ルーファウスは執務室の窓から外を眺めながら、レノの報告を受けていた。
古代種の神殿でツォンが消息を絶ってから、その足取りは全く掴めないまま今日に至っている。
アバランチに潜り込ませた間者の報告によると、彼らが神殿に辿りついた時には深手ではあったがまだ意識ははっきりしていたという。間者は神殿に入る際に退避するよう指示したが、神殿が縮小する直前にアバランチが脱出した時には既にツォンの姿はなかったそうだ。
その後、ツォンの姿を見た者はいない。
深手を負った状態でそう遠くにはいけないだろう、というのが当初の見解であり、捜索は神殿周辺に絞り込んで行われたが、本人はおろか焚き火などの野営の痕跡も……そして遺体も、発見されていなかった。捜索範囲を広げてみても、やはり僅かな手がかりさえも見つからないままだ。
日が経つにつれ、生存の可能性は下がっていく。いまや冷静に数字だけを見るなら絶望的と言わざるを得ない。
ほんの僅かでも可能性があるならと捜索を続けてきた自分は、傍目にもさぞ無様だったことだろう──確率を算出すればゼロにはならないのだから、詭弁であることは誰の目にも明らかだ。
それでも望みを捨て切れなかった。諦めたくなかった。
今もその気持ちに変わりはない。
だが、加速度的に破滅へと向かう世界が、非情に決断を迫る。
ルーファウスはいまだ足掻こうとする感情を封じようとでもするかのように、僅かに瞠目した。
「――じゃ、俺は捜索に戻るぞ、と」
一向に進展しない捜索の定時報告を、レノは内心どれほどの焦燥を抱えていたにせよ普段通りの飄々とした口調ですませ、ルーファウスの指示を待たずに一方的に退室の意志表示をして踵を返す。
ここ数日、毎日繰り返された光景。
部下の報告を受ける時には常に射るような視線で貫いていたルーファウスが、背を向けたまま聞く意味に気付かないほどレノは鈍感ではなかった。
自分がここにいる限り、ルーファウスはどんなに辛くてもそれを表に出すことができない。
だから、できるだけ簡潔に報告をすませ、速やかに退出する。
それが唯一、今自分がルーファウスに対してできることだと分かっていた。
その足が、ルーファウスの待て、という言葉を受けて止まる。
僅かに躊躇うような間隔を空けてルーファウスは決断を下した。
「……捜索は打ち切る」
レノは一瞬何を言われたか理解できず硬直し、ついで頭が働き出すと平静の仮面をかなぐり捨てて詰め寄った。
「なっ……なに言ってんだよ!」
ずかずかと足音も荒く距離を詰めると、いまだ背を向けたままの肩に手をかけて無理やり振り向かせる。
──社長に対して無礼? 知ったことか!
「あんたはそれで諦めきれんのか? 死体が出たわけじゃねぇ、手前ぇの目で確かめたわけでもねぇのに!」
普段見ることのないレノの剣幕に驚いて、ルーファウスは一瞬言葉に詰まる。
だがさすがにすぐに表情を取り繕うと、努めて感情を表さないように言葉を繋いだ。
「もうそんなことをしていられる状況ではない。メテオが発動し、ヒュージマテリアによる爆破も失敗に終わった。このまま回避できなければ、この星そのものが壊滅的打撃を被る。現状の最優先事項はメテオの回避――それ以外のことはすべて二の次だ。ツォンを失うことは私にとっても多大な損失だが、一個人の命と世界を秤にかけるわけにもいくまい?」
それはどこからどう見てもなんら常と変わらない、冷徹な社長の姿そのものだった。
レノはルーファウスの肩を掴んだまま、胸倉を掴み上げて締め上げたい衝動に辛うじて耐える。
ルーファウスの言っていることは正しい。間違いなく正論だ。
確かにツォンを助けたところで世界が滅びたのでは意味がないだろう。心中をするために生き長らえさせるようなものだ。
だが、それでもレノはルーファウスの言い分が気に入らなかった。
いや、言い分ではない。
なんでもないことのように振舞う、その態度が。
本当にただの手駒として切り捨てられるならそれもいいだろう。
だがレノは、ルーファウスが決して世間で言われるほど冷血ではない事を知っている。
ツォンを案じて、ろくに眠れぬ夜を過ごしているのも、食事が喉を通らず点滴を打って辛うじて職務についていることも……弱音を吐くどころか決して言動から悟らせることもないが、社長直属のタークスの、しかも主任の代行と言うことで医療部から注意が必要との報告を受けていた。
それを決して人前では出せないために、休まるときも場所もないのだ。ほんの一時たりとも。
それを提供するのは、ツォンの役目だったのだから。
ルーファウスにとってツォンは、ただ有能だから惜しいというだけの存在ではないはずだ。
このままでは世界が終わるにしろ救えるにしろ、それまでルーファウス自身がもたない。
世界を救うために自身にとってかけがえのない者を犠牲にする覚悟をしておきながら、その時までもたないようでは、それこそ無意味ではないか。
今まではまだよかった。
ツォンを助けたいという思いと、実際の行動は同じ方向を向いていたから。
だが今度は違う。
助けたい、せめてなにか確証が得られるまでは探し続けたいと思いながら、それを止めざるを得ない。
なお厄介なのは、ルーファウス本人はそれに耐えられると思っていることだ。
世界を救うための手立てを持つルーファウスは、倒れかけている。ルーファウスを支えることができるのはツォンしかいないが、しかしツォンは世界を救うために見捨てられる。
まるで互いの鍵を入れたまま閉じた、二つの箱のようだ。
どうすれば、ルーファウスにそれを伝えられるのだろう。
否、それさえできないその理由を、レノは問うまでもなく知っている。
そう、自分が言ったところで聞くはずがない。
なぜなら、この孤独な支配者は、そうして心に触れることもツォンにしか許さなかったのだから。
共犯はたった一人の腹心のみ――誇り高く冷徹な独裁者を演じきるために。それは確かに効率的ではあったが、同時に酷く脆いシステムだった。たった一つのパーツが無くなるだけで立ち行かなくなってしまう。あまつさえそのパーツには替えが無いと来ている。
仕事は代行できても、肝心な事で代わりが効かない。
──誰にも、あんたの代わりはできないんだぞ、と……
レノは無力な己に内心自嘲した。
睨み合いは当事者にはずいぶん長く感じられたが、実際には長くても2〜3分のことだったろう。
自分を睨みつけたまま何も言わないレノに、ルーファウスは無表情もそのままに次の指令を下した。
「タークスはアバランチの連中と渡り合える貴重な戦力だ。遊ばせておくわけにはいかない。これまでこちらの対応策はことごとく連中に妨害され、失敗に終わっている。今度こそ、失敗は許されない。魔晄キャノンを撃つ為に、それを妨害させないために……タークスの総力を持ってテロリストを殲滅しろ。捕らえる必要はない。手段も問わん。見つけ次第殺せ」
レノはルーファウスの肩から手を離すと小さく息を吐いた。
「……分かった、タークスは全力でテロリストを追い、始末するぞ、と」
さっきまでの様子が嘘のように、いつもの軽い調子で肩をすくめて見せるレノにルーファウスが訝しげな視線を向ける。
「その代わりっちゃぁなんだけど、一般兵一個中隊……いや、この際小隊でもいい。捜索、続けてくれ。俺たちにとっても主任は大切な人なんだぞ。全面打ち切りなんて言ったらイリーナが泣いちまう。それに、心残りがあると、身がはいらないぞ、と。」
「……分かっているとは思うが、君達がテロリストを始末するのは職務の内であって、私に何らかの要求をする権利はないのだが……?」
「あ、そ。んじゃ俺、今辞表書く。んで主任探すからな、と」
ルーファウスの目が剣呑な光を浮かべてすぅっと細められる。
「ほぅ……私を脅すつもりか?」
そこらの平社員はおろか重役でも震え上がってひれ伏す氷のような視線を受けても、レノはけらけらと笑い飛ばす。
「脅しになってねぇって。社長が探してくれないんなら自力で探すしかねぇし、仕事があるからダメだってんなら辞めるしかねぇじゃん?」
確かに筋は通っている。ただの屁理屈とも言うが、ルーファウスにはレノが何を考えているのか分かった気がした。
「……まあいいだろう、一般兵ならどのみちウェポンやセフィロスにまともにぶつけるわけにはいかないからな。こちらの作業に支障をきたさない範囲で、捜索に当てる。ツォンがいない上に、お前まで抜けたのでは、話にならない」
自分がそうしたいわけではない、レノを引き止める為に必要なのだという言い訳が成り立ったことに、ルーファウスは安堵する。
しかしそのまま引き下がるのが癪だったのか、じろりとレノを睨めつけると幹部以上しか知り得ないタークスの機密を口にした。
「だがお前、簡単に言うが、辞めるのは……」
「……戸籍のことかな、と? ま、犯罪歴も綺麗さっぱり、と思えばすっきりしてるくらいだぞ、と」
「…………」
タークスは対外的には少数精鋭のエリートとされているが、元来、表沙汰にできない汚れ仕事を請け負ってきた部署で、その性質上通常の社員が異動で配置されることはなく、外部からの引き抜きという形を取ってきた。
ただし、それすらあくまでも表向きの説明に過ぎない。
実際には死刑判決を受けた犯罪者や戦犯など処分されることが決まっている者の中で、性質が御しやすく適性に優れた者を教育――場合によっては洗脳――するのが慣例だった。
稀に街中から拾われることがあっても、大概は自殺や事故死として処理されてから配属される。
彼らには戸籍がない。既に死んだことになっているのだから当然だ。
存在しない者は指名手配もできないし、裁けない。
それを逆手にとっているわけだ。
神羅の中にしか居場所がなく、それゆえ逃れることも辞める事もできない。
彼らの身分を保証してくれるものは、今となっては神羅の社員証しかないのだから。
外の世界では存在できない、生ける亡者の戦闘集団、タークス。
それが、エリートと呼ばれる彼らの実態だった。
実のところ先ほどレノが辞めると言ったのは、タークスのそういった事情を考えれば最初から本気ではないと考えるのが妥当である。ましてタークスはその任務上、重要機密に触れる機会も多い。プレジデントが社長だった頃に言おうものなら即刻処分されていたに違いない。
ルーファウスを動かすための方便とは言え、いかにレノでもそう簡単に言える言葉ではなかったはずだ。ルーファウスがプレジデントと同じ決定を下さないという保証は無かったのだから。いやむしろ、躊躇う事なく処分すると判断するだろう。
「でもま、実際のところ、生きて神羅は出らんねぇだろうな、俺は」
まるでルーファウスの考えが聞こえていたかのようなタイミングで呟いたレノの声に、はっと我に返る。決して責めているわけではない、冗談のような口調。その中に、気遣うような声音すら含んでいた。
これが彼の優しさだと知っている。不器用なところがツォンと似ていると思う。
ルーファウスは若干躊躇ったあと、こんな話題になったついでだからと良い訳のように呟いて、卓上のメモ用紙に数行、何かを書いて差し出した。
「なんだ、これ?」
ぴらぴらと指で弄びつつメモを見ると、どこかの住所のようだ。
「私にもしものことがあったら、ルードとそこに行け。……ツォンにしか言ってなかったが、今はお前が主任代行だからな」
「もしも、ってのは感心しねぇけど。で、なんなんだ?」
「……退職金代わり、かな」
「ああ、そうか。神羅が無くなったら機密保持も必要無いわけだ、と……イリーナはハブか?」
「彼女には正社員として十分な保証がある。私が死んだ後、代わりに立てる者がいない以上神羅は瓦解するだろうが、それでも残った者が残務整理くらいするだろう。社員への保証も含めてだ。だがタークスは違う」
「……なるほどね、と」
レノはメモを無造作にポケットに突っ込む。
これは恐らく、ツォンのために密かに用意されたものだったのだと、レノは確信した。もしも、万に一つにも自分が先に死んだ場合に備えて──恐らくは、どこかの田舎の家で、静かに暮せるようにと。
決して口に出すことのないルーファウスの本心を、レノはそこに垣間見た気がした。それで十分だと、そう思う。
「じゃ、テロリスト始末、行ってくるぞ、と」
「頼んだぞ。期待している」
そのままドアを出ようとしていたレノが、ふと振り返った。
「なあ、ぼっちゃん。ひとつ聞いていいかな?と」
「社長と呼べ、と言っているだろう。……なんだ?」
「なんでそんなに世界を救うのに熱心なんだ? 正義の味方ってガラじゃねぇだろ? 恐怖政治と救世主ってのは、合わない気がするぞ、と」
珍しく言葉を選ぶように、首を傾げつつそう訊ねたレノに、ルーファウスは即答した。
「義務だからだ」
なんの迷いも気負いもなくそう言い切ったルーファウスにきょとんとした目を向けていると、ルーファウスは窓の外に視線を戻し、眼下にミッドガルの街を見下ろして少し補足した。
「救世主など気取っているわけではない。ここに立つ以上、支配下の全ての地に、そしてそこに暮す民に責任を負う。それは副社長として社に入ったとき……いや、私が産まれた時から決まっていたことだ」
それがよほど意外な答えだったのか、レノはぽりぽりと頭を掻きながら呟く。
「俺はまた、てっきりツォンさんがそう望むから、とか、そういう理由かと思ってたぞ、と」
「そうだな……ツォンもそう望むのだろうな」
ルーファウスはふっと寂しげな微笑を浮かべた。常日頃、表情を極力表に出さないようにしているルーファウスには珍しく。
「……んじゃま、ツォンさん失望させないように、がんばれよ、と。大事な大事なおぼっちゃまが栄養失調なんかで倒れた日にゃ、失望どころか世を儚んで自殺すっぞ、あの人」
見てはいけないものを見てしまったような気まずさを感じて、レノは軽口をまくし立てるように言い置いて足早に立ち去った。
だから、ルーファウスの漏らした身を切るような呟きは、誰にも聞かれずに済んだ。
「失望なんかさせないさ……なぁ、ツォン? ……これで、いいんだろう?」
誰もいない社長室。
常に背後を守っていた男の姿は、今はない。
ルーファウスは窓ガラスに手をつき、額を押し付けるように俯いて目を瞑る。
居るはずのない者の気配を求めて。
「私は、義務を果たす──お前が居なくとも」
頬を濡らす涙に気付く者も、拭う者もなく──
──それはただ静かに流れ落ちた。
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