2009.8/6〜8/17 ロンドン・ナポリ・ローマ
-------------------------------------------------------------------------------- 旅日記 千葉の勝浦での宿泊を伴う仕事が終わり、次の日、急いで英国に行く荷物の準備を始めた。 英国にいる娘のパソコンが壊れて8ヶ月も経つので新しいパソコンをネットオークションで購入。そのパ ソコンのDVDの調子が悪いことが判明。まだ販売店の5年保証の期間であるが修理に出している時間が ない。このことで後の荷物の遅れてしまった。出発前日になってから機器の状態をテストするなんてぬけ ているな。 スーツケースはガラガラなので日本の食品を隙間に詰めて娘に持っていくことにする。 6日(金) 早朝、娘からskyeで電話があった。漫画を買ってきて欲しい。ロンドンは寒いから上着が必要とのこと であった。 我が家から成田空港へは70分。早朝、成田空港に到着し梅干しと漫画を購入。 KLMのチケットはイーチケット。チェックインカウンターの前にある機械にパスポートを入れ読み取らせれば 感熱紙に印刷されたチケットが出てくる仕組み。チケットにはバーコードが印刷されているので飛行機搭乗 前のチェックはこのバーコードを機会が機械が読み取る仕組み。 荷物を預ける。2人とも約20キロすれすれ。受付嬢が言うには1KGオーバーで、4200円支払わなけれ ばならないとか。これは飛行機の重量を軽くする意味ではなくて、たぶん積み込む人の労力の軽減がある のではないかと思う。というのはロンドンからの帰りの飛行機で、飛行機の窓から積み込む場面をしっかり と見るきおtができた。とてもきつそうな仕事で労働者から汗が噴き出ていた。そうそう、ちょうど私の荷物 が積み込まれる場面にも遭遇。これは珍しいことだと思います。 成田でのセキュリティチェックはズボンのベルトをはずし、靴も脱がされた。もう裸で乗って欲しいといった ところか。私はこのチェックは厳しい方が安心できてありがたい。なぜなら、やはり飛行機は墜落すること もあるし、ましてテロに巻き込まれ飛行中に爆発でも起きたら困る。いつも海外旅行に行くたびに残った者 に簡単に言い残すことを(遺書?)を書いている。大げさと思うでしょうが、そうすると気分がとても楽になる のです。 ネットにパイロット同志の同士の内輪の話が載っていたが、パイロットは難しい気象条件の方がやりがい があるとか。また事故を起こすか起こさないかは、その人のツキによるとのこと。ハドソン川に不時着した 飛行機は、川に船がなかった。それもパイロットのツキによるとか。私もこの歳まで生きてこられたと言うこ とはツキがあったればこそかな。 やっと飛行機は空に浮いた。午後12時15分飲み物が配られ始めた。 隣に座った女性はスウェーデン人。ストックホルムに帰ると言うことであった。スキューバダイビングの場所 のリサーチとか言っていました。石川県の舳倉島で海女をやったとのこと。スウェーデン語で数字の123を 教わったりした。でも忘れた。 1305食事。ビールを飲む。 1600 何もしないということは辛いものだ。隣のスウェーデンのお嬢さんは社交的で良く話しかけてくる。 退屈しのぎにはなったが、英語は苦手なので苦労もした。 成田離陸から11時間後にオランダ・スキポール空港到着。 3時間の待ち合わせでスキポール空港よりロンドンに向かう。あっという間に海峡を越えてロンドン・ヒース ロー空港に到着。入国審査は娘から送ってもらっておいた文書を示したら簡単に入国許可となった。 空港から出たら娘が待っているはずとカメラを構えて出口に向かった。ところが出口に出たが娘は出迎え 人には居なかった。何か良からぬことが起きたか不安になったが30分後に娘が現れてほっとした。相変 わらずマイペースだ。2年ぶりに合う会う娘は何時もskypeで会話しているので久しぶりという気がしない。 よくぞタダで英国にいる娘と電話できる時代になったものだとおもう。 地下鉄で都心に向かい、キングクロス駅でタクシーに乗り換える。雨の中、TUFNELL PARKにあるB&B に到着。このB&B、「THE FIVE KINGS HOTEL LONDON」 と名前は仰々しいがタクシーの運転手がな かなか見つけられなかったぐらい、ごく普通の家にホテルの小さな札が出ているだけのものであった。 英国の家は道路に面した部分に建物があり、その裏側は庭になっている。まるで間口は小さく奥行きが ある京都の家の建て方に似ている。 夕食は雨の中、母娘が駅前まで買いに行ったビールで祝杯を挙げる。 7日朝、1階の食堂で食事。パンに飲み物、ベーコン、卵焼き。焼かれたベーコンが皿に大量に盛ら れて出された。しょっぱかった。 娘はそのB&Bより仕事に行き、我々夫婦はロンドン塔へと向かう。 ロンドン塔は沢山の人で大にぎわいであった。私は大して興味も沸かないが、カミさんは全てを見て やろうという精神。「あ、見た 見た」で終わる私も一理ある。時間は無限にあるわけがないのだから。 ロンドン塔から出たらもう昼が過ぎている。テムズ川にかかるタワーブリッジの近くで食事。ジャガイ モのふかしたのにバターを付けて食べる。タワーブリッジは改修工事中で工事の音がうるさかった。 ロンドンはオリンピックを控えているからか地下鉄などに改修工事が多い。 ウォータールーの南側にある「帝国戦争博物館館」にいく。第一次世界大戦のタンクがあった。 ロンドン攻撃に使われたドイツ軍のV2ロケットがあった。戦争の武器が展示されているが、かなりの 部分は戦争の悲惨さを伝える内容になっているのには、さすが帝国と名が付くだけあったマジメな内 容に感心した。その博物館でお茶を飲む。のんびりとお茶を飲んでるカミさんをほったらかして私は武 器の展示場所に行く。カミさんがブーたれること。 ピカデリーサーカスに行って、三越ローマ店にある日本人ツアーの代理店で情報を仕入れる。次に ビクトリアステーションの近くで「みゅートラベル」なる日本の旅行社を探す。これはイタリアから帰って きた時にカミさんがツアーで回りたかったからである。私などそもそも今回の旅行は全く乗りではなく、 本当はカミさんひとりで行ってくれたら幸いと思っていた。そんな忙しくしなくてもいいのに、なんて思 っていた。まあ、結局時間が無く日本人向けのツアーには参加できなかったけど。 次に、娘と待ち合わせ場所へと歩いて向かう。隣の駅なのだが道路が解りづらい。このころから GARMIN(メモリーナビ)が威力を発揮し始める。娘は最初機械に頼るのは、自分を頼らなくなるとで も思ったか不快な感じであったが、旅の最後の頃にはGAMINを認めるようになった。 隣の駅、セントジェームスパークで娘と落ち合いトッテナムコートの韓国料理へといく。30分ぐらい 待って席についた。母娘はうまいうまいと食べていた。 8日(土) 朝食の時に他に2組の客がいた。土日はこのB&Bは満杯らしい。 ロ−マに行くときじゃまな荷物をあづけるために娘の部屋へと向かう。ウインブルドンパークという駅 から5分ぐらいの所にあった。ごく普通の英国風の建物。大家が物置みたいにしている所を格安で 借りたとか。 次にノッティングヒルの骨董店街に行く。ここの人出はものすごい。世界中から観光客が集まって いる。日本人観光客はほとんどいない、チラッとは見かけたけど。露天で目の前で揚げている、エビ の揚げ物を食べる。熱いからうまい。喫茶店にもはいるがごった返している。2Km以上の道がお祭り 騒ぎなのには仰天。で、私は母娘と別れて先にホテルに帰る。 夜、近くのホールで行われる。バンドの大会に行く。娘はこれに参加したくて、その会場に近いとこ ろにホテルを取ったとのこと。解錠では会場では色々な人に挨拶をされた。ビールを飲み音楽を楽し む。なかなかレベルの高いバンドもいた。こんなところからビートルズみたいなグループが生まれるの かと思った。 9日(日) 5時半にタクシーが迎えに来た。ナポリへと向かう日である。娘は昨夜飲み過ぎたらしく嘔吐したり 体調は不良。 飛行機に乗るセキュリティチェックはこれまた厳重。 飛行機からアルプスの山々が見えた。 ローマのフイウミチーノ空港に到着。そこから列車でローマ市内の、日本なら東京駅にあたるテルミ ニ駅に向かう。 テルミに駅では切符を機械で購入することになっている。窓口が無く機械化されている。その機械の 前ででまごついていると親切な男が寄ってきて片言の英語で教えてくれた。娘はチップをはずんでい た。 この男は後に駅でこの機械の使い方を教えている場面に遭遇したことから、これを生業としているの かもしれない。機械化するとその使い方を教える仕事ができる。うまくなっている。 列車でナポリ到着。ナポリの駅からホテルまではタクシー。石畳の道を走ってホテルがある住所まで は行くが肝心のホテルが見つからない。タクシーは同じ道を行ったり来たり。最後に見つかったホテ ルは普通の民家の集合体みたいなビル。建物の2階に「DEI DECUMANI」って旗がひらめいている。 入口は高さが7メートルはある木製の鎧戸。その奥、薄暗い中を進むと、様式の階段がある。 中庭には後から付けたのだろうエレベーターがある。荷物があるのでエレベーターを使ったが、2階 に到着し扉が開いた先には心細い鉄製の橋が架かっているだけ。そこから下に落ちる予感に耐えな がら受付の部屋へといく。 ものすごく時代が古い建物の中であてがわれた部屋は、これは素晴らしい部屋であった。天井は優 に4メートル以上高く、ベットの上にはなにやらカーテンが垂れ下がっている。まるで王侯貴族の寝 室である。縦に長い鏡が品よく壁に何枚も取り付けられている。テラスの戸は2重になっている。 ホテルで一息ついてから街の探索へと出かける。建物と建物の間は石畳。歴史を感じさせる。所々 に教会がある。空き家かもしれない、でもみな重厚な作りである。建物の壁にキリストの誰かを祭っ た、まるで日本のお地蔵様みたいにあちこちに祭壇がある。 夕食は街角の食堂でピザ。かまどで焼いている。これは実に美味い。日本で食べたピザとはちょ っと違う。パスタなるものはまずかった。 10日(月) ゆっくり起きて朝食。 途中商店を冷やかしながら、「9時半」頃、カプリ島に向かう船が出る港へ到着。10時出航の船は 娘の並んだ数人前で突然販売停止。全く不親切きわまりない。日本だったら、ここまでの人は買え ます、って係員が外に出て言いそうなのに。簡単にカーテンを閉めて、はいおしまい。 カプリは諦めてポンペイに行くことになる。テルミに駅でポンペイへ行く列車を探していると、聞く人 聞く人がそれぞれ違うことを言う。係の人も2人が違うことを言うのにはたまげた。皆さん親切は親切 なんですが、不確かなことでも自信を持っているのがナポリ流かもしれない。 1時間も右往左往してやっとポンペイへの列車に乗り込みポンペイ駅に到着。ところがポンペイ遺 跡は違う駅。タクシーでポンペイ遺跡に到着。 ポンペイ遺跡は暑かった。若い女性はまるで海辺にいるような格好。それはそれで楽しめて結構。 異様なのはたまに会う日本人観光客。紫外線対策でまるで忍者のよう。カミさんも農家の女性の格 好。まるで野良仕事だ。 ポンペイはもっとこぢんまりしているのかと思ったら、ものすごくおおきい。本当に大きな都市が火 山灰の下に沈んだと思った。 ナポリ市街に戻った。Gaminを頼りに街を徘徊する。道のど真ん中で犬が寝ている。隣にバイクが 通っても動かない。 歩道を若い女性の二人乗りのバイクが走る。断るまでもないがヘルメットは付けてない。ヘルメット は付けても付けなくてもいいらしい。 Gaminで近くのレストランを検索。こんなことまでできるのだ。今晩もピザ。私は何注文していいか 解らないので適当言ったらオリーブがのっかているピザが来た。これはしょっぱくて大失敗。でもあた かも前から知っていたような顔して食べた。 11日(火) 早朝8時前に港に到着。ならんだ場所は娘の数人前で販売が停止された。一緒に並んでいたナ ポリ人も何がおきたかさっぱり解らないという顔していた。イタリア人は横入りがうまい。後ろに並ん でいたと思っていた人がいつの間にか前にいるなんて事もある。イタリア人同士何が起きても不思議 ではない顔している。 ある列車の中で老婦人が「イタリアだもん」って言ってたと娘が教えて笑っていた。イタリア人がイ タリアだから仕方がない、なんて言うんだね。 チケット売り場に並んだ人の中に日本人の3人家族がいた。お父さんは何処かの課長かな、仕事 のできそうな男。その男、これで3カ所ならんだと焦っていた。子供の手前弱音を吐けないのか平然 とはしていた。 娘の指示で、我々3人は別々の所に並ぶ。私と娘がいるところに、カミさんが「買えたわよー」なん て叫びながら走ってきた。娘が確認すると紛れもない本物のチケット。周りのイタリア人もあっけにと られている。なんでも閉じられて誰もいない売り場の窓がカミさんが並んだとたんに開いたんだって。 出航寸前の船に滑り込む。どーなってるの。チケットの売り方一つイタリアだ。 カプリ島到着。港の前は人であふれている。カプリ島なんていうから静かな島かと思ったら喧噪渦 巻く島が第一印象。 青の洞窟への船を探しているあいだ、カミさんがトイレに行きたいと言い出す。なぜ船でしてこなか ったと娘が言う。険悪な雲いき。 日本の団体客が待っていたチャーター船に次々と乗り込んで出航していく。ツアーは無駄が無くて いいなー、と心底思う。 まあ、なんとか船には乗れた。青の洞窟の入口で小さなボートに乗り換える。入口で頭を下げろと 言うので、ボートのそこに頭がふれんばかりにした。洞窟の入口が狭いのには驚いた。海の水が青く 光っている。これは神秘的・感動的であった。 港に戻りケーブルカーで上に上がる。白く塗られた家の家と間の狭い道を歩く。こんな光景、ギリ シャの宣伝パンフレットで見たな。石段があるところで買ってきたパンなどを食べる。 喫茶店でお茶を飲んでのんびりしていると、カミさんが「大砲の展望台」に行きたいと言い出す。 Gaminでその場所をインプット。展望台に向かうが何しろ狭い道、道を間違えてまごまごしているとき、 何かの配達中の親父に「キャノン ドーンドーン」と大砲を撃つまねをしたら、最初は怪訝な顔してい たが、解ったらしく、階段を上るステップの動作。そうか、あの人家の入口みたいな階段か、こっちも 解った。娘が親父の顔に扇子で風を送って感謝した。親父もにこにこ。 たどり着いた展望台には先客が3人のみ。島の反対側が一望の元に見え、青い海に多数の船が 浮かんでいる。白い家並みが島にへばりつくようにあるのが美しい。なるほどここは大砲を置くにはう ってつけの場所である。そこからの帰り道も会ったのは1人のみ。わかりにくい場所だからしかたな いかも。ここに案内してくれたGaminさまさま。 土産物屋で帽子を買う。コップを買う。コップはロンドンに行くときにわれてしまった。 ナポリに戻り、これまたカミさんの要望で卵城へ行くこととなる。私は旅行ガイドは開いたこともな いが、カミさんは旅行ガイド書を熟読しているため知識は山ほどある。娘は自分のスケジュールが壊 されるので、このあたりから不満顔になってきた。 「ナポリを見てから死ね」とはこの城から街を見て出たことば、戸のカミさんの説明に納得しタクシ ーで向かう。 城は入場無料。でも入口に進入禁止の立て札。そばで座っていた男が立て札をどけた。でもチッ プはやらなかった。だって急いでいるんだもの。卵城を見てから列車でローマに行かなければならな い。 肝心の卵城から見た光景は、「ナポリを見てから死ね」と言うほどではないが、海に突き出した城 から街を見ると確かに素晴らしい。かな。 ホテルに戻り荷物を持って駅に行く。列車の部屋で一緒になったインド人と娘は話をしていた。 卵城からホテル向かう道、近道をしていたら、小学生ぐらいの子供が狭い石畳の 路地をバイクで走り回っていた。我々に近づくと「ぎゃー」とか何とか威嚇して いた。親たちは笑っていた。娘も負けずに「ぎゃー」とか威嚇した。日本人と知っ てなめている、とは娘の弁。 これはローマでもそうだったが、レストランの勘定書に1品ぐらい出された料理が 多くなっていることが2回あった。娘はそれを決して見逃さず、抗議をして、そん な店にはチップなど渡さなかった。 ローマ、テルミニ駅に到着。もう夜になっていた。お母さんが余計なところに行く から、と娘は母親に聞かれないように私につぶやいた。 駅前のホテルがなかなか見つからない。Gaminはバッテリーが少なくなったので使 わなかったのが失敗。うろうろしているうちに、私服警官2人に掴まり、持ち物検査 をされた。中国人が偽札を持ち込んでいるとのこと、最初は泥棒かと警戒したが目 つきは悪党ではなかった。最後は握手して別れた。 その私服警官の教えてくれた場所にホテルはあった。ローマ三越のすぐ近くであった。 ホテルの部屋は今までで一番広くゆったりとしている。一応「4星」。 夕食はナポリで買ったパン。ビールは屋台で買う。この屋台はものすごく高い。 12日(水) 朝は近くのマクドナルドで買ってきたものを食べる。 その後、近くのインターネット店で私と娘はパソコン。カミさんはひとりで何処かに行って しまった。やがてインターネット店に戻ったときには日本の新聞を手にしていた。 コロッセオに行く。想像していたのよりデカイ。チケット売り場は長蛇の列。チケット 買うまで優に1時間以上はかかりそう。娘はチケットを持っている人の入口に行く。入場を 断られるも強引に窓口に行き予約したからとまくし立て、その予約番号を見せる。窓口嬢 は奥に引き込み、やや時間がたってからプリントした予約券を持ってきた。それに印刷さ れたバーコードで簡単にコロッセオに入場。 ね、だからインターネットは遊びじゃないの、これには我々夫婦は脱帽。長蛇の列を尻目 に悠々と入場できたのだから、娘を褒めちぎること。カミさんも腹を立てたことが恥ずか しそう。 こんな所に来られたことに私は感動であった。日陰の風の吹き抜ける場所で涼みながら長 い時間コロッセオにいた。 昼ご飯を食べることになりgaminで近くのレストランを検索。たどり着いた店で私が持って いるgaminを物珍しそうにウエイターが覗いた。これでこの店を知ったと言い、この店はイ ンターナショナルと言ったら偉く喜んだ。スパゲッティを食べた。お味は、おにぎりのほう がうまいかな。もうこんな食事に飽き飽きしていたから。 会計の時、食べてもいない料理の代金が加算されている。娘は抗議して10ユーロほど取り返 し、テーブルにはチップをおかずに出た。 それからカラカラ浴場跡に向かう。何しろデカイ浴場だ、でも私は興味なし。一応早足で中 を見て回り、涼しいところで休んで。そして先に宿に帰る。 ホテルで湯船にゆったりとつかり、その後のんびりしていると、母娘が中華料理を買って帰 ってきた。炒めご飯に麻婆豆腐をかけて食べたら元気が出た。 13日(木) 朝早く、サンピエトロ大聖堂に行く。大聖堂の前の広場は人が一杯。入場者の列もできはじめている。 入場は無料だが荷物検査がある。我々が帰る頃はその荷物検査を受ける人の数が広場のの端までのび ていた。この日差しの中可愛そうに。寺院の中は、何でこんなにでかくなければいけないのと言うくらいデ カイ。 寺院の中で双眼鏡で上を見ると、なんと大天蓋、天井で張り付くように人がうごめいているのが解る。こ れにはビックリ。そしてそこに行くことになる。チケットを買ってそこにたどり着く。そこから下を見ると人が米 粒のように見える。神を感じさせる装置は苦労がいるな。 そこからさらに上にと行く。寺院の丸い屋根の真ん中のとんがった部分に行けるのである。屋根の湾曲 を感じさせる通路を体を斜めにするような感じで昇っていく。ここは太った人は決してこられないだろう。何 故っておしりがつっかえるし、階段も下から530段もあるのですから体力勝負。 そのてっぺんからの眺めは素晴らしいと書きたいところだが、普通に高いところから眺められると言うだ け。いや、建物の上に飾ってある像の裏側を、上から眺めるのは、これは面白い。 バチカン美術館は上から見て、入場待ちの数が多すぎるのが解ってパス。バチカン郵便局で残暑見舞 い1枚書く。 バチカンの近くの店。日本人が昼飯代として9万円払わされたところの近くである。日本人観光客が減 ったと言われるが、確かに日本人はあまり見かけなかった。それでも世界中の人が集まっているので問 題は無さそうだが。 我々の入った店はセットで色々なものが出された。特にオムレツが美味であった。料金は10ユーロぐら い。良心的な店であった。 地下鉄でパラティーナの丘に行く。ここが古代ローマの中心地だったとか、知識のない私は何を見ても わからない。遺跡はどこも同じに見えてします。何しろアメリカじゃ考えられないくらい大昔の遺跡がごく普 通に点在している。 私はローマと言えばコロッセオとトレビの泉。私はひとりでトレビの泉に行って待っていると宣言する。こ れから「真実の口」に行くという母娘を説き伏せて「トレビの泉」に向かう。 トレビの泉のちかくで母娘が遅いので先に行って待っていたら、スリに遭いそうになったと2人が興奮し ていた。 母子、子供はアイスクリームを食べて観光客を装っていたという。その二人に不自然にはさまれて戸惑 っていると母親の手がカミさんのバックに伸びたとか。カミさんが気がついて大声を出したら、その女はお 腹をだして私妊婦だから、と許しを請うように逃げていったとか。カミさんのバックからはデジカメのケース があたかも財布のように覗いていたからかもしれないとのことであった。 ここはスリが居てもおかしくないくらい大混雑している。色々な国の人が居るのが解る。どんな格好して いてもおかしくはない。泉の前では多数の警察官が巡回したりしている。 トレビの泉はやはり素晴らしい。泉の音が心を休めてくれる。30分ぐらいかな、それ以上か3人でボーと していた。 ここで父親の権威を見せたくなった。それにはここで馬車に乗ることだ。50ユーロだったら頼めと娘に言 う。娘が御者に聞いたら150ユーロだって。娘が50ユーロというと御者は表情も変えずに無視。150ユー ロと50ユーロでは話にならないだろう、でもそこは問題児・我が娘、短いコースでいいからと70ユーロに 値切って交渉成立。親の顔を立ててくれた。 3人で馬車に乗る、気分爽快。馬車は短いコースではなくしっかりとスペイン広場まで行って帰ってきた。 馬車に乗っていると結構周りから写真を撮られる。トレビの泉で馬車に乗ったなんて、けちけち旅行にして は、いい思い出になりました。 馬車から降りて、スペイン広場まで行く。歩くと意外に遠かった。広場の階段でのんびりと休む。階段が 昼間の太陽で温められそれがおしりに心地よい。娘は寝そべって寝てしまった。遠赤外線効果なのかな。 夕食は昨日と同じ中華料理にする。店で食べると高いのでテイクアウト。昨日と同じ客が来たと店では 喜んでいる感じ。料理を受取り駅に向かって3分ぐらい歩いたところで伝票がおかしい娘が言い出して立 ち止まる。またクレームかよ、少しぐらいいいじゃないか、それより早く帰って食べよう。疲れたし。と言って も、待ってろと娘は店まで引き返していった。結局7ユーロも取り返してきた。故意か錯誤かローマは1・2 品はごまかすのかもしれない。 ビーフンは実に美味かった。青島ビールも。 14日(金) ロンドンへの帰り支度をしてホテルに荷物を預け、バチカンの近くのサンタンジェロ城に行く。このころにな るとカミさんも、どこに行っても大差ないと解ってきて、城の入場料が高いこともあって城には入らずソロか ら眺めるだけ。露天でトルコのケバブを食べる。 ポポロ広場へと行く。日差しが強いが私のgaminが頼られているので、先導して歩く。ポポロ広場の後、 「真実の口」に行く。これは映画「ローマの休日」出てくることを知って私も興味が沸いてきた。 「真実の口」には列ができていた。しばらくは日差しが強いところに並ばなければならないが、建物にはい ると涼しい。円形の石に目と口が彫られている。そこの口に手を入れて写真を撮るだけだが、みな楽しそう している。一応そんな写真を撮った。 あちこち寄り道しながらホテルに戻り、荷物を持ってテルミニ駅へと向かう。空港から飛行機でロンドンま で戻る。 ロンドンには深夜に到着。カプリ島で買ったカップは割れていた。ガックリ。 娘の部屋で母娘はベッド、私は娘の持っている寝袋で寝る。夜中、下の部分が寒くて仕方がなかった。次 の日からは冬用の毛布と布団が出された。最初から出せっていうのだ。 15日(土) 私は早起きして、私が持って行ったパソコンがインターネットを楽しむ。腹パソである。散歩道ものぞき、実 に落ち着く時間であった。実にのんびりした朝だ。 カミさんがラーメンを作った。これは実に美味かった。娘も喜んだ。 地下鉄が工事で不通になっている。駅までは本来は5分ぐらいなのだが、遠くの駅までバスで行く。 市内で「ライオンキング」を見る。黒人が主役のためか、場内に黒人が目立つ。 その後、娘に寿司を食べさせてあげる約束を果たすために寿司屋に向かう。でも娘が向かった先は「ジ ャパンセンター」そこでパック詰めの寿司を買って、店の中で食べる。久しぶりの醤油の味。とても美味か った。 16日(日) 今日も地下鉄は不通。今日は遠くの駅まで歩く。どこを見ても外国の風景。別に珍しくもない。 バッキンガム宮殿の衛兵交代式の時間にあわせて宮殿に着いた。ものすごく大勢の人が交代式を待って いた。 ここで驚いたのは、宮殿の前にある像の上まで人が乗っている。日本だったら怒られるところだ。 結局式は始まらず。ガックリと皆引き上げていく。 その後、ピカデリーサーカスのデパートで買い物。ネクタイを買って貰った。 娘は用事があると先に家に帰る。我々はテムズ川まで色々見物しながら歩く。 儀仗兵というのか、馬に乗ったホースガードは黒人であった。英国もモザイク国家。変な差別をするとまた 爆弾事件が起こる。オリンピックを前にして色々な策を講じているのだろうか。 ビッグベンを見上げる。以前来たときは橋の上まで防護のための柵があったが、今回はなくなっていた。 ビッグベンの前で、イランでのイギリス軍の残虐行為を糾弾するグループがテントを張っていた。 テムズ川の船下りは、英語がわからずパス。カミさんの前で格好良くチケット買いたかったが、窓口で 色々聞いたが、よく理解できず、もういいやと諦める。もうロンドンはいい。と宣言して娘の待つ部屋に帰 る。 部屋では娘は仕事をしていた。母娘は近くの公園に行った。私はネットを楽しむ。 母娘が帰ってきた。私が持って行ったデジイチD40を娘にあげた。これには娘は、やっとこんなカメラをもて るようになった、と大喜び。今まで「要らない、よけいなことしないで」と言っていたのが嘘みたい。余ったポ ンドのお恵みを、なんてことも言ったので、あまった英国のお金は全部置いてきた。 夕食は母娘が作った。美味かった。 17日(月) 早朝5時半、迎えに来たタクシーにのって、ヒースロー空港へと向かう。チェックインは娘がしてくれる。空 港は改修中で別れを惜しむ場所がない。チェックインカウンターの横に置かれた椅子に腰掛け持参したお 握りを食べて別れる。 出国手続きに向かう我々に娘が手を振った。私はアカンベーをした。 オランダ・スキポール空港で4時間の待ち合わせ。スキポール空港には寿司屋とうどん屋がある。 うどんはトッピングが一杯のっている。 帰りの飛行機は個人個人に液晶画面があり、映画などが楽しめる。ながーい長い時間が流れ。 18日 成田空港無事帰着
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