山本猪平家住宅 Yamamoto その他の写真 |
日南市指定文化財 (平成11年8月19日指定) 宮崎県日南市飫肥5-2-26 建築年代/明治40年(1907) 用途区分/商家(廻船業・山産物輸出業) 公開状況/公開 飫肥城の大手門筋の旧武家地に廻船業や山産物の輸出業で財を成した山本猪平が明治期に建てた商家建築である。商家でありながら町家型ではなく邸宅型の屋敷構えとするのは、店頭販売というスタイルを取らない商売柄ゆえであろうか。しかし何故に内陸部である飫肥城下に本宅を構えたのか不思議なところではある。住宅は純和風の建築ながら玄関や通路に洋風の意匠タイルを貼り付け、新しい時代の息吹を感じさせてくれる建物である。邸内には主屋の他、離れ屋、台所、浴室等の建物が残存している。 この建物は、飫肥の豪商であった山本猪平が明治40年(1907)頃に建築した商家の本宅である。敷地面積約1100uの中に、主屋、離れ屋、台所、浴室、便所等がほぼ建築当時のまま保存されており、飫肥本町の商人本宅を現代に伝える遺構として貴重である。屋敷地は大手門通りに面して高い塀と門を構えている。門の南側は部屋と収納庫となっており、主屋と奥座敷、離れ、台所、便所とが庭を囲むように有機的につながり、当時の町家の配置をよく残している。このうち主屋は入口に格子戸を設けて、数寄屋風の天井を持つ通り土間を通って玄関に至る。通り土間の両側には収納庫を設けている。主屋は、座敷の10畳に次の間の10畳が並び、その奥が居住の場となっている。奥の屋敷は、昭和2年(1927)に山本猪平が隠居したのに伴い、昭和4年(1929)に増築された。本来、奥座敷便所の東隣は隠居の出入口になっていたとみられる。また屋敷地内の通路や床下土間に陶磁器のタイルを使用しており、当時の流行の一端を知ることができる。なお、この屋敷地の南半分は元々町役人であった小村寿太郎の父・小村寛の屋敷地であった。小村寛が飫肥商社事件で没落したため、山本猪平が買収して、この建物を建てたのである。山本家には「この建物は小村寿太郎が飫肥に帰って来た時のために建てた」という言い伝えが残されている。この建物は昭和52年(1977)の伝統的建造物群保存地区の選定時に保存物件として指定されていたが、平成9年(1997)に空き家となったため、市が公有化して修理した。修理に際しては建築当初に戻すことを原則としたが、一部耐震強度の確保のため、壁を新設している。【現地案内看板より】 |