女性 がおへそを出しているのは驚かないが、出しすぎは楽しい。 スズメが人を怖がらない。ハト並に人に寄ってくる。日本の雀は昔 からいじめられているからなー。 17:33チューリッヒ発。コンパートメントには2人のみ。 前後の車両も空いている。 17:40チュリッヒ湖が見え18:00消える。20分間も続く湖である。 湖畔では思い思いに楽しむ人が見られた。 18:30 ミュンヘンからの入国審査は行われなかったので気楽 に構えていたら、勢いよくドアを開け、腰に拳銃の審査官が険しい 表情でコンパートメントに入ってきた。我々のパスポートをとりあ げると、そのままどこかに行ってしまった。何かの間違えでパスポー トを返してくれなかったら日本に帰れない。なんて、非現実的なこ とが脳裏に過った。5分ほどたって友人が抗議に行ってやっと返さ れたが、その説明は無かったということである。どこかで事件があ ったのかもしれない。厳しい入国審査もあると知った。 もしかしたらオーストリアに台頭してきた極右勢力の影響か、 有色人種に対して排他的になってきたのか勘ぐってしまう。 18:47BUCHS 21:30インスブルック 旧市街にイン川河畔にあるレストランで外のテーブルでピザを食べる。 上着を着ている人もいる。ちょっと寒い。 23:00 ホテル インスブルック24日(木) 6時起床ランニング イン川の流れは早い。川幅約70メートル秒 速2メートルくらいの早さで流れている。川には中州もなく堤 防もない。落ちたら、命はないように思える。水は灰色にほんの少し緑を 入れた色。人々に潤いを与えるような川ではない。 10:30外出。本屋さんを巡る。 インフォーメーションセンターでフォークミュージックの予約を する。 友人に無線機を渡し別行動となる。音楽店でチロルの音楽 のカセットテープ購入。 食事、魚料理を食べる。 市街で買い物。妻用にクリスタル。 花差し。 地図。 帽子。 郊外のショッピングセンターへ。 14:58バスで市街に戻る ニューオリンズから来た黒人という 4人組がジャズを町中で演奏していた。土産物屋で娘用のクリスタ ル購入。





















バス乗り継いで16:00ホテル 17:30ホテル発、会食に出かける。 友人の知人の若夫妻と子供と一緒に中華料理店で会食。 その知人はお医者さんで内耳の研究で派遣されているとかで話が面白 かった。 その後、20:30分から始まる民族音楽の演奏会に行く。 チロルの美しい音楽や歌声にチロルに来た感激にしたる。 ホテルに帰って飲む。 10日間、とても楽しかったと友人からお土産を貰う。 市街で無線を持ちながら別行動していたときに買ったものらしい。 インスブルック25日(金)   3時目が覚める。午前3時というのは日本の午前10時、日本では それまで寝ていることは、まずないので必然的に目が覚めるようだ。 なんだか不安が襲う。ベランダでたばこを吸い気持ちを静める。 言葉が通じず横文字だらけの世界でストレスが溜まってきたのかも 知れない。海外で暮らす人の苦労が解る気がした。 次回、海外に行くことがあったら、日本語の放送が聞ける準備。イ ンターネットが出来ること。日本の歌や音楽や映像を映せる装置が 必要。などと思った。 いつものように近くの鉄橋で5時の列車が通過する音で安心する。 日常茶飯の重要さ。 6時、ランニング。いつものすれ違う女性に手を挙げて「モルゲン」。 笑顔が返ってくる。素晴らしい朝だ。 朝食 8時30分。ホテルを出るとき、10日間世話になったフロントの 女性に挨拶しようと思ったが言葉が思い浮かばなかった。 友人に送られてバスで空港に向かう。 チェックインするまでの間、空港に飛来する飛行機の写真をとる。 山岳に囲まれた盆地に飛来するためか珍しいプロペラ機が多数。 チェックイン後、乗るべき飛行機の到着が遅れる。乗り継ぎの時間 が短いので不安になる。思い切って日本人らしい女性に「日本のか たですか」と話しかける。かってインスブルックに住んでいたとい うその女性、なんだか親身になってくれる。その女性に飛行機が遅 いと言う不満を言うだけで心がすっきりしてしまった。不思議なものだ。 だいぶ遅れて飛行機は到着した。 チロリアン航空デハビランド・ダッシュ8/300は離陸した。 その女性の座席は一つ斜め前でドイツ語の新聞を読んでいた。 ウィーンで先に降りた私はその女性を待った。もっと早く話しをし ていれば良かったとその女性。飛行機が遅くなった場合の処置や、 困ったときの処置法、私がウィーンでの乗り替えを間違わないよう にいろいろ教えてくれた。本当に困ったら最後は日本語でも良いの ですよ、だって。随分と気楽になる話であった。 関西空港に向かうと言うことで分かれたが小柄で知性がにじんでいる やさしい35歳ぐらいの人だった。 成田に向かう飛行機の待ち合い室を見て驚いた 日本人がいっぱい。 これでは日本のJRの駅の光景である。なぜだかこれからはツーん とするしかない。いっぺんに現実世界に引き込まれてしまった。 学生時代、九州から急行で東京に向かったが、あまりの遅さにさすがに 疲れて、途中の豊橋で在来線急行から新幹線に乗り換えたことがある。 乗り換えたとたん、旅している感覚が無くなった。 同じような印象をウィーンで感じた。 エアバスA−340はウィーンを離陸した。やったー。今度のたび はすべて飛行機は窓側。この飛行機はトイレは全て真ん中に集中し 全てが見渡せて程良く小さくて、安心感がある。 飛行機の中は寝られないが、座席の前の液晶テレビに映される光景 は、これは良かった。飛行機が飛んでいる位置。飛行機の操縦室と 思われる位置からの光景。ゲーム。音楽。映画。なんでも自分の好 きなものが選べる。 シベリア上空で地上に街の灯が見えた。何処なのだろうか。 26日6:20朝食終了 沿海州は雲に覆われていた。 札幌の近くを通って新潟。北海道の人は札幌に降りたらさぞ便利だ ろうに。新潟の関屋分水路が確認できる。そして成田着陸。 外国で暮らす人の苦労を垣間見た旅だった。 インスブルック持ち物   成田8:45 第2旅客ターミナル B-64カウンター  プラスツアー 出発 10:45 OS8556 旅券、財布(現金)、 搭乗券 引換券 出入国カード  クレジットカード(今回よく使った)  海外旅行傷害保険証  鍵、時計、眼鏡2、QSLカード、運転免許証 医薬品(病気や怪我が一番心配) 酔い止め薬 太田胃酸(1回使用) 風邪薬 メンタム(数回使用) 救急絆創膏 ガーゼ 消毒薬  はさみ、刺抜き テーピング 目薬、 アリナミン(2回飲む) ノーシン 体温計 ムヒ 皮膚薬 手帳 電子辞書、ボールペン、鉛筆、マーカー、電卓、ノート 糊 モバイルギア(7800円、行く前々日、買って正解) 書籍 地球の歩き方 日独英会話辞典(使っていては間に合わない) カメラ(kiss)、バッテリー マイクロ三脚、フィルム(10本 ) コンパクトカメラ (大きなカメラを向けた方が人は喜ぶ。 正式に撮っていると思われるのかも知れない) タオル3、歯ブラシ 髭剃り、ティッシュペーパー、 パンツ4、(ダイソーの100円パンツは出来がよい。捨ててくる つもりが持ち帰った。)シャツ4、靴下4、短パン2、 長袖3  セーター1ジャンバー1 ズボン下2 運動靴(帰り捨ててきた) 裁縫道具 布テープ、簡易工具セット、ラジオ、 双眼鏡2(ニコン12×40 ニコン8×20) 特小無線機2台 懐中電灯  扇子  ライター(1個紛失、以外と海外では日本みたいに手に入らない。) 傘(使用1回) スリッパ(海外はいつもこれ) サバイバルナイフ(栓抜きが役に立った) 梅干し 即席みそ汁の元 煎餅 (全て好評だった、特に煎餅はすぐに なくなった) スーツケース バック2 ナップサック1  出で立ち パンツ ズボン Tシャツ Yシャツ 靴下 靴  帽子 終わり

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