富田家住宅
Tomita



 
岐阜県指定文化財 (昭和50年7月17日指定)
旧所在地・岐阜県飛騨市神岡町杉山
建築年代/江戸時代末期
建築規模/桁行14.4m 梁間8.2m 二階建 茅葺 入母屋造

旧富田家は、江戸時代末期に飛騨市神岡町杉山の越中東街道筋に建てられました。明治を迎えるまで代々、茂住鉱山の仕送り人として荷物輸送牛馬の中継所としての商売を営んでいました。家の構造はいわゆるチョウナ造りで、中央部分の居住空間を高く抜いて、右側に中二階を設けた茅葺入母屋造という飛騨地方北部の建築様式を色濃く伝えています。家の正面は旅人が休息できるように縁を設け、入口の横には問屋らしく帳場も置かれていました。(飛騨民俗村発行「飛騨の里物語」より抜粋)

江戸時代の飛騨北部は、神岡鉱山を始めとする有名な鉱山地域でした。旧富田家住宅は、飛騨地方と富山を結ぶ越中東街道沿いにあり、神岡鉱山より北にある茂住鉱山の仕送人として荷物や牛馬の中継を営んでいました。当時の富田家には、主屋の裏に離れ屋、土蔵などが庭を隔てて建っており、他に物置、便所などが点在する広い屋敷を塀で囲んだものでした。
一見、農家の建前ですが、人の出入りが多い商売を営んでいただけあって、玄関から「とじ」に入った左手には帳場を置いたり、家の前側には幅2尺程の縁側を設けて、店に立ち寄る旅人たちが腰を掛けて休めるようになっていました。
旧富田家住宅の構造は手斧のように曲がった梁を利用したチョウナ造と呼ばれるものです。中央部分の居住空間を高く抜いて、右側に中2階を設けた茅葺入母屋造という飛騨地方北部の建築様式を色濃く伝えています。
外観をよく見てみると、とんがり帽子で妻側の屋根が急な旧道上家に対して、旧富田家はなだらかな屋根で、破風も小さいものです。これは養蚕を営む空間が必要だった旧道上家と、その必要が無かった旧富田家のそれぞれの事情が反映されています。
家族の暮らしの中心は、板の間に囲炉裏のある「オエ」と呼ばれる大広間でした。畳敷きの「デイ」が居室部となり、反対側に作業場であり炊事場でもあった「ニワ」と、馬を繋いだ「マヤ」がある、という3つの構成になっています。こうした間取りは、旧富田家のあった飛騨市神岡町をはじめ北飛騨の宮川流域や神通川上流の富山県婦負郡にも多く見られました。【現地解説文より一部改編】






 

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