旧田中家住宅
Tanaka



 
国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定)
旧所在地・岐阜県高山市冬頭町982番地
建築年代/江戸時代中期
建築規模/桁行12.1m 梁間10.9m 榑葺 切妻造

田中家は高山市冬頭町にありました。元禄の末頃(1700年頃)に三枝郷中切村(高山市中切町)に建てられたものを、文化年間(1805年頃)に高山一之町の薬種屋・田中屋の4代目の国学者・田中大秀が庶子の茂七郎を住まわせるための田舎(小作人の仕事振りを視察するための家)として移築したと伝えられています。屋内の平面は土座のオエ(イロリのある居間)を中心に各部屋が囲む広間型の造りとなり、オエはニワ(奥の作業場)に通じ、マヤも含めて板床の少ないことが特色の一つです。建造年代を特定する資料はありませんが、構造様式などから江戸時代中頃の様式とされています。一見粗末な小屋風の住宅ですが、江戸時代中期までの農民の家は専門の大工による造作は一部に限られ、農民自身が自分たちの技術で建てるのが常識でした。釘やカスガイなどを一切使用しないで組み建てで、随時解体して必要な場所に移築できる構造になっていました。(飛騨民俗村発行「飛騨の里物語」より抜粋)



 

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