吉野家住宅 Yoshino ![]() |
小金井市指定有形文化財 (平成27年4月8日指定) 旧所在地・東京都三鷹市野崎2丁目 建築年代/江戸後期 用途区分/農家(名主) 当住宅は、江戸東京たてもの園の前身、武蔵野郷土館に昭和38年(1963)に移築保存された農家建築である。戦後の高度経済成長に伴って全国的に開発が進み、往古からの農村文化が各地で急速に廃れ始めたことに対応して全国一斉に民家緊急調査が実施されたのが昭和41-42年頃のことなので、それに先立つ形で残されたことの先見の明に感謝するところである。 吉野家は江戸時代には多摩郡野崎村(今の三鷹市野崎)の名主を務めた家柄で、主屋は約200年ほど前の建設にかかるものと伝えられるが定かではない。造平屋建、茅葺寄棟造で、正面に瓦葺切妻破風の式台付玄関を突き出している。桁行11間5寸、梁間4間半、それに玄関・便所等を加えると総面積約60余坪の中規模な建前で、多摩地方における上層農家の好例とされている。内部は整形六間取を基調とし、各室を縁側が取り巻き、全体に開放的な造作であるが、奥座敷や東の間等の接客空間を除けば、意外に土間が占める割合が高いように思われる。一方で建物の規模を考慮したとき、奥座敷等の接客空間の占める割合も高く、その造作は相応に整ったもので、実用と虚栄が交錯する印象を持つ。 当住宅が所在した三鷹市野崎は、蕎麦で有名な深大寺に隣接する神代植物園の北方辺りの平坦地で、相応に宅地化は進みつつあるものの、東京近郊には珍しく今でも畑地や雑木林が残されており、嘗ての武蔵野の風景を留めている。江戸東京たてもの園が発行する解説本によれば、この辺りは尾張徳川家の鷹場になっており、江戸時代中期頃から開発が進んだ土地柄のようであるが、水利に恵まれていなかったため水田は無く、大麦・小麦・粟・稗などが作られていたというから米が主体の経済の時代には、決して恵まれた農村域では無かったと思われる。 【参考】江戸東京建物園 解説本(東京都歴史文化財団発行/平成15年3月31日)・北多摩文化財総合調査報告書(東京都教育委員会発行昭和41年3月) |