北海道旅行(1991年8月15日)

北海道旅行記 1991年8月15日〜25日
 
昨年バイクを買ったとき,北海道を1人でほっつき回る予定だった。今年になりその
計画に横やりがはいいり,結局バイク旅行の真ん中に家族旅行がサンドイッチされる
旅行になってしまった。
 
15日の夜家を出るときから旅行者の気分。しかし荷物が重たくって,ハンドルがフ
ラつく。上野駅に行く途中,浅草の観音様に行く。バイクを止めるときもうすでに荷
物の重さでコケそうになる。MOTOトレイン,これはバイクも函館まで運んでくれ
るありがたい列車である。列車に乗り込み寝間着に着替え,寝台のカ−テンを閉じる
と,全てから解放された気分。
 
函館に着いた。生まれて初めての北海道である。暑い。騒がしい。でも北海道の都市
である。さっそく友人の留守番電話に,函館の女,吹き込む。昼飯 函館の定食屋さ
んで,アブラなんとかとと言う魚を食べる。
 
16日 テントを張ろうと最初に行ったさらんべ公園は,キャンプ場がなんだか公園
のはじっこで場違いな感じなので,50分ほど休憩して,長万部に行く。長万部公園
はすでに沢山のキャンパ−がいてにぎわっていた。今晩はここに泊まることにして,
うるさくなさそうな所にテントを張る。夕食,カップラ−メン,食パン,ビ−ル。湯
を沸かせるとはこんなに落ちつくものかと分かる。ラジオの音楽が寂しさをまぎらわ
せてくれる。食事したらする事もないので,寝る。11時ころ花火と人の声で起こさ
れる。うるさくても仕方が無い。でも,それがいやなら熊が出るかも知れない山の中
に寝るしかない。
 
次の朝,朝食,食パンを味噌汁で食べる。テントで泊まった証明に写真を撮ろうとし
たら,バイクの振動でカメラが壊れていた。長万部公園には珍しい草花が沢山あった
ので,それを撮れたのにと思うと残念。洞爺湖に向かう途中雨になる。完全防水体勢
になる。道が信じられないくらいまっすぐである。洞爺湖の入口で木彫をやっている
店でコ−ヒ−,とハムエッグを食べる。なぜかKOHSEIさんを思い出す。昭和新
山にむかう道は大混雑であった。こっちはバイクだから関係は無いが,自動車は可愛
そうであった。羊蹄山の麓はまっすぐな道ばかり,北海道の広さを感じる。
 
 
小樽に向かう途中,疲れたので横道に入り,道端にバイクを止めて横になり,しばら
く寝てしまう。気持ちよく寝てしまった。北海道はこんなことができちゃうのですね。
小樽の海岸でテント張るつもりが海水浴客で混んでいるので,石狩川河口まで行く。
風が強いので,どこにテントを張ろうか場所ぎめに苦労した。夕食,カップラ−メン,
ハム,ビ−ル,ワイン,リンゴ。北極星が千葉よりずいぶん高いところに輝いていた。
 
夜中,例によって花火と人の声に起こされる。それが済んだら,なんと数台のオフロ
−ド車がテントの回りを走り始めた。これには驚くやら,恐くなるやら。ライトがテ
ントを照らすたびに,突っ込まないでくれと祈る。午前2時頃大半が引き上げたが,
故障を起こしたのが1台のこり,うるさかった。ほとんど寝られなかった。しかたな
いか,珍しく北海道の気温が上がり,しかも土曜日だから。
 
自然と親しむには兼ね合いが難しい。全く人がいないところでは,実際恐くてテント
で寝ることは出来ない。といって人がいればうるささを我慢しなければいけない。
 
次の日,札幌の駅で妻子を迎えた。北斗星から降りてきた子ども達が飛びついて来た。
ここから全くの日常生活に戻る。タクシ−で藻岩山にいく。友人と会い,大倉山シャ
ンテなど見学。ホテルにチェックインして八溝山さんと夕食の相談。八溝山に,時計
台,大通り公園,狸横町を案内して貰い,一緒に夕食を食べる。アイスクリ−ムの有
名な店に案内してくれるとのことでしたが,僕も夕べ寝てないし,夜行で子ども達も
疲れているので,タクシ−でホテルに帰還。
 
次の日,レンタカ−を借りて,稚内の近くの豊富温泉に向かう。雄冬港では昔の唯一
のここの交通機関であった連絡船を見る。観光客は誰も来ない。ぼくはそういうとこ
ろが大好きである。と思ったら1人来た。親近感が沸いてきた。
 
途中,車に設置したレ−ダ−探知機が鳴った。道端に速度計測のレ−ダ−が設置され
ていた。この車に付けた探知機,信用できるな。そう思ったのがいけなかった。次の
日紋別に向かう途中,探知されないように上手に設置されたレ−ダ−に引っかかって
しまった。31KMオ−バ−だから,キップ切ってくれませんでした。みんな私が悪
いのです。レ−ダ−探知機など買うのではなかった。初山別で天文台に寄る。受付に
居た男性に,あなたがパソコン通信されている方か,たずねて,シオンさんの紀行記
にあった,ごんべえさん,と分かる。子ども達は天文台より設置されている遊び道具
に夢中であった。ひろ−い,ひろ−い景色を見たり,離村してしまった廃屋を見たり
しながら宿に。
 
次の日,サロベツ原野を見て稚内。稚内では子ども達は,遊園地に夢中になっていた。
宗谷,最北端に来たという証明写真を撮る。紋別まで,速度違反以外,何事もなく走
る。紋別では夜,盆踊りを見学。僕らの知っている北海盆歌ににていたけど,本物の
迫力には恐れ入った。
 
21日,雨の中富良野にと向かう。富良野ではシオンさんも泊まった,ふれあいの家,
に泊まる。2日後に泊まるかもしれないキャンプ地を偵察したら,雨の中ライダ−が
テントの中で丸まっていた。山道で熊に注意の看板をみて,恐くなってしまった。ラ
イオンが放し飼いされている動物園だって,車の中から見れば危険はない,などと言
いながら,スピ−ドを早めた。
 
22日,アイヌ資料館に寄り,日高ケンタッキ−ファ−ムに着く。駐車場で1000
円取られ,もう興ざめ。都会の近くの遊園地とおんなじ。ツア−のバスが何台も止ま
り,着飾った男女が大勢居た。もっと遊びたいという子ども達を急かせて次に向かう。
ウトナイ湖に着く。ホテルに荷物を下ろして子供達は早速,ゴ−カ−トなどに乗る。
ちなみにウトナイレイクホテルは,18日にCHALOOさんが泊まったんだって,
お会いしたかったですね−。
 
23日,千歳空港より妻子は羽田に向けて飛び立ち,親父は無罪放免。勝手な旅にも
どれることになりました。妻子と無事に別れることができ,バイクをあづけてある手
稲の友人の家に向かった。バイクをあづけている間に雨が降り地盤が緩み,それに突
風でバイクがたおれてハンドルが曲がっていた。それをなんとか直して出発。
 
北海道開拓の先駆となった樺戸集治監,昔の監獄である月形の北海道行刑資料館に行
った。内容は大変なものであった。監獄の表札をおみやげに買った。富良野に入って,
2日前偵察しておいたキャンプ地行こうとしたが,家族の思いが残っていて寂しいの
で,さきに向かった。2日前にガソリンを入れたスタンドで,今度はバイクで来たよ
と言ったら怪訝な顔をした。道を聞いたじゃないか,と言ったら思いだしたようであ
った。つぎの曲がり角のことをしつこく教えてくれた。
 
南富良野の,かなやま湖キャンプ場,は美しい所であった。朝方の景色は伊理人さん
が大好きなカナダのレイクルイ−ズみたいといったら,ちょっと大げさだけど,そん
な感じ。風が強く火が付かない。トイレの横で何とか湯を沸かし夕食。カップラ−メ
ン,サンドイッチ,ビ−ル。ここは静かなキャンプ地であったけど,テントを張った
ところの芝生の下が湿っていた。夜中にテントの下にビニ−ルを敷くなど,応急処置。
 
24日,朝食,パン,ジャム,コ−ヒ−,ニンジンを生でかじる。10時,狩勝峠,
今し方ニンジンを生でかじった生活からは信じられないくらい華やかな観光地といっ
た感じであった。無線で本別のタゴ−ルさんを呼んでみる。応答が無いので,電話で
連絡してから,無線で交信。優しい声なのでなんだか安心。1時に本別で会う約束を
して,十勝平野に入る。
 
度肝を抜くくらいまっすぐな道を走る。走り疲れて横道にはいり,道の真ん中にシ
−トを広げて横になり広い風景を独占する。いつしか,農作業をしていたトラックタ
−が近づいてきた。どこうとしたら,いいよ,いいよ,とむこうが横にそれて牧草地
の中に行った。池田のワイン城を見た。みやげ物屋で声をかけられた。めんどうなの
で外に出て,景色をみた。景色は雄大であった。
 
本別でタゴ−ルさんと昼食を食べた。タゴ−ルさんの無線室を見せてもらった。ここ
で新聞にも載った流星通信をやったのかと,感慨深いものがあった。衛星通信やらの
話もうかがった。そうだ,スペ−スシャトルとも交信したそうである。BWボ−ドに
鳥の話題を書かれた利別川をみて,河川敷が都会のと同じなので,もっと湿地帯みた
いなところかと想像していたと言ったら,北海道にくる人はどこにでも熊が居るかと
思うようですね,と笑っていた。足寄の松山千春の家などを案内して貰って釧路に向
かう。釧路に向かったとたん,タゴ−ルさんの言うとおり,風が冷たくなってきた。
それで冬用の下着を上下1枚足した。
 
釧路の近くの海岸でテントを張ろうとしたが,風が強く断念。辺りはすっかり暗くな
り,寒くもなってガタガタふるえてきたので,千葉の真冬の服装に切り替える。釧路
から35KMほど北の鶴居という村のキャンプ場でテント張る。バイクのライトの明
りを頼りにテント張って横になったら,喜びがこみ上げてきた。ついに旅館に泊まら
なかった。釧路の友人の家にも頼らなかった。やればできる。たわいのない喜びであ
った。釧路の友人には電話を待っていたのだと次の日怒られてしまったけど。
 
夕食,カップヌ−ドル,ワイン,朝の残りのパン,ニンジン。いつまでも,火を燃や
し,こまい,という肴ででワインを楽しんだ。
 
25日,朝,食べ物が無い。緑茶をすする。おいしかった−。体は元気。コッタロ湿
原など眺めて友人と待ち合わせの釧路湿原駅に行く。19年ぶりに顔を会わせて,挨
拶は,オ−,オ−だけであった。
 
友人に,こんなに沢山バイクで北海道を走り回りに来る者が多いけど北海道の人はど
う考えるか,と聞いたら。みんな暴走族と違うからな,それに自分で何かをしようと
する者ばかりだ。第一北海道を好きで来ているので,うるさいどころでなく,雨の時
などどうしているか心配しちゃうよ,と答えた。
 
湿原を見て釧路に向かう途中,旅行中の女の子を2人車に載せてあげていた。学生時
代と変わっちゃいない。友人の家にバイクを置いて,4人でドライブを楽しんだ後,
釧路の駅で女の子を降ろし,市場で蟹を東京の知人に送った。そしておみやげを買い
込み,友人にもおみやげをどっさりもらう。友人はフェリ−に乗るまでなごりおしそ
うに見送ってくれた。船室は2等しか空いてなかった。帰りはちょっと張り込もうか
と考えていただけに残念。
 
出航後,いつまでも陸地を見つめている人が沢山居た。ぼくも北海道を見つめていた
ら涙がにじんできた。上着の衿を立てて人から見られないようにした。
 
釧路から東京に向かうフェリ−はお風呂もついていてちょっと豪華であった。最初,
10人の部屋だったので,フロントでキャンセルが無かったか聞いたら,個室があい
ていたのでそこの移った。でもそれから30時間1人ぽっちになってしまった。行き
のMOTOトレインみたいに,わきあいあいあといきたかったのに,残念。個室でパ
ンツ1丁で居られる気楽さをとるのも良いが,人と会話が無いのは苦痛だ。多少窮屈
だが,酒を酌み交わして,北海道の思い出など語るのもいいな。どっちとるかだな,
そんなことを考えながら,30時間波に揺られていた。いろいろなことが分かった初
めての北海道であった。楽しかったな−。何回も来る人の気持ちがよく分かる。ぼく
もまたきっと行くでしょう。
 
バイク走行距離  1006KM
自動車走行距離 約1150KM
家族と宿泊   5泊
一人でテント泊 4泊
車中泊     1泊
船内泊     1泊  計11泊12日
                                
 

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