旧田口家住宅
Taguchi



 
国指定重要文化財 (昭和52年6月27日指定)
旧所在地・岐阜県下呂市金山町卯野原
建築年代/文化6年(1809)
用途区分/名主
指定範囲/主屋・(附)普請文書7冊、旧屋根置石2個
建築規模/桁行25.2m、梁間13.3m 切妻造鉄板葺(当初は榑葺) 二階建 
飛騨と美濃の国境付近の集落に所在し、代々名主を務めたという大型の民家建築である。村の寄り合いなどにも対応できるように、部屋数も多く、囲炉裏も長方形の大きなものが2つ、正方形の小さなものが1つ配置されている。飛騨地方の中でも温暖な地域にあるため、オエとデイに沿って雨戸の外に濡れ縁が廻っており、雪深い地域の民家と比較して開放的な造りとなっている。建築当時は榑葺屋根であっが、移築時には既に鉄板葺となっていた。家の周囲を庇が廻り、主屋背面側の南面に突出部が付属し、味噌部屋として使用された。


旧田口家は、飛騨と美濃との国境に位置する、飛騨地方の中でも温暖な地域の集落に在りました。そのため家の前から右横へ雨戸の外に濡れ縁が廻っており、雪深い地域の民家と比べて開放的な造りとなっています。また間取りや板壁の配置等にも美濃地方の影響を見て取ることができます。
雪の少ない地域から移築したために、「五六豪雪」と呼ばれた昭和56年(1981)の大雪で、約60cmの積雪によって梁が折れてしまいました。当住宅は建築当時は板葺屋根の建物でしたが、同じ飛騨地方の中でも茅葺民家も混在し、地域によっても様式が違います。民家は、それぞれの環境に即して建てられてきたことが実感できます。
田口家には文化6年(1809)に建築された時の普請文書や、文化6年の墨書がある屋根の置石が残されています。これらも併せて文化財に指定されています。
田口家は代々庄屋を務めた大きな農家だったため、村の寄合などに対応できるように部屋数も多く、囲炉裏も長方形の大きなものが2つ、正方形の小さなものが1つ配置されています。入口を入ると広い土間があり、左手には「マヤ」「ウスニワ」、右手には「ダイドコロ」「オエ」と板の間が広がります。
板の間は広大で、多くの人が集まり寄合が開かれた様子が目に浮かびます。板の間の奥には、畳が敷かれた「デイ」や「納戸」、その間には部屋にもなる6畳の畳廊下、そして一段高い仏間があります。
また「納戸」の上には「落し座敷」と呼ばれる隠し部屋があります。何のための部屋かは諸説様々ですが、国境にあることから百姓一揆の首謀者など、お上から逃げている人を匿ったのかもしれません。【現地解説文より一部改編】

田口家は益田郡東村卯野原(現・下呂市金山町卯野原)にあった民家で、代々庄屋を務めた家です。文化6年(1809)に建てられました。桁行25.5m、梁間13.3mという大きな家です。集会所として使用できるように部屋数も多く、囲炉裏を3つ設けています。飛騨最南端の比較的温暖な地にあった当建物は雨戸の外に廊下が巡り、囲炉裏は長方形で南飛騨における民家特有の形態を伝えています。2階は養蚕の為、仕切りをせず、広く使えるようになっています。【現地案内看板より】

 

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