三井家住宅
Mitsui



 
旧所在地・東京都港区西麻布3丁目
東京都指定有形文化財
建築年代/昭和27年(1952)
用途区分/実業家
移築建物/主屋・土蔵

日本の近代経済史に名を連ねる三井財閥の惣領家・三井八郎右衛門氏の邸宅を移築したものである。戦災によって東京都港区今井町にあった本邸が焼失したため、昭和27年(1952)に麻布笄町(現在の港区西麻布3丁目)に新築されたもので、私の手元に残る古い某週刊誌の記事によれば、バブル経済末期に往時の当主・三井八郎右衛門高公氏が亡くなられたため、相続税支払のために屋敷が処分されるかもしれない危機が伝えられている。その後に東京を離れて以降、その事も記憶の彼方に追いやられていたが、江戸東京たてもの園に平成5年の開園以来、久しく25年振りに訪れたところ、思いもかけず当建物が移築され保存されてていたため本当に安堵した記憶がある。しかし「天下の」と形容しても障りない三井惣領家でさえも、現地に屋敷を維持できないとは、東京とは本当に恐ろしい所だとも思った次第である。
さて当住宅は、三井家に関連する京都油小路、神奈川県大磯、東京都世田谷区用賀、そして港区今井町にあった別邸・本邸から建築部材や調度、石材や植栽等を集めて整備されたものらしい。主屋は木造及び鉄筋コンクリート造2階建で、入母屋屋根桟瓦葺の近代和風建築である。東面する玄関から内部に入ると広間を経て建物中央軸に中廊下を設えられており、左右に各部屋を配置する中廊下敷と呼ばれる形式を採る。右手(北側)には厨房や配膳室、左手(南側)には客間や食堂が配され、その周囲を入側が廻っている。右手北側はコンクリート造、左手南側は木造となっており、近代的な生活を実現するために合理性を重んじる一面が見て取れる一方、昭和戦後の時期にあっても、伝統と格式を重んじる階層の人々には、客人を迎える一画には、やはり木造書院造というアイコンを建物の内に埋め込む必要があったように思われる。


 

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