戴冠 〜the pawn queens


 要塞都市、ジュノン。
 神羅の政治的、経済的な拠点がミッドガルであるとすれば、ここジュノンは軍事的な拠点である。軍に関する施設はこの街に集まっており、兵士の宿舎や訓練所から、果ては兵器の研究開発施設までがひしめいている。兵器会社からここまでのし上がっただけあって神羅の開発力は他の追随を許さず、豊富な資金力をバックに陸海空軍どれをとっても世界最強の名をほしいままにしていた。他国の垂涎の的である機密を扱っていることもあって、ミッドガルとは比べものにならない警戒態勢が常に維持されていることでも知られている。
 その無骨な街が、ここ数日で見違えるほど華やかに彩られていた。神羅の新しい社長、ルーファウスの就任式典が行われるためだ。飾り気のないビルにはルーファウスの名を染め抜いた鮮やかな真紅の垂れ幕が下がり、旗が翻る。街に漏れ聞こえる行進曲はこの式典のために作曲されたものだが、先代が急死したために十分な準備期間がなく、楽隊が懸命に練習しているところだった。

 就任式典がジュノンで行われることになったのには、二つ理由がある。
 一つには警備が容易であること。軍事拠点であるジュノンは、住民のほとんどが神羅の兵士、社員とその家族である。僅かに個人経営の店舗の者もいるが、直接ではなくとも兵士や社員を対象とする商売をしている以上、神羅の恩恵に預かっていることに変わりはない。雑多な人間が暮らすミッドガルとは違い、反神羅組織と呼べるものがそもそも存在しない街なのだ。式典の時だけ入り込もうとしても、その辺りの小国の入国審査を遙かに凌ぐ厳重なチェックがある。狙撃そのものではなく、狙撃手の侵入を阻止する。それが可能なのがジュノンが候補に挙がった最大の理由だった。
 もう一つは、ルーファウス自身の希望である。ルーファウスは副社長就任以来、ずっとジュノンに出張していた。ジュノンはミッドガルに次ぐ重要拠点であるため、副社長が常駐して監督するべきであるとプレジデントに命じられたのだ。とはいえ、軍務経験のない者に口を出せるはずもなく、誰もがただのお飾りだと思っていた。副社長というポストはルーファウスが就任するまでは存在せず、跡取りという意味合いで与えたはいいものの置き場に困ったのだろうという噂もあり、体のいい厄介払いをしたのだと言う者さえいた。しかしルーファウスは飾り物では終わらなかった。持ち前のカリスマ性を余すところなく発揮し、さらにはあらゆる手を尽くして数年のうちに軍部を掌握してみせたのだ。初めのうちこそ苦労知らずのおぼっちゃまと侮っていた軍人たちも、今ではハイデッガーよりもルーファウスを指揮官として認めている。ルーファウスにしたところで、都合の悪いことは全て神羅のせいにして不平不満ばかりを漏らすミッドガルの市民よりも、自分に従った兵士たちにこそ晴れ姿を見せたいと考えるのは当然と言えた。
 そして何より、金の力ではなく恐怖でもって世界に君臨するという方針を知らしめるのに、これほど効果的な方法はない。逆らう者は武力でもって制圧すると、全世界に向けて発する無言の宣戦布告である。特に終戦以降金食い虫と言われてきたソルジャー達は、ルーファウス率いる新時代に過去の栄光の再来を予感した。


 式典を明日に控え、ルーファウスは自身のマンションでくつろいでいた。
 ミッドガルでは星は地上にしか見えないが、ここジュノンでは天上にも見える。コスタ・デル・ソルやアイシクルの降るほどの星空には及ばないものの、星座を見つけるにはちょうどよいくらいに点々と瞬く。
 魔晄文明を築き上げ、ミッドガルの空から星を消した神羅に生まれながら、ルーファウスは天の星を好んだ。星を見て美しいと思う心など持ち合わせているはずがないと、人は言う。だがルーファウスはジュノンで過ごした幾百もの夜、飽くことなくこの星空を見上げていた。野望の申し子と呼ばれ、徹底して無駄を排除する冷徹ぶりで知られた彼の、知られざる一面である。
 ルーファウスは今夜もブランデーを片手に悠然の銀を愛でていた。風呂上がりにバスローブを纏っただけのしどけない姿で、窓辺の長椅子に身体を伸ばしている。照明は落とされ、窓から差し込む淡い月の光だけが彼の姿を照らし出す。
 その傍らに黒い影が佇んでいた。
 青みがかった室内の闇に溶け込むような濃紺のスーツを着た男は、しかし穏やかな主人とは対照的に厳しい表情を貼り付けている。やがて低く感情を押し殺した声が、沈黙を破った。
「どうしても考え直してはいただけませんか」
「くどいぞ、ツォン」
 ゆったりとくつろいでいるところを邪魔されたルーファウスの声には、意外にも苛立ちは感じられない。仕方ないヤツだ、と呆れているような表情に、日頃は冷静なツォンの方が僅かに声を荒げる。
「冗談で申し上げているわけではありません。警備体制には万全を期しますが、どれほど手を尽くそうと絶対に安全だとは言い切れないのです。せめて移動には通常の防弾車を──」
「そして臆病者との誹りを受けろと言うのか」
 ツォンの言葉を半ばで遮るルーファウスの声は変わらず静かだったが、向けられた視線は鋭い。
 さらに言い募ろうとしたツォンを手で制した。
「それにパレードに使う車には、最新の防弾システムを搭載している。防弾ガラスが張っていないというだけで危険だとは言えまい」
「あれはまだ試験段階の技術です!」
「開発チームはいつでも実用化できると言っていたぞ」
 ルーファウスが言っているのは、これまでのようにガラスや装甲を強化することで銃弾を止めるものではなく、高速で接近する銃弾を感知して電磁バリアを張るという全く新しい防弾システムだ。発砲されてから作動するためにどうしても距離が必要となるが、それも改良を重ねた結果5mにまで縮まっていた。だが、まだ実用化の許可は出ていない。
「あなたご自身が試験運用してどうします?! それもこんな時期に!」
 思わず大きくなってしまった声に恥じるように、決まり悪げにツォンは小さく咳払いをした。
「……とにかく。少しはご自分の立場というものをお考え下さい。今、あなたにもしものことがあれば、何万という社員が路頭に迷うのですよ。プレジデントがご健在の頃と同じおつもりでおられては困ります。常に狙われる立場にいらっしゃるのですから、ご自分の身を案じて下さらなくては」
 元々ルーファウスには自身の安全というものに無頓着なところがあった。警護を嫌がったりわざと外したりということはないが、いなければいないで一人で行動してしまう。一人でいるのが危険だと分からないわけではないだろうに、何度咎めても聞き流して同じ事を繰り返す。先代が殺害された夜のテロリストとの遭遇などは、そのせいで起こったようなものだった。
 ルーファウスはもう副社長ではない。副社長と社長では、暗殺の回数も規模も比べものにならない。現にプレジデントは、あれほどのセキュリティで守られた本社にあって殺されたのだ。あの場合相手が悪かったとも言えるが、どんなに警戒してもしすぎるということはない。まして軽はずみな行動で命を落とすようなことがあってはならないのだと、何故そんな簡単なことを理解してもらえないのか。こんな時、ツォンにはルーファウスの考えていることが分からなくなる。
 だがこれを機に、何としても改めて貰わねばならない。
 不興を買うのは覚悟の上であった。
「立場を考えるのは、お前の方だろう」
 やはりこう来るか、とツォンは切り返しが読み通りだったことに安堵し、次の言葉を探した。
 ルーファウスとの会話は盤上の勝負と似ている。結果的に自分の望み通りに運ぶきっかけとなる一手を、いかにそうと気付かせずに相手に打たせるか。そこまでの読み合いが勝負を決する。その一手を指してしまったら最後、もう流れに逆らえず投了するしかない。これまでのところ、誘導はツォンの方が上手だった。
 ルーファウスは、自分の進言が越権行為だという方向に持っていくつもりだろう。ならばあくまでも警備責任の立場からの意見であることを強調すればいい。
 だが、ツォンが口を開きかけた、まさにそのタイミングを計っていたかのように、ルーファウスがたたみかけた。
「勘違いするなよ、ツォン? 私の身を案じるのは、お前の仕事であって私の仕事じゃない」
 タイミングを逃したあげくに読みを外したツォンは、言おうとした言葉を引っ込めざるを得ずにぐっと詰まる。
 ツォンが誘導ならば、ルーファウスは妙手で相手の読みを外す戦法を得意としていた。散々相手を焦らしておきながら一度動けば考える間もないほど素早く返す、その攻勢への転身も見事なものだ。懸命に劣勢を覆す手を探しているツォンを、ルーファウスは口元に笑みさえ浮かべて楽しそうに見やっている。
 この勝負は、相手が何もしなければ続けて何手でも進められるところがチェスと違う。早く何か返さなければ、このままメイトに持ち込まれてしまう。
「分からないか? 私の仕事はな、ツォン。何があろうと臆せず、顔を上げて衆目に身を晒すことさ」
 爆破テロが起きようとも。
 父親が殺害されようとも。
 身の回りを固めて引き籠もっていてはならない。どんな危険な状況にあっても──いや、だからこそ、民衆の前に姿を現し堂々と受けて立たねばならない。それは、誰に教えられることもなく自然と身につけた、ルーファウスの戦い方だった。
 物心付いた頃からそうして戦ってきた。
 また、そうすることでしか生き残れはしなかった。
 幼い頃から側にいたツォンにも、それは分かっている。それでも、もっと自身を大切にしてほしいと、いつもそう思っていた。今は自分もあの頃とは違う、ルーファウスを守るためにあらゆる手を尽くせるのだから。ルーファウスのためにならば、どれほどの罪を重ねても悔いはしない。決して神羅のためではないと、断言できる。けれど言葉が、心がすれ違うこんな時、疑念が湧くのを止められない。彼は果たしてそれを分かってくれているのだろうか、と。
「ですが……キングを詰められては終わりです。他の駒を捨ててでも守るのが当然でしょう。まだ駒がたくさん残っているのに、わざわざキングを危険に晒す必要はないはずです」
 比喩を受けて、ルーファウスは立ち上がりチェステーブルに寄った。二人がよく指した大理石のチェスセットは、最後に指した状態のまま残っている。ルーファウスが読み負け、悪手を強制されたところで投了した。ここから白が最善の手を尽くしても、7手目の黒の手番でメイトに持ち込める局面だ。
「お前は私がキングだと思っているのか?」
「他に誰がいます?」
 ルーファウスは盤上から駒を取る。
 白のポーン。
 そしてふと、先の挑戦的なものとは趣の異なる微笑を浮かべた。そこに翳りが見えた気がしたのは、差し込む月光の蒼白さのためだけではないだろう。
「キングは……神羅そのものさ。私はただのポーンだった」
 分かるだろう? お前なら。
 肩越しにツォンに投げかけられた視線が、そう語っている。
 言葉で否定することは簡単だった。しかし、ツォンはそれを飲み込む。今の彼をポーンだと思うものは、誰一人としていないだろう。だがそれが事実だったことを、ツォンだけは知っている。
 ルーファウスはブランデーを一口含み、手にしたポーンを自陣から一番遠い位置、8列目の升目に置いた。
「ようやくだ、ツォン。やっとここまで来た。クィーニング・スクエア──ここに今、ようやく立つことができる」
 そこは幼いルーファウスが生き残るために目指した場所。
 同じランクにいた兄弟の、屍の上に据えられた血塗られた玉座。
 今その場所で、彼は生まれ変わろうとしている。迷うことなく、盤上を支配する最強の駒クイーンに。
 ツォンはルーファウスの後ろに立った。背後から手を伸ばしてルーファウスの置いたポーンを取り、そこに既に取り除かれていたルークを逆さにして置く。クイーンの代わりに使われる駒だ。
 そのまま後ろから、そっとルーファウスを抱きしめた。
 ルーファウスはグラスを盤上の空いたスペースに置いて、ツォンに背中を預ける。包み込むように回した腕に、手が添えられた。
「それでも……私にとっては、あなたがキングでした。ずっと」
 まだ湿っている髪の香りを楽しむように、耳元に囁く。くすぐったそうに竦める首筋に、そしてその先の肩にと唇を下ろし、滑らかな肌を覆うパイル地を滑らせた。
「あなた以上に守らなければならないものなど、ありません」
 たとえそれが神羅であろうとも、世界であろうとも、あなたに代わるものではあり得ない。
 込められたその意図に、彼はいつまで気付かぬ振りを続けるのだろうか。
「どうか、守らせて下さい。もう二度と、あなたが傷つけられるのを見たくはありません」
 はだけたバスローブからのぞく肩に、薄紅に残る刀傷。左肩から斜めに脇腹まで走るそれは、守りきれなかった悪夢の具現だ。
「それが……お前の、仕事だろう」
 肩の傷跡を唇で辿っていたツォンには、ルーファウスの表情をうかがい知ることは出来ない。
「お前の邪魔はしないさ。だから私の邪魔もするな。互いの務めを果たそうじゃないか。お前がいつも言っていることだろう?」
 ここぞとばかりに普段の言い訳を持ち出され、逃げ道を絶たれてしまった。ここで否定すれば、二度とこの言葉をルーファウスに対して使えない。これ以上足掻くことの無駄を悟り、ツォンは軽く溜息をついた。
「仕方ありませんね……」
 身体の向きを変えさせて向かい合うと、ルーファウスの方から背に腕を回して身を寄せてくる。勝ち誇ったように笑みを浮かべた唇が寄せられた。触れる直前、温かい吐息を感じる。
「ふふん、たまには無事に帰るのを待つしかできない、私の気分を味わえ」
 柔らかな唇がとどめを刺す。
 チェックメイト。
 ツォンは勝者の望むままに、次のゲームの舞台へと誘った。


 翌日は快晴だった。高く澄んだ空に、祝砲が響き渡る。報道のヘリが上空を旋回し、沿道に集まった住民達も警備に当たる兵士達も、今や遅しと今日の主役を待ちわびていた。
 神羅カンパニージュノン支社正面玄関前には、パレードのための特別仕様のオープンカーが横付けされている。玄関脇にも報道陣が並び、何十台ものカメラが狙いをつけていた。

 ルーファウスはSPを引き連れ、一階ロビーに降り立った。
 扉の手前で立ち止まり、すぐ後ろのツォンにだけ聞こえるように行って来ると告げる。
 ツォンは警備責任者としてここに残り、各所に散っている警備員、監視員の統括指揮を執らねばならない。軍による警備だけならばハイデッガーが行うべきだし、タークスのみなら現場で指示を出すこともできるが、全く性質の違う両者を連携させるには仲介者が必要だった。
「どうか、お気をつけて」
 一歩先に出て二重扉の内側のドアを押さえるツォンに、ルーファウスは不敵に笑ってみせた。
「自分の命が惜しくて、神羅を名乗れるか」
 通り過ぎざまに投げられたあまりにもルーファウスらしい言葉に胸を突かれ、一瞬遅れてその背を見送る。
 ツォンの視線の先で外の扉が開かれた瞬間、眩いフラッシュの閃光がルーファウスを包み込んだ。純白のスーツの裾を翻し、光の波間を颯爽と進む彼の姿は、世界に君臨するに相応しく輝いていた。

──命すら惜しまないのがあなたの往くべき道なら……

 ツォンは無線でパレード開始を配下全員に伝え、踵を返す。高らかに奏でられるファンファーレを背後に聞きながら足早に司令室に向かい、歩きながら細かな指示を出した。
 有事の際には駐屯部隊の作戦司令本部のみならず神羅軍全体の大本営として使われる司令室には、社長、もしくは副社長と治安維持統括のデスクがあるが、ミッドガル本社の執務室とはまるで趣が異なる。各種大型兵器の状態をグラフで映し出す巨大なモニタが壁を埋め尽くし、それらの操作を行う端末が集められていて、支社と名前は付いていても軍事に特化しているのだと声高に主張しているかのようだ。
 司令室に着くとモニタを見上げ、部下から送られる報告を聞きながらあらゆる角度の映像に隈無く目を走らせる。

──何があろうと守り抜くのが、私の道……!

 互いの務めは果たす。
 それぞれの戦場で。



 陽の光に煌めく黄金の宝冠を戴いて、ルーファウスはこの日、名実共に玉座に上り詰めたのだった。





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