佐々木家住宅 ![]() |
旧所在地・岩手県東磐井郡大東町渋民 建築年代/江戸中期 残存建物/主屋・馬屋 藩政期に葉煙草の栽培に従事したという農家建築である。 仙台藩における煙草栽培は、江戸初期に伊達政宗の命により欧州に派遣された支倉常長が煙草の種子を持ち帰ったことに始まるとされるが、天文年間に鉄砲伝来と共にもたらされた説や慶長年間にキリスト教の伝来と共に西欧諸国からもたらされたとの説もあり定かでない。いずれにせよ、藩政期には宮城県登米郡から岩手県東磐井郡にかけて盛んに栽培されたことは確かで、特に大東町を含む一帯で採れた葉煙草は「東山煙草」の名称で、藩の御料煙草として藩主に献上される程に良質なものであったらしい。葉煙草自身は狼河原(宮城県登米郡東和町米川)から藤沢(岩手県一関市藤沢)に伝わった薩摩系種子なので、鉄砲伝来説が濃厚の様な気がする。東山の名称は仙台領東山地方が起源で、東磐井郡、一関市舞川、平泉町長島、前沢町生母の辺りを指す。仙台領以外では「河原煙草」と呼ばれ、昭和38年には「松川葉」に名称統一されている。(松川は猊鼻渓付近の地名) 東山葉の特徴として火付が良く、高値で取引されたらしい。明治30年には大蔵省専売局千厩葉煙草専売所が建築され、岩手県の葉煙草出荷量は全国上位を占め、県の基幹作物として位置付けられ、県全体で2万7000戸、東磐井地域だけでも6600戸のの葉煙草農家があったとされるが、令和の時代には僅か数十戸程度にまで減少している。 当住宅が所在した渋民は東磐井地域の一画で、JR大船渡線の摺沢駅の北方に所在する中山間地である。東西に流れる砂鉄川近くの南側にあり、主屋、馬屋、便所が細長い敷地に並ぶ三ツ屋形式の小農家であったらしい。寄棟造茅葺平屋建ての主屋は桁行7間、梁間4間半の直家である。 |