自由の橋
川のたもとには公園があり、
ここを走っていたSLが展示されている。
板門店ツアーに参加。(1998,8,28) このツアーは、現地で参加を希望するには24時間前でなければ ならない。また、Gパンがいけない、Tシャツがだめだの、服装な どにも細かい制限があり、旅行会杜も2杜だけが許可されている。 我々は日本で格安のツアーにセットされているオプショナルツアー とは別に日本の代理店で手続きをした。昼食付き9000円。 明洞のコーヒーショップで朝食をとり、集合揚所のホテルに行く。 早めに着いてのんびりと待っていたが、一向に業者が現われない。 会社に電話して確かめたら免税店の中に受け付けがあった。前もっ て渡された案内図とちがうのだから困ったことだ。 板門店ツアーの参加者は既に2台のバスに乗っていた。バスの中 を見わたすと、いけないはずのスニーカーの者も混っいる。こっち は上衣にネクタイまで準備して行ったので拍子抜けする感じ。 乗客は会社の旅行で仕方無く参加している、といった感じの人が ほとんどで、数人真剣な表情で参加している者が混ざっているといっ たところ。 街中を抜けとるバスは河口沿いいの高速道路をかなりの速度で走っ た。河口にそってどこまでも螺旋状にまいた有刺鉄線が続き、ところ どころに兵士のつめ所が見られた。北からのエ作員の侵入を妨いでい るのであろう。それにしてもそれがどこまでもどこまでも続いている のに韓国の現状を垣間見る思いがした。 我々を乗せたバスはまだ新しい高速道路を走っていく。統一展 望台というところで川の対岸が北朝鮮だと告げられた。ガイドは、 すぐそこに見えるのに行くことも帰ることもできない、と悲しそ うに語っていた。 臨津閣と言うところでバスを降り、今は走ることもなくなった 鉄道の橋を見る。ここには一般の人も来ていた。 バスは川を渡って非武装地帯へと近づいていく。検問所があり、 そこで一人一人パスポートの提示を求められると言うことで、そ の準備をして待っていたが、今回はそれは省略された。 そこからの道幅も広いのだが、左右から交互に防護用の鉄冊が 伸び、その間を車はジグザグ運転をする。バスは右左と大きく傾 きながら走り抜けた。 しばらく走り板門店への最前線補給基地に到着。そこでは他の 団体のバスも数台止まっていて、単なる観光コースの雰囲気。 順番待ちでバスの中で長い時間待たされた。 他の団体の幹事らしい人が、ガイドに「6時までにソウルに戻 らなければ困る」と今からでも引き返せ、と言わんばかりに食い 下がっていた。 ガイドは「予定は未定ですから」と、いままで優しい感じで話 す女性であったが、きついことを言っていた。 やはり観光コースの一つと思って参加している人が多いのであ る。服装の制限など全く意に介していない人も多かったわけだ。 ネクタイまで用意した私は何なのだ。 それでも20分位待っただけで、以外に早くバスから降りるこ とが出来た。 まず売店に行った。売店内には無造作に「ポプラ事件」で殺さ れたアメリカ兵の遺品がケースに入っていた。ケースの上には売 店の荷物が置かれていた。これでは誰も気づかないよな。 次に食堂で昼食。アメリカらしく食堂の中は全く暗い。バイキ ングであった。 スライドルームに入れられた。奥の詰め所と思われる部屋では、 アメリカ兵がパソコンゲームをやっていた。ひょうきんなアメリ カ兵が何やら日本人に冗談を言っていた。そこのホールで全員 (40名)がガイドから講義を受けた。 訪問者宣言書にサインをさせられた。内容は英文でよく分から ないが、deathの部分で緊張を抱きながらサインした。 1,The visit to the Joint Security Area at Panmunjom will entail into hostile aera and possibility of injury or death as direct result of enemy action. てな出だしの文である。 軍の偵察車に先導されて非武装地帯の外側にある地雷原、と言っ ても、道の両側には地雷がありますよ、と言われ、道の両側には その印があるだけだが、前線を感じさせ、緊張する場面ではあった。 板門店旅日記 軍事境界線を越える 板門店に到着。ここからは何があってもガイドを頼るな、全て自 分の責任で、と念を押される。勝手な行動をする輩がいるのでしょ う、きっと。 意外なことに、ここでガイドは、カメラや双眼鏡は持って行って もよろしい、と告げた。それはここにきている人が観光客の証明に なる、と言うことであった。 まず国連軍側の建物から板門店の境界線にある建物を見おろす。 北朝鮮兵が反対側の建物にいる。双眼鏡で覗いたら向こうも大きな 双眼鏡でまさしく私を見ている。私は恐くなって視線を反らした。 プレハブの南北調停委員会会議場に入る。国連軍の兵士が建物か ら半分だけ身体をだし、北側をにらんで仁王立ちしている。 本会議場にはいると北朝鮮兵が窓の外から我々を監視するそうだ が、3ヶ月ほど前、その時に北朝鮮兵の亡命事件がおき、今は近く まで来なくなったとのことであった。 建物の中の軍事境界線上に粗末な机が置かれている。そこが本会 議場なのだと言う。椅子もそれほど立派ではない。マイクロフォン も昔のもの。こんなところで最近では潜水艦侵入事件などの処理が 話し合われたのか、実に不思議。 会議場内で私は北朝鮮に入国、帰国を試す。のどかなうちにめで たく成功。 次に「帰らざる橋」の見えるところで下車。写真撮影について、 ガイドはOKと言うのだが、もう一人バスの最前列の補助席に座っ ている男はダメだと言う。後で分かったことだがその男、単なる写 真屋だった。みんなずーっと政府の関係者と勘違いしていた。おか げでカミさんのカメラをバス内に置いてきて取りに帰る始末。全く 損をした。 ポプラ事件の現場はバス内から見学。なぜそんな事件が起きたか 聞かれたので、昔、新聞で読んだうろ覚えの内容を、他人に話した りした。 北側の山並はまさしく北朝鮮である。食料不足が伝えられ、エネ ルギー不足も伝えられ厳しい生活を強いられていると聞く。こちら から北朝鮮の近代的なアパート群が見える。それらの建物の電気は 一斉に点灯し、一斉に消灯するという。なんとも悲しい話しである。 板門店を後にして前線基地に戻る。売店ではガイドが売り子に早 変わり。1本1000ウォン(約110円)のコーラ類が飛ぶよう に売れていた。普通は70円ぐらいなんだろうな。 基地から出るときアメリカ兵がバスに乗り込んで来て乗客を一通 り見て回り、バスの最前部で敬礼して降りていった。検問所でも兵 士が敬礼していた。そういった決まりなんだろうな。我々には敬礼 される謂れがないのだから。 ソウルに戻る車内は冷房の風が直接当たる人と、全く当たらない 人といて、天井の冷気吹き出し口のノズルをしきりに操作する人が 目だった。天井が低く余り作りのいいバスではなかったことにやっ と気がついた。いままで気がつかなかったということは、それなり に緊張感があったのかも知れない。