死に至る病


 まだ明け方というには早い夜の闇の中で、ルーファウスは弾かれるように身を起こした。
 早鐘のように打つ鼓動、全身を濡らす冷たい汗。口元を手で覆って荒い息を整えながら、夢だったことを悟り、安堵する。
 疲れ果てたような緩慢な動作で視線を巡らし、何も異変がないことを確認したルーファウスは、ぐったりと寝台に沈み込んだ。
 顔の上に手を上げ、白く浮かび上がるそれを見つめる。生々しい感触がまだ残っている気がして、拳を強く握った。

 あの男を、殺す夢を見た。


 情事のさなか、その身体に跨り深く受け入れたまま、指を喉に絡ませる。見上げる彼はこれから命を奪われると気付いているだろうに、全てを受け入れるとでも言うかのように微笑った。
 彼の見た最期の光景は、どんな私だったのだろう。恍惚と笑みでも浮かべていたか。あるいは涙の一つも流したのだろうか。死に往く男の表情からは、どちらとも窺い知ることは出来ない。
 どちらでもいい。それがどんな表情であろうと、私自身に意味はない。ただその男の死に顔が満足したものであること、それで十分だった。
 意識をなくし、力を失った彼の、最後の動き。その鼓動を自分の最も奥深くで感じる、それは、肉体の感じ取る快楽など比べものにならない程の純粋な快楽であり、背徳の幸福だった。
 そう、幸福。
 これが幸せという感覚なのだと、生まれて初めて知った。望み、欲した男から奪い取った温もりで、ずっと満たされなかった心が満たされる。凍りついた心の中に灯された光は、温かかった。彼の温もりの、そのままに。
 幸福の余韻に酔いながら、けれどそれが決して長くは続かないことも知っていた。
 指の先で、唇で、私の中で。
 温もりを失っていくそれは最早、朽ちていくだけの抜け殻に過ぎない。
 時は不可逆の流れ。一つ所に留まることもない。
 どんなに触れても、口吻けても、熱を取り戻すことは二度とないのだ。
 そして私は、幸福の代償を知る。
 息もできないほどに締め付けられる、この胸の苦しみは、癒えることのない病の症状だ。
 幸福を知った瞬間に、既にその病に冒されていたのだろう。


 死に至る病、それは──


──────────絶望



 目を閉じて、深く息を吐く。
 ツォンが欲しい、それが純粋に優秀な部下を欲しているのとは違う欲求だと自覚したのは、つい最近のことだった。
 火照る身体を鎮めようとするたびに、あの男が祖国を失った夜の幻覚が蘇る。
 嫌悪の対象でしかなかったその行為に、初めてそれ以外の何かを感じた。触れて欲しいと思ったのは、彼だけだ。
 彼は私に全てを捧げると誓った。身も心も、その命すらも。
 けれど私は知っている。
 そこに私の望むものはない。
 あの男が私に望んだものは失った祖国。何もかもを捧げることのできる対象にすぎない。
 だから捧げるだけで、何も求めはしないのだ。
 そうと分かっていても欲する心は止められず、いつからか夢に見るようになった。
 実際には知らぬ彼の身体を、なぜああもリアルに感じるのか。自慰で思い描くイメージよりもそれは遙かに現実感を伴っていて、目覚めたあとにも余韻が残った。
 この夢を見るのは、嫌ではなかった。初めて見たときには驚いたが、望むことすら許されない願いを夢という形で昇華しているのだと思えば、悪くはないと思う。誰かを個人として望むことなど、所詮自分に許されはしないのだから。
 だが、今日の夢は違う。こんなことを望んではいない。まして絶望など、誰が望むというのだ。

 それとも、本当は望んでいるのだろうか。
 全てを捧げると言いながら自分の望むことは決してしないあの男から、本当に全てを奪うことを。
 永遠に閉ざされる瞳に、自分の姿を焼き付けることを。
 馬鹿な。
 それではまるで、愛してでもいるかのようだ。
 何を愛と呼ぶか、その定義すら知りはしない私に、そんな感情があるはずがないというのに。

 ……だがもしも。
 もしも、それが愛なのだとしたならば。
 私はたった一瞬の幸福のために永劫の絶望を負ってもいいとさえ思えるだろう。
 たかが私情ごときのために利用価値のある駒を何の見返りもなく殺せたならば、私はお前を愛していると証明できる。
 逆に言えば、惜しむうちは、血迷ってはいないのだ。


 死に至る病。それが絶望だというのなら。
 それは、愛と等しい。

Quod Erat Demonstrandum.




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