そ よ 風 の 小 径

第18回  芳しきユリの季節に  (2009年 8月 2日)

  梅雨明けをせずに8月に入りましたがこの季節、街を歩いていてはっとするほど美しいユリに出会うことが

 あります。まさに莟をほどいたばかりのユリのほほ笑みは、思わず足を止めて見入ってしまうほどの魅力に

 溢れています。

  けれど、私の絵にユリの花が登場することはほとんどありません。なぜか。苦手だからにほかなりません。

  ものの本によれば、三角を二つダブらせて描くイメージで描けば良いと解説されています。うーん、それは

 分かるのですが、どうしてもバランスが巧くとれないのです。

  毎年この時期になると否応なくユリが目に止まるので、スケッチをするのですが、なかなか作品作りまでに

 ゆきつかないのです。そうこうするうち次の主役が登場して、気持ちはそちらの方に移ろってゆきます。

  今年も多分同じことになりそうだな、と頭の隅の方で考えながらカサブランカをスケッチしているのですが・・

 花の水彩画教室に出掛けた折のこと。いつも庭

の花を持ってきてくださるAさんが、これはもう見事

としか形容のできない立派なユリを届けてくれまし

た。花をいただくのはどんなときでも嬉しいもので

すが、今朝咲いたばかりと思われる丹精込めた

花をすぱっと切るのは相当の勇気がいることで

しょう。そんな気持ちを率直に伝えるとAさんは大

きな瞳をさらに大きく見開いてこう言うのです。

  「私はこの教室に入って5年になるけど、まだ一度もユリのお手本に出会っていない。」

  そうです。花の水彩画教室では毎回私が用意したお手本をもとに創作が進められてゆくので、お手本に

 登場しない花というのは各自で工夫するしかないのでした。

  「ユリが描きたい。」とAさんは断言しました。分かりました、と応えながら密かにため息をついた私でした。

  どうやらこの夏は、本腰でユリと対峙するしかないようです。そういえばユリが苦手な理由のひとつはあの

 強烈なにおいによるものと思われます。

  においをワープロで変換すると匂い、の他に臭いとなります。むせかえる芳香は時に過剰な臭いとして生

 身の体には堪えます。かねがね私はユリの香は思考力を停滞させるものとして苦手なのです。どうやらそ

 ういう向きは一般的なもののようで、だからこそお見舞いの花束から外され、飲食の席でも外されてしまう

 のでしょう。

  それならば、と茨城県つくば市の花き研究所が、ユリの香りを抑える技術を編み出した、と7月5日付け

 の朝日新聞天声人語で紹介していました。その記事によると、においの生成を妨げる薬剤を水に溶かし

 て莟段階の切り花に吸わせる。こうして咲かせた花のにおい成分は、通常の8分の1、人がほぼ感じな

 い程度に収まったといいます。

  山道を散策していてふっと山ユリの芳香に包まれるのは素敵ですが、狭い部屋の中でむせ返りながら

 カサブランカをスケッチする図はいただけません。香りを抑える技術はまさに朗報ですね。

  後はこの魅力的な花のほほ笑みを、どんなふうに白い画紙の上に表すかです。
   

新エッセイの部屋一覧へ
トップページへ戻る
そよ風の小径へ