青山家住宅
Aoyama



 
旧所在地・北海道小樽市祝津3丁目
建築年代/主屋(大正8年)・蔵(明治20年代)
移築建物/主屋・米倉・文庫倉・一番倉・二番倉・板倉

青山家は、安政6年(1859)山形から北海道に渡り、大正年間の最盛期には小樽市祝津沿岸に直営8ヶ統、共同5ヶ統の13ヶ統、雄冬沿岸に直営5ヶ統、の合わせて計18ヶ統の鰊建網を経営した。また所有建物も祝津だけでも漁具や肴用の保管倉などを中心に大小100余棟を数えたと記録されている。、建網1ヶ統で働く漁夫は25~30人程で、1日に消費する米は約3斗(約45kg)に及んだという。そのため漁場で働く漁夫の食糧調達に、当家は比布村に129町歩の小作農場を持ち、そこから生産される年間1200俵程(1俵=4斗=60kg)の小作米を小樽まで貨車で運び、附属する米倉に収納した。
鰊漁業が衰退し始めた昭和初年からはタラ、スケソウ延縄、イワシ流網の沖合漁業へと進出した他、一時は缶詰製造なども行った。
現在の主屋は明治20年代に建てた建物が焼失したため、大正8年に再建したもので、正面に2つの玄関を持ち、向って右は主人(親方)の専用であった。内部は正面から右手が主人家族の居住部分で畳敷の部屋が連なり、左手は中央のニワ(土間)を境に板敷の漁夫の居住部分で、コの字型にネダイ(寝台)が廻り、ネダイと板の間の間には細い通路がある。屋根頂部には、かまどや炉の煙出しが付いている。小屋組みは様式となる。
                          (北海道開拓記念館編集「北海道開拓の村ガイド」より一部を編集)




 

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