三島家住宅
Mishima



 
岐阜県指定重要文化財 (昭和47年12月13日指定)
旧所在地・岐阜県荘川村大字一色字川原73番地
建築年代/宝暦13年(1763)
用途区分/農家
指定範囲/主屋

白川郷一色村(現在の荘川町一色)の豪農の住宅として宝暦13年(1763)に建てられたもので、当初は寄棟式入母屋合掌造の茅葺屋根であったが、明治11年(1878)榑板葺切妻屋根に改造され、その後瓦葺屋根となり、昭和60年(1985)現在地に移築したものである。また江戸時代の明和・安永・天明にかけて飛騨一円に起きた大規模な百姓一揆「大原騒動」における「義民上木甚兵衛自賢」の生家であり、父の看病に新島に渡った「孝子三島勘左衛門正英」の家である。【現地案内看板より一部改編】

三島家は荘川村における豪農で知られた家で、この建物の建築年代は床の間の畳板裏に残っている次の墨書によって明らかである。
  宝暦13歳未7月 奉造立家一軒 大工棟梁 飛騨高山住 今井忠次郎定成  都合大工8人
                       畳屋 鷲見文七 都合4人
三島家住宅は岐阜県下では最も早い時期に四間取形式が取り入れられているのが特徴で、これは飛騨地方における民家の基本形となっている。また文政13年(1830)畳再造の墨書した図板が残っており、接客用の部屋は当初から畳敷であった。建物に使用されている木材は、三島家9代・正保の3男・為右衛門が元文5年(1740)に、本村六厩の御林山の伐採、流通を請け負った折に、刎木300本を家木として払下げを受け使用したとの記録があり、良材が使用されている。
当建物は昭和60年4月26日、三島家当主・嘉右衛門氏より荘川村が譲り受け、「荘川の里」地内に移築、修理復原したものである。
建物概要 構造 木造平屋建桟瓦葺
       間口 24.98m(約13間半) 奥行 14.10m(約8間) 面積 407.45㎡(約123坪 )【現地修理看板より一部改編】




 

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