川野商店
Kawano



旧所在地・東京都江戸川区南小岩8丁目
建築年代/大正15年(1926)
用途区分/商家(和傘問屋)
小岩は新中川と江戸川に挟まれた中洲のような場所。JR総武本線の小岩駅が最寄りとなる。しかし県外の方には、先の解説では地理的なピンとこないに違いない。小岩に限らず江戸川区全体が平板な河口地帯で周囲に特に際立つモノも見当たらない土地柄なので、寅さんの映画で有名な葛飾柴又の南の方と云ってあげた方が判り良いかもしれない。しかし現在でこそ何の変哲もない住宅街に変貌しているが、嘗ては和傘製造の中心地であったとのことである。時代劇でよく見受けるように江戸末期には幕府の下級家臣達が内職していたため港区青山辺りで盛んだったらしいが、小岩周辺の農家が副業として採り入れたことから明治中頃からその中心地が移り、昭和初期頃までは相当数の製造業者が小岩村を中心に集ったとのことである。「小岩村は傘屋でたつ」とも云われるほどの繁栄振りだったようである。しかし昭和になって洋傘が流入すると和傘は次第に廃れ、昭和30年代には和傘業者は転廃業を余儀なくされ、平成の時代には完全に終焉を迎えたようである。現在では辛うじて和傘製造に用いた道具類が、江戸川区の指定有形文化財となり、江戸川区の郷土資料室に残されるのみとなっている。
当住宅は和傘の製造問屋を営んだ川野商店の建物である。主屋は店舗兼住居となっており、移築前には板蔵と呼ばれる建物が渡廊下を介して付属していたらしい。大正末年の建築ながら、江戸の伝統的な建前を踏襲すると評価されており、それは主棟の両隅を飾る鬼瓦を後方に盛った漆喰で包み込むような技法や2階前面を格子で飾る点などに表れている。切妻造桟瓦葺、木造2階建平入の建物で、建築面積40坪強と規模こそ大きくはないが、江戸地の建物らしく重厚感を感じさせてくれる。
川野商店は明治末に和傘問屋として創業、当初は和傘の材料や製造道具を仕入れ、それを和傘職人に売るとともに職人が作った和傘を買入れ、卸していたが、大正初期頃までには、川野商店自身も製造に乗り出し、職人を抱えていたとのことである。住宅の規模に比して商いの場所となるミセと土間が占める面積割合が小さいのは、和傘の様に、拡げれば場所を必要とする商品を扱っているには不思議なことであるが、店頭で商品を小売りする形態とは異なる卸商であった故のことだろうか。


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