2009.8/6〜8/17 ロンドン・ナポリ・ローマ






アムステルダム・スキポール空港からロンドンへの機内 



腹巻きのかかっているのが私の荷物だ。 



KLMオランダ航空 



隣の席に座ったスウェーデンの女性 日本人の英語をよく聞き分ける聡明な人



ヒースロー空港からロンドン市内へ チューブは東京の大江戸線みたいに狭い



タフネルパークのB&B 食堂



B&Bの中庭 英国の家は間口は狭いが、奥に庭がある。 



ロンドン市内の北に位置する タフネルパーク 



地下鉄ノーザン線・タフネルパーク駅 



B&B ファイブキング・ホテル・オブ・ロンドン 名前は一流
雨の中、夜中にここにたどり着くのは大変だった。



ロンドン塔入口 



ロンドン塔の中から見たタワーブリッジ 



ロンドン塔内部 Jewel House



ロンドン塔 White Tower



ロンドン塔内部 正面裏がテムズ川



クラッシックな2階建てバス 



帝国戦争博物館 



帝国戦争博物館・ロンドン攻撃に使われたロケット 



帝国戦争博物館入口真面目な展示内容であった 



ロンドン中央・ピカデリーサーカス 



韓国料理店で夕食 人気店で入るのにずいぶん待った



B&B 裏庭のベランダ



ウィンブルドン駅 ロンドンの南西約15Km



ウィンブルドンの部屋から中庭を見る 



ウィンブルドンのフラット



ウィンブルドンの住宅街 



地下鉄ディストリクト線 ウィンブルドンパーク駅 



ノッティングヒルゲート駅から出たところ 



ノッティングヒル・ポートベローマーケットの警官 



ノッティングヒル・ポートベローマーケット 延々と2Kmも続く



ポートベローマーケット 



こんなの食べた。熱かった。うまかった。 



パン屋 



アフリカの料理 



地中海のなんか 



タフネルパーク B&Bの窓から 1人1泊朝食付き3.280円



ロック大会の会場にはバーがある 手前の女性には撮影の了解はとってある



ロック大会と言っていいのかな 



この人は実に心に響く演奏であった。 



ヒースローからローマへ ロンドンの街並み 家の配置がよくわかる 



たぶんアルプス 



イタリア 島はオルベッテロ 



ローマ フィウミチーノ空港からローマ市内へ 



ローマ駅 



ナポリ駅 



ナポリ駅前 



宿のエレベーター 中庭に飛び出していて怖い



宿の窓から 



B&Bの看板 これを探すのにタクシーが行ったり来たり、大変だった



宿の入口大扉の小さな潜り戸から中に入る 



街にはあちこちに教会がある その数、200以上だって 



狭い路地 こんな道があちこちにある 



外に出て夕涼み 



修道女 



ナポリの路面電車 一回ただ乗りをした 



夕食はピザ やはり本場だ、うまさが違う 



B&Bの朝食 



カプリ島に行くために歩いてベベレッロ港まで 途中の店で昼食の調達 



店の中 パンにチーズとハムと野菜をはさむ、安くてうまい。



丘の上の教会 



港との前にある カステル・ヌオヴォ castel nuovo 



チケットが取れずポンペイに行くことにする 



やっと到着したポンペイ駅 でもここはポンペイ遺跡には遠かった
チルクムベスビアーナ鉄道だと遺跡の真ん前の駅に止まる



タクシーでポンペイ遺跡に到着 



ポンペイ遺跡 



ポンペイ遺跡 



ポンペイ遺跡とガーミン GARNMIN 250PLUSE 購入価格2万円。この性能には驚かされた 今はこの上位機種が同じぐらいの値段



ポンペイ遺跡のオランダミミナグサ 日本と同じだ 



ポンペイ遺跡のコニシキソウ 日本と同じだ  



日差しがあつい 私は常に日陰を探していた



ポンペイ遺跡は広大だ 



壁画 



競技場 



ローマに戻る  



風通しのいいところで寝ている犬 イタリアの犬は人を信じてる 



下車駅を間違え路地を歩く ガーミンが大活躍で道に迷う心配なし



歩道を走るバイク 



今晩もピザ  



オリーブ 塩辛かった  



B&B室内 天井から垂れ下がっているカーテンはなんだ



B&B室内 天井が高い



B&Bの窓から ドウオモ通り



B&B入口 ファミリーな宿であった 



やっと手に入れたカプリ島へのチケット



カプリ島の港  マリーナグランデ 



やっとの事で船に乗りカプリ島 青の洞窟へ向かう 



青の洞窟入口Grotta Azzurra 小舟が待っている 



青の洞窟 Grotta Azzurra 入口は狭い 波があると入れない 



青の洞窟 Grotta Azzurra 



港の近く



島はひょうたんみたいになっている。フニコラーレで山と山の間へ  



島の道 こんな道が張り巡らされている


やっとたどり着いた島の反対側、大砲の展望台 Belvedere di Cannone 



大砲の展望台 Belvedere di Cannone から 人が来ないし景色がいい



大砲の展望台 Belvedere di Cannone 海の色が美しい



大砲の展望台 Belvedere di Cannone から島のひょうたんのもう一つの山 



壁に埋め込まれたキリスト 



土産物屋 カップを買ったがロンドンに戻るときに割れてしまった



島のビーチ 



ナポリ 卵城 ナポリを見てから死ねってここから見る光景とか 



卵城 Castel del Ovo からナポリを見る 手前がサンタルチア港らしい



ローマに戻って、コロッセオに行く 入場まで相当時間がかかる 



コロッセオ内部 



コンスタンチヌス帝の凱旋門 



コロッセオ 



コロッセオ入口の反対側から 



食事の後 カラカラ浴場跡へ 



カラカラ浴場跡 


私は先に歩いてホテルに戻る 



夕陽に映えるコロッセオ 



2人が中華を買って帰ってきた パンとかピザばかり食べていたので、実に美味かった 
ビールは青島ビール 格安だった


サンピエトロ広場 



サンピエトロ大聖堂 



サンピエトロ広場 



サンピエトロ大聖堂内部 入場無料



サンピエトロ大聖堂内部 



サンピエトロ大聖堂内部 大天蓋の部分に人影が



サンピエトロ大聖堂内部 



サンピエトロ大聖堂内部 朝の光が神々しい



サンピエトロ大聖堂内部 床の模様



サンピエトロ大聖堂内部 マンホール



大聖堂の大天蓋の真上のクーポラからの眺めは壮観 



大天蓋の真上のクーポラは狭いこんな階段を使う 



クーポラへはこんな階段を使う 



一段下りたところから大天蓋上のクーポラを見上げる 人が見えますか 



バチカン市国を感じさせる 



広場から 



ローマの地下鉄 



ローマの地下鉄駅 



パラティーノの丘 かってのローマの中心地



やっと念願のトレビの泉へ 



トレビの泉は観光客で一杯 



トレビの泉 放心したように穏やかに座っている人が多い



トレビの泉 



トレビの泉 



トレビの泉 



奮発して馬車に乗る 馬車でスペイン広場へ 



馬車に乗ったよ 添乗員の交渉力に脱帽 



トレビの泉から、このあとスペイン広場まで歩く 



地下鉄車内 



中華料理店の前に止まった小さな車 高感度撮影 



今晩も中華料理 高いので店では食べない 実に美味い 



サンピエトロ寺院の近く サンタンジェロ橋 



サンタンジェロ城 中には入らず 外でケバブを食べる 



ポポロ広場 Piazza del poporo で日よけの唐傘を売る人 



歩いて真実の口に向かう途中 コロンナ広場の警官 広場に立つ塔の文字は古いらしい



歩いて真実の口に向かう途中 エマヌエレ2世記念堂 もう、ああそうですかで通過 



教会に入るには炎天下じっと待って、やっと日陰に入れる 



30分ぐらい並んで真実の口の写真撮影して教会に入る 



ホテル至近の教会 もう珍しくもない



かってのローマの復元図 



崩壊する前のコロッセオ復元図 



ロンドン・ウィンブルドン駅 



ロンドン ウォータルー駅 監視カメラに死角はない 
 


Lyceum Thatre ライシアムシアター ライオンキングを見る 



劇場内部 



ロンドン 街中で踊るアフリカン 



列車 



部屋での食事 これがうまいのです。 



ウインブルドン駅に向かう道 日本の光景と言ってもわからない 
宿の近くの地下鉄ディストリクト線が止まっている


地下鉄が止まっているのでサウスウエスト鉄道ウインブルドン駅に向かう道 



ウインブルドン駅に向かう道 



ウインブルドン駅 



列車車内 出入り口付近のコーナーにあるのはゴミ箱 
車内にゴミ箱なんて日本では考えられない


バッキンガム宮殿の近く 



バッキンガム宮殿



バッキンガム宮殿 パレードを待つ人たち



バッキンガム宮殿 宮殿前の像は格好の観覧場所 嘘だろーと言われるので3枚



バッキンガム宮殿 宮殿前の像は格好の観覧場所 文化の違いを感じる



バッキンガム宮殿 宮殿前の像は格好の観覧場所 口で言っても日本人には信じられない



パレードは始まらず皆ガッカリ 



ピカデリーサーカスの日本食専門店 



オックスフォードストリート 



フォートナム&メイスンで紅茶を買った カミさんはこの色がお気に入り 



ホースガード インド系だった 



ビックベン 



ウエストミンスター寺院 



時計 



ロンドンアイ 



テムズ川クルーズチケット売り場 帰る時間が迫っていて適当な船が解らず 
結局乗らず。


テムズ川 


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旅日記

 千葉の勝浦での宿泊を伴う仕事が終わり、次の日、急いで英国に行く荷物の準備を始めた。
 
 英国にいる娘のパソコンが壊れて8ヶ月も経つので新しいパソコンをネットオークションで購入。そのパ
ソコンのDVDの調子が悪いことが判明。まだ販売店の5年保証の期間であるが修理に出している時間が
ない。このことで後の荷物の遅れてしまった。出発前日になってから機器の状態をテストするなんてぬけ
ているな。
 スーツケースはガラガラなので日本の食品を隙間に詰めて娘に持っていくことにする。

6日(金)
 早朝、娘からskyeで電話があった。漫画を買ってきて欲しい。ロンドンは寒いから上着が必要とのこと
であった。

 我が家から成田空港へは70分。早朝、成田空港に到着し梅干しと漫画を購入。
KLMのチケットはイーチケット。チェックインカウンターの前にある機械にパスポートを入れ読み取らせれば
感熱紙に印刷されたチケットが出てくる仕組み。チケットにはバーコードが印刷されているので飛行機搭乗
前のチェックはこのバーコードを機会が機械が読み取る仕組み。

 荷物を預ける。2人とも約20キロすれすれ。受付嬢が言うには1KGオーバーで、4200円支払わなけれ
ばならないとか。これは飛行機の重量を軽くする意味ではなくて、たぶん積み込む人の労力の軽減がある
のではないかと思う。というのはロンドンからの帰りの飛行機で、飛行機の窓から積み込む場面をしっかり
と見るきおtができた。とてもきつそうな仕事で労働者から汗が噴き出ていた。そうそう、ちょうど私の荷物
が積み込まれる場面にも遭遇。これは珍しいことだと思います。

 成田でのセキュリティチェックはズボンのベルトをはずし、靴も脱がされた。もう裸で乗って欲しいといった
ところか。私はこのチェックは厳しい方が安心できてありがたい。なぜなら、やはり飛行機は墜落すること
もあるし、ましてテロに巻き込まれ飛行中に爆発でも起きたら困る。いつも海外旅行に行くたびに残った者
に簡単に言い残すことを(遺書?)を書いている。大げさと思うでしょうが、そうすると気分がとても楽になる
のです。

 ネットにパイロット同志の同士の内輪の話が載っていたが、パイロットは難しい気象条件の方がやりがい
があるとか。また事故を起こすか起こさないかは、その人のツキによるとのこと。ハドソン川に不時着した
飛行機は、川に船がなかった。それもパイロットのツキによるとか。私もこの歳まで生きてこられたと言うこ
とはツキがあったればこそかな。

 やっと飛行機は空に浮いた。午後12時15分飲み物が配られ始めた。
隣に座った女性はスウェーデン人。ストックホルムに帰ると言うことであった。スキューバダイビングの場所
のリサーチとか言っていました。石川県の舳倉島で海女をやったとのこと。スウェーデン語で数字の123を
教わったりした。でも忘れた。
1305食事。ビールを飲む。 
1600 何もしないということは辛いものだ。隣のスウェーデンのお嬢さんは社交的で良く話しかけてくる。
退屈しのぎにはなったが、英語は苦手なので苦労もした。
成田離陸から11時間後にオランダ・スキポール空港到着。

3時間の待ち合わせでスキポール空港よりロンドンに向かう。あっという間に海峡を越えてロンドン・ヒース
ロー空港に到着。入国審査は娘から送ってもらっておいた文書を示したら簡単に入国許可となった。

空港から出たら娘が待っているはずとカメラを構えて出口に向かった。ところが出口に出たが娘は出迎え
人には居なかった。何か良からぬことが起きたか不安になったが30分後に娘が現れてほっとした。相変
わらずマイペースだ。2年ぶりに合う会う娘は何時もskypeで会話しているので久しぶりという気がしない。
よくぞタダで英国にいる娘と電話できる時代になったものだとおもう。

 地下鉄で都心に向かい、キングクロス駅でタクシーに乗り換える。雨の中、TUFNELL PARKにあるB&B
に到着。このB&B、「THE FIVE KINGS HOTEL LONDON」 と名前は仰々しいがタクシーの運転手がな
かなか見つけられなかったぐらい、ごく普通の家にホテルの小さな札が出ているだけのものであった。

 英国の家は道路に面した部分に建物があり、その裏側は庭になっている。まるで間口は小さく奥行きが
ある京都の家の建て方に似ている。

 夕食は雨の中、母娘が駅前まで買いに行ったビールで祝杯を挙げる。




7日朝、1階の食堂で食事。パンに飲み物、ベーコン、卵焼き。焼かれたベーコンが皿に大量に盛ら
れて出された。しょっぱかった。

  娘はそのB&Bより仕事に行き、我々夫婦はロンドン塔へと向かう。
ロンドン塔は沢山の人で大にぎわいであった。私は大して興味も沸かないが、カミさんは全てを見て
やろうという精神。「あ、見た 見た」で終わる私も一理ある。時間は無限にあるわけがないのだから。

 ロンドン塔から出たらもう昼が過ぎている。テムズ川にかかるタワーブリッジの近くで食事。ジャガイ
モのふかしたのにバターを付けて食べる。タワーブリッジは改修工事中で工事の音がうるさかった。
ロンドンはオリンピックを控えているからか地下鉄などに改修工事が多い。

 ウォータールーの南側にある「帝国戦争博物館館」にいく。第一次世界大戦のタンクがあった。
ロンドン攻撃に使われたドイツ軍のV2ロケットがあった。戦争の武器が展示されているが、かなりの
部分は戦争の悲惨さを伝える内容になっているのには、さすが帝国と名が付くだけあったマジメな内
容に感心した。その博物館でお茶を飲む。のんびりとお茶を飲んでるカミさんをほったらかして私は武
器の展示場所に行く。カミさんがブーたれること。

 ピカデリーサーカスに行って、三越ローマ店にある日本人ツアーの代理店で情報を仕入れる。次に
ビクトリアステーションの近くで「みゅートラベル」なる日本の旅行社を探す。これはイタリアから帰って
きた時にカミさんがツアーで回りたかったからである。私などそもそも今回の旅行は全く乗りではなく、
本当はカミさんひとりで行ってくれたら幸いと思っていた。そんな忙しくしなくてもいいのに、なんて思
っていた。まあ、結局時間が無く日本人向けのツアーには参加できなかったけど。
 次に、娘と待ち合わせ場所へと歩いて向かう。隣の駅なのだが道路が解りづらい。このころから
GARMIN(メモリーナビ)が威力を発揮し始める。娘は最初機械に頼るのは、自分を頼らなくなるとで
も思ったか不快な感じであったが、旅の最後の頃にはGAMINを認めるようになった。
 
 隣の駅、セントジェームスパークで娘と落ち合いトッテナムコートの韓国料理へといく。30分ぐらい
待って席についた。母娘はうまいうまいと食べていた。

8日(土)
朝食の時に他に2組の客がいた。土日はこのB&Bは満杯らしい。
ロ−マに行くときじゃまな荷物をあづけるために娘の部屋へと向かう。ウインブルドンパークという駅
から5分ぐらいの所にあった。ごく普通の英国風の建物。大家が物置みたいにしている所を格安で
借りたとか。

 次にノッティングヒルの骨董店街に行く。ここの人出はものすごい。世界中から観光客が集まって
いる。日本人観光客はほとんどいない、チラッとは見かけたけど。露天で目の前で揚げている、エビ
の揚げ物を食べる。熱いからうまい。喫茶店にもはいるがごった返している。2Km以上の道がお祭り
騒ぎなのには仰天。で、私は母娘と別れて先にホテルに帰る。

 夜、近くのホールで行われる。バンドの大会に行く。娘はこれに参加したくて、その会場に近いとこ
ろにホテルを取ったとのこと。解錠では会場では色々な人に挨拶をされた。ビールを飲み音楽を楽し
む。なかなかレベルの高いバンドもいた。こんなところからビートルズみたいなグループが生まれるの
かと思った。





9日(日)
5時半にタクシーが迎えに来た。ナポリへと向かう日である。娘は昨夜飲み過ぎたらしく嘔吐したり
体調は不良。
飛行機に乗るセキュリティチェックはこれまた厳重。
飛行機からアルプスの山々が見えた。
ローマのフイウミチーノ空港に到着。そこから列車でローマ市内の、日本なら東京駅にあたるテルミ
ニ駅に向かう。
テルミに駅では切符を機械で購入することになっている。窓口が無く機械化されている。その機械の
前ででまごついていると親切な男が寄ってきて片言の英語で教えてくれた。娘はチップをはずんでい
た。

この男は後に駅でこの機械の使い方を教えている場面に遭遇したことから、これを生業としているの
かもしれない。機械化するとその使い方を教える仕事ができる。うまくなっている。

列車でナポリ到着。ナポリの駅からホテルまではタクシー。石畳の道を走ってホテルがある住所まで
は行くが肝心のホテルが見つからない。タクシーは同じ道を行ったり来たり。最後に見つかったホテ
ルは普通の民家の集合体みたいなビル。建物の2階に「DEI DECUMANI」って旗がひらめいている。
入口は高さが7メートルはある木製の鎧戸。その奥、薄暗い中を進むと、様式の階段がある。
中庭には後から付けたのだろうエレベーターがある。荷物があるのでエレベーターを使ったが、2階
に到着し扉が開いた先には心細い鉄製の橋が架かっているだけ。そこから下に落ちる予感に耐えな
がら受付の部屋へといく。
ものすごく時代が古い建物の中であてがわれた部屋は、これは素晴らしい部屋であった。天井は優
に4メートル以上高く、ベットの上にはなにやらカーテンが垂れ下がっている。まるで王侯貴族の寝
室である。縦に長い鏡が品よく壁に何枚も取り付けられている。テラスの戸は2重になっている。

ホテルで一息ついてから街の探索へと出かける。建物と建物の間は石畳。歴史を感じさせる。所々
に教会がある。空き家かもしれない、でもみな重厚な作りである。建物の壁にキリストの誰かを祭っ
た、まるで日本のお地蔵様みたいにあちこちに祭壇がある。

 夕食は街角の食堂でピザ。かまどで焼いている。これは実に美味い。日本で食べたピザとはちょ
っと違う。パスタなるものはまずかった。



 10日(月)
 ゆっくり起きて朝食。
 途中商店を冷やかしながら、「9時半」頃、カプリ島に向かう船が出る港へ到着。10時出航の船は
娘の並んだ数人前で突然販売停止。全く不親切きわまりない。日本だったら、ここまでの人は買え
ます、って係員が外に出て言いそうなのに。簡単にカーテンを閉めて、はいおしまい。
 
 カプリは諦めてポンペイに行くことになる。テルミに駅でポンペイへ行く列車を探していると、聞く人
聞く人がそれぞれ違うことを言う。係の人も2人が違うことを言うのにはたまげた。皆さん親切は親切
なんですが、不確かなことでも自信を持っているのがナポリ流かもしれない。
 1時間も右往左往してやっとポンペイへの列車に乗り込みポンペイ駅に到着。ところがポンペイ遺
跡は違う駅。タクシーでポンペイ遺跡に到着。
 
 ポンペイ遺跡は暑かった。若い女性はまるで海辺にいるような格好。それはそれで楽しめて結構。
異様なのはたまに会う日本人観光客。紫外線対策でまるで忍者のよう。カミさんも農家の女性の格
好。まるで野良仕事だ。
 ポンペイはもっとこぢんまりしているのかと思ったら、ものすごくおおきい。本当に大きな都市が火
山灰の下に沈んだと思った。
 
 ナポリ市街に戻った。Gaminを頼りに街を徘徊する。道のど真ん中で犬が寝ている。隣にバイクが
通っても動かない。
 歩道を若い女性の二人乗りのバイクが走る。断るまでもないがヘルメットは付けてない。ヘルメット
は付けても付けなくてもいいらしい。
 Gaminで近くのレストランを検索。こんなことまでできるのだ。今晩もピザ。私は何注文していいか
解らないので適当言ったらオリーブがのっかているピザが来た。これはしょっぱくて大失敗。でもあた
かも前から知っていたような顔して食べた。
 
 11日(火)
 早朝8時前に港に到着。ならんだ場所は娘の数人前で販売が停止された。一緒に並んでいたナ
ポリ人も何がおきたかさっぱり解らないという顔していた。イタリア人は横入りがうまい。後ろに並ん
でいたと思っていた人がいつの間にか前にいるなんて事もある。イタリア人同士何が起きても不思議
ではない顔している。
 ある列車の中で老婦人が「イタリアだもん」って言ってたと娘が教えて笑っていた。イタリア人がイ
タリアだから仕方がない、なんて言うんだね。
 
 チケット売り場に並んだ人の中に日本人の3人家族がいた。お父さんは何処かの課長かな、仕事
のできそうな男。その男、これで3カ所ならんだと焦っていた。子供の手前弱音を吐けないのか平然
とはしていた。
 
 娘の指示で、我々3人は別々の所に並ぶ。私と娘がいるところに、カミさんが「買えたわよー」なん
て叫びながら走ってきた。娘が確認すると紛れもない本物のチケット。周りのイタリア人もあっけにと
られている。なんでも閉じられて誰もいない売り場の窓がカミさんが並んだとたんに開いたんだって。
出航寸前の船に滑り込む。どーなってるの。チケットの売り方一つイタリアだ。
 
 カプリ島到着。港の前は人であふれている。カプリ島なんていうから静かな島かと思ったら喧噪渦
巻く島が第一印象。
 青の洞窟への船を探しているあいだ、カミさんがトイレに行きたいと言い出す。なぜ船でしてこなか
ったと娘が言う。険悪な雲いき。
 日本の団体客が待っていたチャーター船に次々と乗り込んで出航していく。ツアーは無駄が無くて
いいなー、と心底思う。
 まあ、なんとか船には乗れた。青の洞窟の入口で小さなボートに乗り換える。入口で頭を下げろと
言うので、ボートのそこに頭がふれんばかりにした。洞窟の入口が狭いのには驚いた。海の水が青く
光っている。これは神秘的・感動的であった。
 
 港に戻りケーブルカーで上に上がる。白く塗られた家の家と間の狭い道を歩く。こんな光景、ギリ
シャの宣伝パンフレットで見たな。石段があるところで買ってきたパンなどを食べる。
 
 喫茶店でお茶を飲んでのんびりしていると、カミさんが「大砲の展望台」に行きたいと言い出す。
Gaminでその場所をインプット。展望台に向かうが何しろ狭い道、道を間違えてまごまごしているとき、
何かの配達中の親父に「キャノン ドーンドーン」と大砲を撃つまねをしたら、最初は怪訝な顔してい
たが、解ったらしく、階段を上るステップの動作。そうか、あの人家の入口みたいな階段か、こっちも
解った。娘が親父の顔に扇子で風を送って感謝した。親父もにこにこ。
 
 たどり着いた展望台には先客が3人のみ。島の反対側が一望の元に見え、青い海に多数の船が
浮かんでいる。白い家並みが島にへばりつくようにあるのが美しい。なるほどここは大砲を置くにはう
ってつけの場所である。そこからの帰り道も会ったのは1人のみ。わかりにくい場所だからしかたな
いかも。ここに案内してくれたGaminさまさま。
 
 土産物屋で帽子を買う。コップを買う。コップはロンドンに行くときにわれてしまった。
 
 ナポリに戻り、これまたカミさんの要望で卵城へ行くこととなる。私は旅行ガイドは開いたこともな
いが、カミさんは旅行ガイド書を熟読しているため知識は山ほどある。娘は自分のスケジュールが壊
されるので、このあたりから不満顔になってきた。
 「ナポリを見てから死ね」とはこの城から街を見て出たことば、戸のカミさんの説明に納得しタクシ
ーで向かう。
 城は入場無料。でも入口に進入禁止の立て札。そばで座っていた男が立て札をどけた。でもチッ
プはやらなかった。だって急いでいるんだもの。卵城を見てから列車でローマに行かなければならな
い。
 肝心の卵城から見た光景は、「ナポリを見てから死ね」と言うほどではないが、海に突き出した城
から街を見ると確かに素晴らしい。かな。
 
 ホテルに戻り荷物を持って駅に行く。列車の部屋で一緒になったインド人と娘は話をしていた。
 
 
 

卵城からホテル向かう道、近道をしていたら、小学生ぐらいの子供が狭い石畳の
路地をバイクで走り回っていた。我々に近づくと「ぎゃー」とか何とか威嚇して
いた。親たちは笑っていた。娘も負けずに「ぎゃー」とか威嚇した。日本人と知っ
てなめている、とは娘の弁。
これはローマでもそうだったが、レストランの勘定書に1品ぐらい出された料理が
多くなっていることが2回あった。娘はそれを決して見逃さず、抗議をして、そん
な店にはチップなど渡さなかった。

ローマ、テルミニ駅に到着。もう夜になっていた。お母さんが余計なところに行く
から、と娘は母親に聞かれないように私につぶやいた。
駅前のホテルがなかなか見つからない。Gaminはバッテリーが少なくなったので使
わなかったのが失敗。うろうろしているうちに、私服警官2人に掴まり、持ち物検査
をされた。中国人が偽札を持ち込んでいるとのこと、最初は泥棒かと警戒したが目
つきは悪党ではなかった。最後は握手して別れた。
その私服警官の教えてくれた場所にホテルはあった。ローマ三越のすぐ近くであった。

ホテルの部屋は今までで一番広くゆったりとしている。一応「4星」。
夕食はナポリで買ったパン。ビールは屋台で買う。この屋台はものすごく高い。



12日(水)
朝は近くのマクドナルドで買ってきたものを食べる。
その後、近くのインターネット店で私と娘はパソコン。カミさんはひとりで何処かに行って
しまった。やがてインターネット店に戻ったときには日本の新聞を手にしていた。

コロッセオに行く。想像していたのよりデカイ。チケット売り場は長蛇の列。チケット
買うまで優に1時間以上はかかりそう。娘はチケットを持っている人の入口に行く。入場を
断られるも強引に窓口に行き予約したからとまくし立て、その予約番号を見せる。窓口嬢
は奥に引き込み、やや時間がたってからプリントした予約券を持ってきた。それに印刷さ
れたバーコードで簡単にコロッセオに入場。

ね、だからインターネットは遊びじゃないの、これには我々夫婦は脱帽。長蛇の列を尻目
に悠々と入場できたのだから、娘を褒めちぎること。カミさんも腹を立てたことが恥ずか
しそう。

こんな所に来られたことに私は感動であった。日陰の風の吹き抜ける場所で涼みながら長
い時間コロッセオにいた。

昼ご飯を食べることになりgaminで近くのレストランを検索。たどり着いた店で私が持って
いるgaminを物珍しそうにウエイターが覗いた。これでこの店を知ったと言い、この店はイ
ンターナショナルと言ったら偉く喜んだ。スパゲッティを食べた。お味は、おにぎりのほう
がうまいかな。もうこんな食事に飽き飽きしていたから。
会計の時、食べてもいない料理の代金が加算されている。娘は抗議して10ユーロほど取り返
し、テーブルにはチップをおかずに出た。

それからカラカラ浴場跡に向かう。何しろデカイ浴場だ、でも私は興味なし。一応早足で中
を見て回り、涼しいところで休んで。そして先に宿に帰る。

ホテルで湯船にゆったりとつかり、その後のんびりしていると、母娘が中華料理を買って帰
ってきた。炒めご飯に麻婆豆腐をかけて食べたら元気が出た。




 13日(木)
 朝早く、サンピエトロ大聖堂に行く。大聖堂の前の広場は人が一杯。入場者の列もできはじめている。
入場は無料だが荷物検査がある。我々が帰る頃はその荷物検査を受ける人の数が広場のの端までのび
ていた。この日差しの中可愛そうに。寺院の中は、何でこんなにでかくなければいけないのと言うくらいデ
カイ。
 寺院の中で双眼鏡で上を見ると、なんと大天蓋、天井で張り付くように人がうごめいているのが解る。こ
れにはビックリ。そしてそこに行くことになる。チケットを買ってそこにたどり着く。そこから下を見ると人が米
粒のように見える。神を感じさせる装置は苦労がいるな。
 そこからさらに上にと行く。寺院の丸い屋根の真ん中のとんがった部分に行けるのである。屋根の湾曲
を感じさせる通路を体を斜めにするような感じで昇っていく。ここは太った人は決してこられないだろう。何
故っておしりがつっかえるし、階段も下から530段もあるのですから体力勝負。
 そのてっぺんからの眺めは素晴らしいと書きたいところだが、普通に高いところから眺められると言うだ
け。いや、建物の上に飾ってある像の裏側を、上から眺めるのは、これは面白い。
 
 バチカン美術館は上から見て、入場待ちの数が多すぎるのが解ってパス。バチカン郵便局で残暑見舞
い1枚書く。
 バチカンの近くの店。日本人が昼飯代として9万円払わされたところの近くである。日本人観光客が減
ったと言われるが、確かに日本人はあまり見かけなかった。それでも世界中の人が集まっているので問
題は無さそうだが。
 我々の入った店はセットで色々なものが出された。特にオムレツが美味であった。料金は10ユーロぐら
い。良心的な店であった。
 
 地下鉄でパラティーナの丘に行く。ここが古代ローマの中心地だったとか、知識のない私は何を見ても
わからない。遺跡はどこも同じに見えてします。何しろアメリカじゃ考えられないくらい大昔の遺跡がごく普
通に点在している。
 私はローマと言えばコロッセオとトレビの泉。私はひとりでトレビの泉に行って待っていると宣言する。こ
れから「真実の口」に行くという母娘を説き伏せて「トレビの泉」に向かう。
 
 トレビの泉のちかくで母娘が遅いので先に行って待っていたら、スリに遭いそうになったと2人が興奮し
ていた。
 母子、子供はアイスクリームを食べて観光客を装っていたという。その二人に不自然にはさまれて戸惑
っていると母親の手がカミさんのバックに伸びたとか。カミさんが気がついて大声を出したら、その女はお
腹をだして私妊婦だから、と許しを請うように逃げていったとか。カミさんのバックからはデジカメのケース
があたかも財布のように覗いていたからかもしれないとのことであった。
 
 ここはスリが居てもおかしくないくらい大混雑している。色々な国の人が居るのが解る。どんな格好して
いてもおかしくはない。泉の前では多数の警察官が巡回したりしている。
 
 トレビの泉はやはり素晴らしい。泉の音が心を休めてくれる。30分ぐらいかな、それ以上か3人でボーと
していた。
 ここで父親の権威を見せたくなった。それにはここで馬車に乗ることだ。50ユーロだったら頼めと娘に言
う。娘が御者に聞いたら150ユーロだって。娘が50ユーロというと御者は表情も変えずに無視。150ユー
ロと50ユーロでは話にならないだろう、でもそこは問題児・我が娘、短いコースでいいからと70ユーロに
値切って交渉成立。親の顔を立ててくれた。
 3人で馬車に乗る、気分爽快。馬車は短いコースではなくしっかりとスペイン広場まで行って帰ってきた。
馬車に乗っていると結構周りから写真を撮られる。トレビの泉で馬車に乗ったなんて、けちけち旅行にして
は、いい思い出になりました。
 
 馬車から降りて、スペイン広場まで行く。歩くと意外に遠かった。広場の階段でのんびりと休む。階段が
昼間の太陽で温められそれがおしりに心地よい。娘は寝そべって寝てしまった。遠赤外線効果なのかな。
 
 夕食は昨日と同じ中華料理にする。店で食べると高いのでテイクアウト。昨日と同じ客が来たと店では
喜んでいる感じ。料理を受取り駅に向かって3分ぐらい歩いたところで伝票がおかしい娘が言い出して立
ち止まる。またクレームかよ、少しぐらいいいじゃないか、それより早く帰って食べよう。疲れたし。と言って
も、待ってろと娘は店まで引き返していった。結局7ユーロも取り返してきた。故意か錯誤かローマは1・2
品はごまかすのかもしれない。
 
 ビーフンは実に美味かった。青島ビールも。


14日(金)
ロンドンへの帰り支度をしてホテルに荷物を預け、バチカンの近くのサンタンジェロ城に行く。このころにな
るとカミさんも、どこに行っても大差ないと解ってきて、城の入場料が高いこともあって城には入らずソロか
ら眺めるだけ。露天でトルコのケバブを食べる。
ポポロ広場へと行く。日差しが強いが私のgaminが頼られているので、先導して歩く。ポポロ広場の後、
「真実の口」に行く。これは映画「ローマの休日」出てくることを知って私も興味が沸いてきた。

「真実の口」には列ができていた。しばらくは日差しが強いところに並ばなければならないが、建物にはい
ると涼しい。円形の石に目と口が彫られている。そこの口に手を入れて写真を撮るだけだが、みな楽しそう
している。一応そんな写真を撮った。

あちこち寄り道しながらホテルに戻り、荷物を持ってテルミニ駅へと向かう。空港から飛行機でロンドンま
で戻る。

ロンドンには深夜に到着。カプリ島で買ったカップは割れていた。ガックリ。
娘の部屋で母娘はベッド、私は娘の持っている寝袋で寝る。夜中、下の部分が寒くて仕方がなかった。次
の日からは冬用の毛布と布団が出された。最初から出せっていうのだ。

15日(土)
私は早起きして、私が持って行ったパソコンがインターネットを楽しむ。腹パソである。散歩道ものぞき、実
に落ち着く時間であった。実にのんびりした朝だ。
カミさんがラーメンを作った。これは実に美味かった。娘も喜んだ。

地下鉄が工事で不通になっている。駅までは本来は5分ぐらいなのだが、遠くの駅までバスで行く。
市内で「ライオンキング」を見る。黒人が主役のためか、場内に黒人が目立つ。
 その後、娘に寿司を食べさせてあげる約束を果たすために寿司屋に向かう。でも娘が向かった先は「ジ
ャパンセンター」そこでパック詰めの寿司を買って、店の中で食べる。久しぶりの醤油の味。とても美味か
った。

16日(日)
今日も地下鉄は不通。今日は遠くの駅まで歩く。どこを見ても外国の風景。別に珍しくもない。
バッキンガム宮殿の衛兵交代式の時間にあわせて宮殿に着いた。ものすごく大勢の人が交代式を待って
いた。
ここで驚いたのは、宮殿の前にある像の上まで人が乗っている。日本だったら怒られるところだ。
結局式は始まらず。ガックリと皆引き上げていく。

その後、ピカデリーサーカスのデパートで買い物。ネクタイを買って貰った。

娘は用事があると先に家に帰る。我々はテムズ川まで色々見物しながら歩く。

儀仗兵というのか、馬に乗ったホースガードは黒人であった。英国もモザイク国家。変な差別をするとまた
爆弾事件が起こる。オリンピックを前にして色々な策を講じているのだろうか。

ビッグベンを見上げる。以前来たときは橋の上まで防護のための柵があったが、今回はなくなっていた。
ビッグベンの前で、イランでのイギリス軍の残虐行為を糾弾するグループがテントを張っていた。

テムズ川の船下りは、英語がわからずパス。カミさんの前で格好良くチケット買いたかったが、窓口で
色々聞いたが、よく理解できず、もういいやと諦める。もうロンドンはいい。と宣言して娘の待つ部屋に帰
る。

部屋では娘は仕事をしていた。母娘は近くの公園に行った。私はネットを楽しむ。

母娘が帰ってきた。私が持って行ったデジイチD40を娘にあげた。これには娘は、やっとこんなカメラをもて
るようになった、と大喜び。今まで「要らない、よけいなことしないで」と言っていたのが嘘みたい。余ったポ
ンドのお恵みを、なんてことも言ったので、あまった英国のお金は全部置いてきた。

夕食は母娘が作った。美味かった。

17日(月)
早朝5時半、迎えに来たタクシーにのって、ヒースロー空港へと向かう。チェックインは娘がしてくれる。空
港は改修中で別れを惜しむ場所がない。チェックインカウンターの横に置かれた椅子に腰掛け持参したお
握りを食べて別れる。
 出国手続きに向かう我々に娘が手を振った。私はアカンベーをした。

オランダ・スキポール空港で4時間の待ち合わせ。スキポール空港には寿司屋とうどん屋がある。
うどんはトッピングが一杯のっている。

帰りの飛行機は個人個人に液晶画面があり、映画などが楽しめる。ながーい長い時間が流れ。

18日
成田空港無事帰着



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