高良家住宅
Takara



 
国指定重要文化財 (昭和63年5月11日指定)
沖縄県島尻郡座間味村慶留間62
建築年代/19世紀後半
用途区分/船頭頭
指定範囲/主屋・(附)ヒンプン・石垣・宅地
公開状況/公開

沖縄本島の西方40km程の海上に浮かぶ慶良間諸島は大小10余の島々から成り、那覇の泊港からは高速艇で約50分の道程である。人が住む島としては北から座間味島、阿嘉島、慶留間島のみで、これらを合わせて総人口942人(平成30年現在)の座間味村となる。島の人に話を聞くと観光業以外に主要な産業は無く、嘗て栄えた漁業でさえも振るわないとのことらしいが、確かに抜群に海は青く透明で魅力的ある。浜辺の波打ち際で白砂と化した珊瑚の欠片を拾っていると時間を経つのも忘れてしまう程であった。さて当住宅は慶留間島の南端の小集落に所在する漁家住宅である。座間味村3島のうち、慶留間島には高速艇は着岸しないため隣接する阿嘉島の阿嘉港から阿嘉大橋を渡る方法でしか辿り着くことはできない。徒歩で30分程の距離である。
当家は琉球王府時代には公用船の船頭職を務めた家柄で、船頭主家(しんどうしゅーやー)と呼ばれたらしい。幕末の当主・仲村渠親雲上が唐儲けと呼ばれる中国交易によって家作したと云われているが、当初は茅葺の建物で一回り規模が小さかったことが、平成11年から2年間に亘り実施された解体修理工事により判明している。現在の規模、赤瓦葺の姿となったのは大正年間になってからのことで、周辺の海域で鰹漁が盛んになり、最盛期には300名程の人員が鰹節の製造に携わるなどした時期のことであるらしい。



 

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