四国の民家

文化財指定の民家

木村家住宅
国指定重要文化財
徳島県東祖谷山村釣井
阿波の国の祖谷地方は、つい最近までは秘境として神秘的な雰囲気を
醸し出していた。平家の落人伝説が残り、険しい山間部の傾斜面に
へばりつくように集落が点在する。しかし最近は道路事情もよくなり、
観光地化が進んでいく。それにつれ私の心がだんだんと遠ざかっていく。
木村家は、きちんとした民家で端正である。脇には大きな銀杏の木が
あり、静かでもある。このまま時が止まって欲しいと願うのは傲慢か。
小采家住宅
国指定重要文化財
徳島県三好郡東祖谷山村菅生
この家も、木村家の更に奥に入ったところに所在するが、残念ながら
移築されたものである。都会ではいざ知らず、このような田舎でも
古くなって用済みのものは、移転を余儀なくされるのか。
先の木村家でも見られるが、家の正面の屋根付きの出っ張りは厠で
ある。家の顔とも言うべき場所に便所があるなんて今の建築では考え
られないのではないかと思う。この辺りが平地の少ない山間部で生活
していくことの厳格さを教えてくれる。
三木家住宅
国指定重要文化財
徳島県美馬郡木屋平村貢
山間部にありながら、大きく、かつ古い民家らしい。(17世紀中頃築)
ただし、外観を見ている限りでは、古さはわからない。
中世の山岳武士の系譜を引き、江戸時代には庄屋を勤めたという
ことで、一般の農家と比較して先進的な側面があったためであるとの
ことだが、果たして本当か。
このような山奥で、家格の差=技術の差につながるものだろうかとなどと
思いながらも、いい家であることは確かだ。

長岡家住宅
国指定重要文化財
徳島県美馬郡脇町猪尻
卯建の町並として、すっかり有名になった脇町中心部の北に小高い
鎮守森がある。その境内に移築されている。
外観は開口部が少なくとても古い民家に見えるが、実はそうでもない。
江戸の中期頃の建築である。板戸の前に縁側のようなものがみえるが
作り付けのものではなく実際は床几のようなものである。
民家における縁側の発展経過をみる思いであるが、実際は地域性に
よる手法の違いなのだろう。
福永家住宅
国指定重要文化財
徳島県鳴門市鳴門町高島
鳴門といえば、渦潮と鯛が有名であるが、江戸時代には塩の生産も
盛んであったらしい。瀬戸内の旧塩田地帯には、塩田経営で財を
なした豪家が今も数件残っているが、これらの家々は大地主・資本家。
実際に塩を作っていた家はほとんど残っておらず、ましてや生産施設
までも残す家は当家ぐらいであろう。
潮焼けした高石垣で造成された敷地には、屋根を何層にも分けて葺き
下ろした母屋や煙突、釜屋などの建物が所狭しと詰まっている。

田中家住宅
国指定重要文化財
徳島県名西郡石井町藍畑
まだ私が民家にあまり興味を持っていなかった頃、札所へ詣でる途中
たまたまこの家と出会いました。
吉野川中流域の青々と広がる草むらの中に石垣を積み上げ、蔵を
堂々と廻らせる、その威容に胸がドキドキしたことを今でも忘れられません。
徳島に残る藍屋敷とよばれる同様の民家の中で、これほどまとまりの
良い家はありません。その後、幾度となく訪れる機会がありましたが
胸のときめきは今もって同じです。

武知家住宅
県指定民俗文化財
徳島県名西郡石井町天神
江戸時代、阿波の国を支えた藍作。染料としての藍は、全国的レベルの
豪商を輩出する素地となった。藍草を栽培するだけでなく、自ら製造・
販売も手掛けることによって、「寝床」と呼ばれる藍の製造蔵に囲まれた
豪壮な屋敷を作り得たのである。
武知家は「石井(地名)の四天王」と言われ、徳島の豪家の中でも常に
上位にランクされ、現在に至るまで屋敷構えを維持している。
「阿波の建て倒れ」と言われた面目を保つ最高の民家である。
いつまでも、そのまま残ってほしい。心から願っています。
奥村家住宅
県指定文化財
徳島県板野郡藍住町徳命
吉野川中流域に広がる藍住町は、その名の通り江戸から明治時代に
かけて染料となる藍の一大生産地でした。現在「藍の館」として公開
されている当家は、大規模な藍作農家として著名な存在でした。
藍作は多大な時間と労力を要するもので、蔵で囲まれた屋敷全体が
生産に必要な空間でした。建築年代が江戸末期の主屋に派手さは
なく、堅実な造りとなっていますが、座敷は時代も下り、贅を凝らした
ものです。徳島の富を支えた藍作を知るには一番の施設です。
阿佐家住宅
県指定文化財
徳島県三好郡東祖谷山村
平家の落人を称する家は、山間部の僻地に行くとよく聞く話であるが、
この家は、平家の赤旗を今に伝え、非常に信憑性が高い。
母屋の真正面に玄関を構え、そこから真っ直ぐに道路までアプローチを
つける姿は高貴である。祖谷の里人と話をすると、いまだに源平で家を
分ける意識がある。800年もの昔が脈々と受け継がれる様は不思議で
ある。家は最近、屋根にトタンを被せたらしい。現代はすべてを流し去って
いこうとしている。

徳善家住宅
村指定文化財
徳島県三好郡西祖谷山村
吉野川を遡って、景勝地として有名な大歩危を間近に控える険しい
山中に所在します。この地域を支配し「土居」と呼ばれた八家のうちの
一軒です。まるで寺の本堂のような規模・外観で小さな家が多い山村に
あって異様な雰囲気に包まれています。
前出の阿佐家や木村家等の上層の家でさえも寄棟造りが一般的な
当地方において、当家は入母屋造りの堂々たる建前です。屋敷周辺に
残る風情等も含めて何か伝説的なものを感じさせてくれる家です。
青木家住宅
登録文化財
徳島県美馬郡美馬町
徳島には、明治末から大正期にかけての民家が比較的よく残ってる。
おそらくその頃が、この県の一番良いときであったのだろうと思う。
私の印象では、この時期の吉野川流域においては、やたらと母屋の
大きさを競うようなところがあったのではないかと思う。屋敷を構成する
他の建物と比較してやたら母屋だけが立派なのである。
青木家は、その代表選手みたいな存在であるが、ついでに言わせて
もらうと若干センスが悪いのは辺鄙さの故か。

高橋家住宅
登録文化財
徳島県徳島市南矢三町
徳島市内でも郊外にいくと、こんな家がまだ残っているのだ。
藍作農家としては、中規模程度の家であるが、とても整然としている。
私の印象では徳島の人間は田舎くさい人が多いが、家は実にセンスが
良い。不思議なものだ。昔はもっと大らかだったのかも知れない。
また家の土台となる敷石に青石というエメラルド色の石が使われることが
多いが、これが実に美しい。阿波の国は素材にも恵まれている。

小比賀家住宅
国指定重要文化財
香川県高松市御厩町
香川県の民家は、徳島県の民家と比較して屋根の形がよく似ています。
けれど土壁を多用し、開口部が少ないような気がします。
そのためでしょうか、大規模な大庄屋屋敷として著名な当家ですが、
どことなく暗い印象があるのです。
徳島県の中でも鄙とされる吉野川上流域の民家と雰囲気が似ています。
式台玄関は、建築当初には無かったらしく、もっと地味な感じだったの
でしょう。けれど私は決してこの家が嫌いではありません。

細川家住宅
国指定重要文化財
香川県大川郡長尾町多和
この家は、ひっそりと建っている。
香川県と徳島県の県境に近い山中に、本当に目立たずに在る。
家の中に入って、びっくりする。土座がある。
土間に筵を敷いて居間としているが、隣接する寝間もまたひどく閉鎖的
な空間で床は竹スノコとなっている。
一般の農家は、こんな暮らしをしていたかと愕然とするくらい古式である。
けれども、なぜだか穏やかな心地にさせてくれる良い家である。
猪熊家住宅
県指定重要文化財
香川県白鳥町
この家は、建物そのものよりも家の来歴が素晴らしい。
京都の神祇官に仕えた卜部家を祖先に持ち、讃岐藩主松平家の招聘で
白鳥神社の神官として移住してきたらしく、国宝の肥前国風土記などを
残す名家である。讃岐藩主だけでなく、阿波藩主蜂須賀家とも姻戚関係
を持つとのことで、屋敷を構成する四脚門や長屋門は並大抵ではない。
惜しむらくは、母屋の内部は資料館と化しており、家の風情をじっくりと
堪能できないことである。

豊島家住宅
国指定重要文化財
愛媛県松山市井門
松山の中心部から放射線状に広がるバイパスから一歩脇に入れば、
いまもまだ農村風景がしっかりと残されている。
低く積んだ石垣に白壁の練塀が廻され、その向こうにいわゆる
「八つ棟造り」と称する複雑に交わる大屋根が辺りを圧倒している。
実は私が旧家とは、こういう家のことなんだと初めて思ったのは、この家
です。現地にいけない人は千葉の国立民俗歴史博物館に、この家の
建築模型があります。これを見ているだけでも満足かも。
渡部家住宅
国指定重要文化財
愛媛県松山市東方町
土間に入ると伊予銀行頭取だった御当主の遺影が飾られている。
「素晴らしい人物は素晴らしい家とともにある。」などと、もっともらしい
ことを考えてみるが、実は家の主人のことなどまったく知らないのだ。
江戸時代末期の建築であるが、農村部でこれだけ端正な佇まいを
している家は当時としてはあまりなかったのではないか。
家の形容として真面目という言葉が適当かどうかわからないが、
そんな感じの家である。
真鍋家住宅
国指定重要文化財
愛媛県川之江市
愛媛県と香川県の県境の山深い傾斜地に所在する。平家の落人伝説
も残る集落で、徳島県の祖谷地方から更に逃れてきたという。
当家は従来からの場所に、そのまま現在も残されているが、家に対する
家人の愛着が伝わってくるようなモノを感じさせてくれる。
部屋の囲炉裏では常時、火が炊かれ、天井の梁なども煙に燻されて
黒光りしている。
規模は決して大きくは無いが、良い具合に保たれている。


山中家住宅
国指定重要文化財
愛媛県上浮穴郡美川村上黒岩
この家は元々は銅山で有名な別子村に所在していたものを移築保存
したものである。松山と高知を結ぶ国道の脇に所在している。
この家は土間が無いことが最大の特徴で、別棟で土間=台所が設け
られていたのか、最初から無かったのかは不明である。
しかし開放的な造りをしており、家の中へは縁側のどこからでも出入り
できるので土間の出入口としての役割は必要としていなかっただろう。
山間部にあるので本当は暖かい土座が欲しいところではある。
本芳我家住宅
国指定重要文化財
愛媛県喜多郡内子町
今でこそ人々の記憶には無いが、昔の内子は蝋の生産で大いに栄えた
らしい。それを代表するのが当家で、後掲の上芳我家を含めた一族の
本家として今に豪壮な屋敷を残している。漆喰細工を随所に施した主屋
は、伝統的な町屋が数多く残る内子の町にあっても特異な存在である。
日本の町屋を代表する一軒だと思う。
上芳我家住宅
国指定重要文化財
愛媛県喜多郡内子町
何色といったらよいのだろうか、「卵色」、「クリーム色」、「蜜柑色」?
土壁の色のことである。とにかく、明るく、穏やかな色である。
この地域の人情も同様である。暖かい。
和蝋燭の産地として名高い内子を代表する豪商の住まいである。
櫨の実摘みから始まる蝋燭作りは、決して生易しい労働ではなかった
のだろうと思うが、この家のもつ明るい雰囲気からは、そんな過酷な
様子など微塵も感じられない。
大村家住宅
国指定文化財
愛媛県喜多郡内子町
伝統的建造物群保存地区に選定されている内子の町並には三軒の
重文民家が存在する。うち二軒は前出の蝋生産で財を成した芳我一族
のもので、残る一軒が当家である。はっきり言って少し寂しい。
あまりにも家の規模が違いすぎるからだ。普通の町中にあれば、当家も
それなりの家であるのだが、場所が悪かった。ただ内子の中にあっては
建築年代が古く(外観上そうは見えないが)、蝋生産で活況を呈す前の
建物で貴重ということである。観光と学術上の価値の差が出ているのか。
久門家住宅
県指定史跡
愛媛県西条市中野
当家の建つ場所は、南北朝時代にはこの地を治めていた河野氏の
出城であった。「土居構」という土豪の居館跡ということで史跡に指定
されている。石鎚山に端を発する加茂川が平野部で大きく蛇行する
馬蹄形の田園の中に小高い丘状の林がある。周囲を石垣で囲み
土豪の居館らしい風情を今に残している。
当家については井上書院刊「民家ロマンチック街道」に詳しく掲載されている。
毛利家住宅
町指定文化財
愛媛県三間町
以前訪れたときは屋根はトタンで覆われていましたが、茅屋根に
葺き戻されていました。本来の姿に戻ったことで家全体が生き返った
かのようである。
この地方の旧家は母屋よりもむしろ長屋門の大きさを誇るような傾向が
見て取れるが、その中にあって鍵型をした大規模な母屋は珍しい存在。
また谷間の地形をうまく利用して階段状に建物を配置した屋敷構成は、
まるで砦のようである。
土居家住宅
町指定文化財
愛媛県野村町惣川
「すごい、すごい」と連呼しながら写真を撮ったのは数年前。
今は修復されて、人の住まない家になってしまいました。
時は止められないのは十分に承知しているが、できることならば、
ずっとこのままでいられなかったのだろうか。
集落の入口に立ったときに、家並みの奥に聳える茅屋根が山のように
見え、一瞬何があるのかわからなかった最初の出会いが懐かしい。

大野家住宅
登録文化財
愛媛県大洲市菅田町宇津
かれこれ8年ぐらいになるだろうか。大洲に良い家はないかと車を
あてもなく走らせていたときに、たまたま出会ったのは・・・。
石垣を高く積み上げ、大規模な長屋門を構える姿は、ただならぬ家で
あることをいやが上にも感じさせてくれる。残念なことに主屋は失われ
ており、屋敷内は果樹園のようになっていたと記憶している。
平成13年に登録文化財に指定され、大事に残されることを切に願う
次第である。
立川番所
国指定文化財
高知県長岡郡大豊町立川下名
土佐藩は他藩との境界に通行人の監視のため、いくつかの番所を設けた
らしいが、現在に名残を止めるのは当家だけである。
四周を山に囲まれ、鄙びた山村風景が展開する中、巨大な茅葺が目を
見張る。当時の旅人たちも藩の威光を感じながら通行したことであろう。
当家は文化財指定後、修復されたが玄関破風の狐格子(写真・白い三角)
はいただけない。重厚感のある建物に似つかわしくない意匠である。
関川家住宅
国指定文化財
高知県高知市一宮
高知は郷士の屋敷が結構残っている。武家身分でありながら城下に
居住しなかった在地の存在で明治維新にはこうした身分の人たちが
活躍した。関川家は土佐国一ノ宮である土佐神社の近くに所在する。
主屋に対して玄関と座敷を備えた棟を直角に出し、曲屋となっている。
在地にありながら農家的な雰囲気よりも武家屋敷に近いつくりで、他藩
にありがちな農家に限りなく近い郷士とは少し色彩を異にする。
土佐神社もとてもよい建築なので併せて訪ねるとよいだろう。
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