なぜ、もりどんはホークスファンになったのか

私は名古屋生まれの名古屋育ち、学生時代の5年間を除いては、すべて名古屋の水を飲んで生きてきた人間である。
にもかかわらず、なぜホークスファンなんぞになってしまったのか。


巨人ファンとしての10代
私は父親なしで育っているので、たぶん他の少年より野球に目覚めるのは遅かったと思う。
たぶん8、9歳ごろに、ぼんやりとテレビを見てて、プロ野球を見るようになった。
そのころのテレビ中継といえば(今もだが)、巨人戦ばかりで、テレビから入った私は自然に巨人ファンになる。
また、名古屋の一般的な家庭がそうであるように、家では中日ドラゴンズの親会社である中日新聞をとっていた。
もちろん親会社がライバルの讀賣新聞である巨人との試合は大きく報道されていた。
私の巨人ファン度は深くなり、地元ドラゴンズが優勝することがあったにもかかわらず、その度合いは進行していった。
でも、そのドラゴンズ、ジャイアンツの記事に押されるように、片隅に結果だけ出てるパリーグというものが気になっていたのだ。
しかも、当時は阪急が強くて、毎回得点や完全試合など、こっちの方が面白い野球やってるじゃないか、という気がしてた。
それでパリーグにも注目してみようと思ったのだが、そのためにはどこかひいきのチームをつくらなければ、と考えた。
でも阪急は好きになれなかった。たぶん巨人が日本シリーズで続けて負けたからだと思う。
それなら、と目をつけたのが南海ホークス。理由は、私は緑色が一番好きだからだ。
チームカラーをグリーンにしていたのは南海だけだったのだ。
たったこれだけの理由で、一応私は南海ファンになり、密かに応援を始めたが、これが弱い弱い(笑)。
中高生が、野球を観るだけに大阪に足を運べるわけでなし、テレビ、ラジオでのパリーグ中継はなく、そのうえ弱くては応援に力も入らない。
10代のうちは表向き巨人ファンとして地元中日ファンと張り合い、密かに南海の試合結果を見守って過ごしていたのである。


ホークスファンの出来るさま
やがて私は大学進学に伴い上京した。
東京にいれば、関東のチームとの試合が観れる。
私は、後楽園球場(東京ドーム)での日本ハム戦、川崎球場でのロッテ戦、西武球場での西武戦にと足を運ぶのだった。
球場で観るようになると、やはり愛着が湧いてくる。弱いと余計応援したくなる。
選手の名前や顔もどんどん覚える。応援歌も覚えたりする。応援メガホンやレプリカの帽子を買ったりする。
熱烈南海ファンの出来上がりである。
私が1年余分に大学に行くことになったのは、このためかも知れない。

球団が南海からダイエーに身売りされたのは、私が学生のときである。
就職で私は名古屋に戻ってきたが、愛しのホークスは遠い九州へ行ってしまった。
相変わらずチームは弱い。
よほどファンを止めようと思ったが、一度好きになったらダメなんよ。
故根本陸夫監督のときにチームは生まれ変わろうとしていた。
そのころ初めて福岡ドームへ足を運ぶ。
チームは豪快な勝ち方をする。
とんこつラーメンは美味い。
私は再びホークスの虜となり、足繁く藤井寺(大阪ドーム)の近鉄戦、神戸のオリックス戦へと通い、年に1回は福岡ドームを巡礼するようになった。
そして今のように強くて人気のあるチームになり、しばらくこの熱は醒めそうにない。